2019年1月15日火曜日

お湯

「聖域としての温泉」(梅原猛著『日本の深層』縄文・蝦夷文化を探る 集英社文庫より)
湯殿山のご神体は湯の出ている岩である。私はあちこちの縄文遺跡を回ったが、不思議に近くに温泉のあるところが多い(中略)いまの日本語では熱い、水を沸かしたものも湯というが、それは本来は湯ではないのである。湯はあくまで自然に出現している湯のみ、温泉のみをいう言葉である。湯の湧く岩に古代人がどんな神秘を覚えたか、察するにあまりある。(以上抜粋)

この文章に初めて触れた時には、私はほとんど温泉などに興味のない生活をしていた。
ところが最近はすっかり温泉づいている。先日も、とある温泉で湯につかりながら空を舞う雪を観つつ、先の一節をぼんやりと思い出していた。


梅原先生の本には随分と刺激を受けることが多かった。
そんな折に昨日の報道で梅原先生の訃報に接した。
なんだか気持ちが少し落ちた。
奇しくも写真にある著書を昨年の暮れから読み直していたところであった。
ついぞお会いすることはなかったのだけれど、私にとっては、いつかお会いしてお話をお聞きしたい巨人の一人であった。
仙台生まれということで、親近感が湧き、ずいぶん梅原先生の文章を読ませていただたいた。その文章からさらに親近感をもっていた。そして先生が示された学説や推察は私の仕事にも関連付けられる多くのヒントが隠されていた。
東北の地より静かにご冥福をお祈りするばかりである。

やはり、会いたい人には会っておくべきだ。



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