おかげさまで『時代の裂け目に鬼が出る』公演、無事に終了いたしました。
写真はカーテンコールから出演者が客席を通って、お客さまのお見送りに移動する様子をスタッフが撮影してくれたものです。
東北はもとより、関東、関西、そして九州からもたくさんのお客さまにめぐまれましたこと、この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
2018年7月30日月曜日
2018年7月27日金曜日
けんちゃん
ミュージカル『時代の裂け目に鬼がでる』のゲネプロがもうすぐ始まります。
生演奏でのステージです。
明日7月28日はいよいよその初日ですが、ぼくにとっては忘れらない日でもあります。
けんちゃんことJUN_harvest初代ドラマー、一ノ瀬建治君の命日でもあるからです。
けんちゃん、
あなたが7月の高い空へと旅立ったのは、8年前。病魔と闘い続けた末に40歳の若さで。
バンドでもほんとうにお世話になりました。当時僕が10年ぶりで自分のCDを作ろうと思ったのも、このブログを立ち上げようと思ったのも、みんなけんちゃんがきっかけをつくってくれたからでした。
実はね、今回のミュージカルで、けんちゃんが生涯に1曲だけ作曲したものを、音楽監督のサイトウミノルさんがバンド用に編曲してくださいました。先週から、深夜まで市内のスタジオでけんちゃんの曲もリハーサルしていたよ。
そして今日から3日間、ヒロイン「ゆり」が目覚める大切なシーンでその曲を使わせてもらうね。
演奏するのは全員、けんちゃんゆかりのミュージシャンたちだよ。
昨日のお稽古場では、バンドで録音したものを使ってもらったんだけれど、けんちゃんの曲、そのシーンにぴったりでねぇ。
きっとお客さまにも場面の伝わると思うなあ。
きっと空まで届くね。
いや、きっと一緒にいるね。
そして、公演が成功するように見守っていてね。
生演奏でのステージです。
明日7月28日はいよいよその初日ですが、ぼくにとっては忘れらない日でもあります。
けんちゃんことJUN_harvest初代ドラマー、一ノ瀬建治君の命日でもあるからです。
けんちゃん、
あなたが7月の高い空へと旅立ったのは、8年前。病魔と闘い続けた末に40歳の若さで。
バンドでもほんとうにお世話になりました。当時僕が10年ぶりで自分のCDを作ろうと思ったのも、このブログを立ち上げようと思ったのも、みんなけんちゃんがきっかけをつくってくれたからでした。
実はね、今回のミュージカルで、けんちゃんが生涯に1曲だけ作曲したものを、音楽監督のサイトウミノルさんがバンド用に編曲してくださいました。先週から、深夜まで市内のスタジオでけんちゃんの曲もリハーサルしていたよ。
そして今日から3日間、ヒロイン「ゆり」が目覚める大切なシーンでその曲を使わせてもらうね。
演奏するのは全員、けんちゃんゆかりのミュージシャンたちだよ。
昨日のお稽古場では、バンドで録音したものを使ってもらったんだけれど、けんちゃんの曲、そのシーンにぴったりでねぇ。
きっとお客さまにも場面の伝わると思うなあ。
きっと空まで届くね。
いや、きっと一緒にいるね。
そして、公演が成功するように見守っていてね。
2018年7月23日月曜日
バンド
思えば中学生の頃にはじめて「バンド」を組みました。ギター2本とベースの3人組。オリジナル曲を作り始めたのもそのころです。
以来、様々なバンドを経験してきました。
けれども、自分の曲をミュージカル全編で生演奏していただいたことはありませんでした。
その意味では、今週末に上演される『時代の裂け目に鬼が出る』がはじめてです。
今回の『時代の~』の土台となった作品は、1991年に初演した『TAROH(たろう)』というミュージカル。当時僕はギター1本と紙とエンピツで作曲をしていました。そこで今回は、ギタリストのサイトウミノルさんに音楽監督をお願いし、不肖ヒロセ純がミュージカルづくりをはじめた頃の原点、すなわちギターを中心としたサウンドや構成の試みをしていただいています。
仙台在住の気鋭プロミュージシャンによるリハーサルが連日深夜まで続きます。
かなり心地の良い、そしてエキサイティングなバンドサウンドが出来上がりつつあります。
今回の見どころは、ロックばかりではなく「和」のテイストをふんだんに取り入れているところ。音楽的にもそんな工夫が随所にほどこしてございます。
生演奏によるバンドサウンドと、多くの著名ミュージカルを手掛けてきた塚本悟氏の照明により、SCSの真骨頂であるダンスシーンはさらに鮮烈に描かれていくのではと、予感しています。
仙台市内の某スタジオで、今夜もリハーサルは続きます。
以来、様々なバンドを経験してきました。
けれども、自分の曲をミュージカル全編で生演奏していただいたことはありませんでした。
その意味では、今週末に上演される『時代の裂け目に鬼が出る』がはじめてです。
今回の『時代の~』の土台となった作品は、1991年に初演した『TAROH(たろう)』というミュージカル。当時僕はギター1本と紙とエンピツで作曲をしていました。そこで今回は、ギタリストのサイトウミノルさんに音楽監督をお願いし、不肖ヒロセ純がミュージカルづくりをはじめた頃の原点、すなわちギターを中心としたサウンドや構成の試みをしていただいています。
仙台在住の気鋭プロミュージシャンによるリハーサルが連日深夜まで続きます。
かなり心地の良い、そしてエキサイティングなバンドサウンドが出来上がりつつあります。
今回の見どころは、ロックばかりではなく「和」のテイストをふんだんに取り入れているところ。音楽的にもそんな工夫が随所にほどこしてございます。
生演奏によるバンドサウンドと、多くの著名ミュージカルを手掛けてきた塚本悟氏の照明により、SCSの真骨頂であるダンスシーンはさらに鮮烈に描かれていくのではと、予感しています。
仙台市内の某スタジオで、今夜もリハーサルは続きます。
2018年7月20日金曜日
2018年7月15日日曜日
2018年7月11日水曜日
勘違い
夏になると、自宅マンションの共有部分などに、セミやカナブンなんかが仰向けになっていることがある。
自宅の近くには少しばかり緑があるから、虫たちも飛んでくるのだろうが、こんなマンションのコンクリートの上で行き倒れになってしまうのはなんとも可愛そうである。
そんなときは仰向けの虫に、そっと人差し指を差し出してあげる。
ふと芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が脳裏をよぎる。
私は功徳を積もうなどという気はさらさらないが、行き倒れになりそうなコンクリートの上の虫を見ると、なんだか「差し出されている」ような気になる。もしくは、助けを求めに来ているのかもしれない、などとも思う。
先週末、今年も彼らは私の目の前に現れた。
最初はカナブンかと思いきや、差し出した指につかまってきた彼の全体を見ると、少し違う。
その姿からそれは「コフキコガネ」であることをグーグル先生が教えてくれた。
昆虫の住む世界は我々人間が住む世界とは別の異界だという人も居るが、なるほどそうかも知れないと、意外にかわいいコフキコガネの目を見ながら思った。
カナブンと間違えたことを彼に詫びた。
ところが、これまた毎年の体験と同じように彼がなかなか私の指から離れてくれない。
きっとおなかがすいているのだろうと思った私はティッシュペーパーに砂糖水をしみこませて彼をその上に移し変えると、仕事に出た。
さてその日の夜、自宅へ戻るとまだ彼はそのままの姿でいた。
もしや…お亡くなりに、と思ってそっと触れてみると手足が動く。
良かった、まだ生きている。
そこで、もう一度グーグル先生に彼について聞いてみると、なんと彼らは樹液ではなく、クヌギなどの葉っぱを食べるというではないか。
そうか…私はまた勘違いをしていた。セミとは違うのだ。
私は再び彼に詫び、翌朝クヌギの葉をさがしてくるからね、と約束し家を出たのだった。
そして大学の授業の帰りに駐車場へ通じる坂道で偶然、クヌギらしい葉っぱを見つけた。
よし、とばかりにちょっと数枚失敬して、かばんに入れた。
これで、彼は喜んでくれるだろうか、砂糖水の件を忘れてくれるだろうか…。
彼が葉っぱをおいしそうに食べてくれる姿を思い描きながら、ちょっとにやけた。
しかし、家に戻ると、コフキコガネ君は、忽然とその姿を消していた。
少し慌てた。さて彼はどこへ行ったのだろう。
近くでカラスが「カァ」と鳴いたのが気になった。
元気になって大空へ羽ばたいてくれたのなら良いけれど…。
それ以来、彼はもどってきて居ないが、なんとこの葉っぱがクヌギではないらしいということが後に判明した。
仮に彼がまだ居たとしても食べてはくれなかったかもしれない。
ん~。またもや勘違い。
重ねての勘違いでつくづく思った。
もしも私が植物の世界にも昆虫の世界にも、それぞれの世界に通じる言葉を、知っていたたらなぁ。こんな勘違いを重ねずに事態を解決できただろうに。
しかし、まてよ。
もしも言葉が分かったら、余計なお世話と、弱っていくコフキコガネ君を狙っていたかもしれない鳥や、勝手にむしりとられた葉っぱたちからお咎めを受けるかもしれない。
ああ、またもや妄想癖。
自宅の近くには少しばかり緑があるから、虫たちも飛んでくるのだろうが、こんなマンションのコンクリートの上で行き倒れになってしまうのはなんとも可愛そうである。
そんなときは仰向けの虫に、そっと人差し指を差し出してあげる。
ふと芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が脳裏をよぎる。
私は功徳を積もうなどという気はさらさらないが、行き倒れになりそうなコンクリートの上の虫を見ると、なんだか「差し出されている」ような気になる。もしくは、助けを求めに来ているのかもしれない、などとも思う。
先週末、今年も彼らは私の目の前に現れた。
最初はカナブンかと思いきや、差し出した指につかまってきた彼の全体を見ると、少し違う。
その姿からそれは「コフキコガネ」であることをグーグル先生が教えてくれた。
昆虫の住む世界は我々人間が住む世界とは別の異界だという人も居るが、なるほどそうかも知れないと、意外にかわいいコフキコガネの目を見ながら思った。
カナブンと間違えたことを彼に詫びた。
ところが、これまた毎年の体験と同じように彼がなかなか私の指から離れてくれない。
きっとおなかがすいているのだろうと思った私はティッシュペーパーに砂糖水をしみこませて彼をその上に移し変えると、仕事に出た。
さてその日の夜、自宅へ戻るとまだ彼はそのままの姿でいた。
もしや…お亡くなりに、と思ってそっと触れてみると手足が動く。
良かった、まだ生きている。
そこで、もう一度グーグル先生に彼について聞いてみると、なんと彼らは樹液ではなく、クヌギなどの葉っぱを食べるというではないか。
そうか…私はまた勘違いをしていた。セミとは違うのだ。
私は再び彼に詫び、翌朝クヌギの葉をさがしてくるからね、と約束し家を出たのだった。
そして大学の授業の帰りに駐車場へ通じる坂道で偶然、クヌギらしい葉っぱを見つけた。
よし、とばかりにちょっと数枚失敬して、かばんに入れた。
これで、彼は喜んでくれるだろうか、砂糖水の件を忘れてくれるだろうか…。
彼が葉っぱをおいしそうに食べてくれる姿を思い描きながら、ちょっとにやけた。
しかし、家に戻ると、コフキコガネ君は、忽然とその姿を消していた。
少し慌てた。さて彼はどこへ行ったのだろう。
近くでカラスが「カァ」と鳴いたのが気になった。
元気になって大空へ羽ばたいてくれたのなら良いけれど…。
それ以来、彼はもどってきて居ないが、なんとこの葉っぱがクヌギではないらしいということが後に判明した。
仮に彼がまだ居たとしても食べてはくれなかったかもしれない。
ん~。またもや勘違い。
重ねての勘違いでつくづく思った。
もしも私が植物の世界にも昆虫の世界にも、それぞれの世界に通じる言葉を、知っていたたらなぁ。こんな勘違いを重ねずに事態を解決できただろうに。
しかし、まてよ。
もしも言葉が分かったら、余計なお世話と、弱っていくコフキコガネ君を狙っていたかもしれない鳥や、勝手にむしりとられた葉っぱたちからお咎めを受けるかもしれない。
ああ、またもや妄想癖。
2018年7月6日金曜日
同い年
東北学院大学の教養学部にて「文化プロデュース」という授業を担当させていただき、かれこれ6年目となる。
この授業では、その分野の専門家やトップランナーをお呼びしてお話を伺いつつ対談形式で講義を進めることが多い。
さて、特段意図したわけではないが、先週と今週の2週続けて、私と同い年のゲストをお呼びしての講義となった。
先週は、画家であり、公共ホール(七ヶ浜国際村)の管理運営責任者でもある髙橋勉事務局長。
そして今週が、前米沢市議会議長の海老名悟 米沢市議会議員。
「文化プロデュース」では、文字通り文化全般について扱うのであるが、先週と今週は、地方におけるホールとその役割を軸にテーマ設定をした。
高橋さん、海老名さんには、それぞれのお立場から、有意義なかつ私自身も大変勉強になるお話をたくさん頂くことができた。
同い年という気楽さも手伝って、授業終了後の意見交換会ではずいぶんと話も弾んだ。
同い年の友人たちの活躍に助けられることの多い私である。
この授業では、その分野の専門家やトップランナーをお呼びしてお話を伺いつつ対談形式で講義を進めることが多い。
さて、特段意図したわけではないが、先週と今週の2週続けて、私と同い年のゲストをお呼びしての講義となった。
先週は、画家であり、公共ホール(七ヶ浜国際村)の管理運営責任者でもある髙橋勉事務局長。
そして今週が、前米沢市議会議長の海老名悟 米沢市議会議員。
「文化プロデュース」では、文字通り文化全般について扱うのであるが、先週と今週は、地方におけるホールとその役割を軸にテーマ設定をした。
高橋さん、海老名さんには、それぞれのお立場から、有意義なかつ私自身も大変勉強になるお話をたくさん頂くことができた。
同い年という気楽さも手伝って、授業終了後の意見交換会ではずいぶんと話も弾んだ。
同い年の友人たちの活躍に助けられることの多い私である。