五十日(ごとうび)という言葉を初めて聞いたのは、社会人になって間もない頃ですから、もう40年近く前のことです。
今日はその五十日でありますから、たまに銀行に行ったりする用事も出てきます。欅の落ち葉でいっぱいの横断歩道をシャカシャカ音を立てて渡りながら、ふと我が来し方を想います。
ゴトウビの仙台、11月にしてはけっこう暖かく、その言葉を知ったときからはだいぶ仙台も様相が変わったものだとつくづく、しみじみ。
今日は父の最初の命日。今頃あの空の向こうで一足先に出かけて行った母と再会しているかな。
月日は百台の過客にして…と、芭蕉さんはうまいことを言ったものです。なるほど人生は旅のようなものなのかもしれません。しかし、ゴトウビで忙しそうに行きかう人や車は、いつか旅を終える時がくることを忘れているようです。もう来週は師走。行きかふ年も又旅人なり。
旅で思い出しました、私がギターを覚え始めたころに巷ではやっていたフォークソングにはよく「旅」とか「風」とかということばが出てきました。今の歌にはあまり出てこない気がします。コロナ禍以来、まったく旅をしていない私ですが、せめて「心の旅」でも…。←この言葉を聞いて「tulip」というバンドを思い出した方は、きっと同世代ですね。実際、音楽と向き合っている時間は、旅をしているような浮遊感を覚えることがあります。
お父ちゃん、僕の旅はもう少し続きそうです