たぶんこのあたりの土は、冬のあいだ、
散歩で何度も私の足に踏みつけられていたにちがいありません
けれどもここでこんなに力強いあざやかかな色の花を咲かせています
そして、このあとは綿毛になって風に乗って遠くへ。
先に咲いたものは、すでに飛び始めていました
ふと、たんぽぽは土の上で動けないわけではなくて、
ほんとうは自由で不滅のいのちなのだと思いました。
たぶんこのあたりの土は、冬のあいだ、
散歩で何度も私の足に踏みつけられていたにちがいありません
けれどもここでこんなに力強いあざやかかな色の花を咲かせています
そして、このあとは綿毛になって風に乗って遠くへ。
先に咲いたものは、すでに飛び始めていました
ふと、たんぽぽは土の上で動けないわけではなくて、
ほんとうは自由で不滅のいのちなのだと思いました。
おかげさまで、恒例のSCSミュージカル研究所クリスマス公演は、全公演チケット売り切れ満員御礼の盛況で幕を閉じることができました。たくさんの皆さまの支えを頂いて、今年も無事に公演活動を終えることができたことを、心から感謝申し上げます。
昨日はお稽古場での納会。みんなで今年一年を振り返りました。芸術監督から今年活躍した研究生への表彰がメインイベント。それに先立って私が主催してやっている「SCSリーディングマラソン・コンテスト2025」では、1年でたくさん本を読んで感想を報告してくれた研究生上位5名を表彰しました。
五十日(ごとうび)という言葉を初めて聞いたのは、社会人になって間もない頃ですから、もう40年近く前のことです。
今日はその五十日でありますから、たまに銀行に行ったりする用事も出てきます。欅の落ち葉でいっぱいの横断歩道をシャカシャカ音を立てて渡りながら、ふと我が来し方を想います。
ゴトウビの仙台、11月にしてはけっこう暖かく、その言葉を知ったときからはだいぶ仙台も様相が変わったものだとつくづく、しみじみ。
今日は父の最初の命日。今頃あの空の向こうで一足先に出かけて行った母と再会しているかな。
月日は百台の過客にして…と、芭蕉さんはうまいことを言ったものです。なるほど人生は旅のようなものなのかもしれません。しかし、ゴトウビで忙しそうに行きかう人や車は、いつか旅を終える時がくることを忘れているようです。もう来週は師走。行きかふ年も又旅人なり。
旅で思い出しました、私がギターを覚え始めたころに巷ではやっていたフォークソングにはよく「旅」とか「風」とかということばが出てきました。今の歌にはあまり出てこない気がします。コロナ禍以来、まったく旅をしていない私ですが、せめて「心の旅」でも…。←この言葉を聞いて「tulip」というバンドを思い出した方は、きっと同世代ですね。実際、音楽と向き合っている時間は、旅をしているような浮遊感を覚えることがあります。
お父ちゃん、僕の旅はもう少し続きそうです
明日から劇場入りして今月のSCSミュージカル研究所公演『仄仄(ほのぼの)』の準備に入ります。
このところは忙しいというよりなかなか充実した日々でありました。先月5日にやった公演は、遠い昔のような感じがいたします。便りのないのは良い知らせなどと申しますが、先月ブログ記事を書けなかったのは、良い知らせということにしておきましょう。
このブログを始めた(2009年)ころは、今ほどSNSが発達しておらず、ブログで情報発信がメインでした。今や個人や団体が情報発信できる手段は多岐にわたっています。そのうちブログなどはレガシーになるのかもしれません。が、これはこれで時間の流れが少しゆったりとしている感じ。細々とでも書き続けていこうと思います。
時の流れが速いように、近ごろ時代の流れもますます速く感じてしまいます。ただ、コンピュータやソフトウェアの進化には、助けられることも多々あります。仕事で使用している音楽シーケンサーは、バージョンアップを重ねるごとに使いやすくなり、最近手に入れた音源や機材の進化にも驚かされます。昔は高根の花だったスペックのものが廉価で入手できる時代。同時に勉強することがますます多くなっている気もします(笑)そして、気が付けばもう、今年も半分のところまで来ました。
忙中閑有、紫陽花の色にしばし癒されます。
事務所から車で25分程度走ると、秋保(あきう)温泉に到着する。
というわけで、定休日の無い私は時々ちらっと事務所を抜けて秋保温泉に。職住接近ならぬ「職湯接近」である。仕事場から近いところに温泉地があるという大変ありがたい環境ながら、たまには違う泉質、もっと濃い感じのお湯が恋しくなる。
宮城県には鳴子温泉という多種多様な泉質の楽しめる場所があるが、仕事場から行くには往復で一日がかりになってしまう。
そこで、たまにお邪魔するのが三本木の田んぼの真ん中にある日帰り温泉施設、豆坂温泉三峰荘さん。
源泉かけ流しの熱めのお湯がたまりません。
身体の芯からあったまるのを実感できます。次の仕事への活力が湧いてきます。
写真は三峰荘さんでいただいた中華ざる。
ほんとうにもう、駆け足で今月も過ぎてゆきます。
そう感じているのは、実は私だけではなく「時間が止まって欲しい」とメッセージをくださったかたもおられました。師走に向けて皆さんお忙しい日々が続くのでありましょう。
10月のSCSミュージカルナンバーコンサートに引き続き、11月は5Gを用いて遠隔地2カ所を結んでの実証実験公演、七ヶ浜ミュージカル…
コロナ禍でも公演活動を実現したいというみんなの思いを受け止めながら、慎重に事をすすめていきます。
来月も盛りだくさん。テンションがかかった状態がつづきますけれど、ほんのちょっとの時間でも心を休める時間を上手につくりたいものです。
さてと、引き続きがんばります。
道路の向こうにあるビルの建て替えで、ちょっぴり広くなった事務所の窓から見える空。
子どもの頃の夏休みは、花火や海、虫とりなどと、楽しい記憶。しかし、歳を重ねてからの夏、特に8月は、なんだか哀しいことが多い気がします。
「空を良く見上げるひとに、悪いひとは居ない気がするわ」と言っていた懐かしい人の声が聴こえたような。
今年も8月が過ぎて逝きます。
私はこれまでにブログなどで政治的なことを書いたことはないし、恐らくこれからも書けないのではないか思う。
それは、政治的無関心という意味ではない。わからない、というのが正直なところである。アートにたずさわる者ならば、わからないなりに表現すべきという向きもあるが、そこまで自分の表現力が熟達していないのであろう。
一昨日、安倍晋三元首相の身に起きたあまりに理不尽で悲しい出来事は、ただただ悲しく、むなしく、憤りを感じる。心からご冥福をお祈り申し上げる。
平時にひとを殺めればもちろん殺人罪であるが、有事に敵を何人殺しても罪になるどころか、英雄視される場合もある。ああ、ますますわからない。なんと愚かな、情けない人間の性であろうか。
昨日は、ウクライナ出身のオペラ歌手、オクサーナ・ステパニュックさんの歌声に接した。素晴らしい声量と超絶技巧に圧倒された。ご本人にも直接お会いして少しお話が出来たが、 彼女のことばの端々には、リサイタルを通じて感じられた「祈り」があった。
アンコールの『アヴェマリア』ピアノ弾き語りでは、客席のあちこちで涙を拭うしぐさの方をお見受けした。
いつの時代にも存在し、くりかえされる巨大な悲しみに、我々市井のものがどう向き合っていけばよいのか、彼女の歌声から、そんなことを考えるヒントを得たような気がした。
ある本がきっかけで「時間は実在するのか」ということに想いをめぐらせていました。すると、あっという間に眠気を感じてしまっていました。哲学的な考察には興味はあるのですが、難しいことを考えるって、私の場合自ら睡魔を招く事態になるようです。しかし脳みそをリラックスさせる意外な効用はあるのかもしれません(笑)
反面教師で、シンプルなもの程刺激が強いのでありましょう。表現活動に携わるものの端くれとして重要なポイントであると感じています。
そんなことを考えながら少しボーッとした頭で窓の外に目を遣れば、寒風の中街路樹につかまっているスズメちゃんたちがおりました。最近よく窓の外に集まってくれています。
街路樹(恐らく唐楓)は枯れ木のように見えてますが、よく見ると春に芽吹く準備が始まっています。スズメたちはそれを見逃してはいません。
今週はSCSミュージカル研究所の各クラス稽古場では次々と「お稽古納め」となりました。
明日は「SCS大納会」なのですが、人数が多いので、昨年に引き続きオンラインでの納会開催となります。
お互いに皆の顔を実際に見ながらパーティをやれないのは少し寂しい気もしますが、天気予報によると明日は数年に一度の寒波だそうですから、移動交通手段に左右されないオンラインでの開催は、この時期には良いのかもしれません。オンラインならではの楽しみ方もあるもので、昨年は融資の何人かが短い動画を作ってくれて、通常の納会では「余興」に相当する部分の楽しい時間を提供してくれました。今年はどうなるのでしょう。楽しみです。
一方で、一昨日は、七ヶ浜町のミュージカルグループ「NaNa5931」のお稽古場でも、クリスマスイベントを兼ねてステージ発表が行われ、今年を締めくくりました。
コロナにも負けずに制作された短編ミュージカル動画からのナンバーも実際に披露され、20年の歴史を誇るグループによる、レベルの高いステージに場内のお客さまからも大いなる拍手が送られていました。
今年も感染症対策を施しながらミュージカルのお稽古に励んだ子供たち、研究生、スタッフにアプローズ!皆さまへの感謝の拍手と共に今年の稽古を納めていきたいと思います。
週に一度担当している郡山での講義を終えて、大学の敷地を出ようとしたとき、赤い色が目に留まりました。
手前が椿で奥が楓でしょうか。
若く瑞々しく、滾るエネルギーを感じる赤、一方、枯れて落ちようとしている赤、同じ赤でも立場の違う色合いに、しばし見入りました。
これらの赤い色が見えなくなると、いよいよ本格的に冬がやってきます。言い換えれば春に向かう準備の季節です。
自然は偉大な、最高の先生です。
頭を整理したり、アイディアを練ったりするのに散歩の効用は高いといわれる。
空を見上げることが好きである。
夜空には宇宙を、青空には地球を感じる。
先週はちょっとした用事のついでに、学生時代の散歩道へ行ってみた。
風景はまったく変わっていたが、青空は昔と変わっていないように見えた。
そうすると、なんだか自分は地球に現れては消える「現象」の一つのような気がして、すべてのことがたいしたことじゃないようにも思えてきた。
近頃はスマホでも本が読めるので、目が疲れない程度にページを眺める。
少し時間があると次の舞台やコンサートに向けての勉強をする。サイトウミノル氏とのユニットで立ち上げた「Musical Picture Book」というライブ形式は、第2弾をこの秋に準備しているところである。
その関係で『注文の多い料理店』をスマホで読み返していると「真っ白なお皿」という単語が目にとまった。「あとはあなたがたと菜っ葉をうまくとりあはせてまっ白なお皿にのせる丈けです。はやくいらっしゃい。」というくだりである。今まで何度も何度も読み返してきて殆ど気とまらなかった箇所だが、この日はなぜか自分が30代のはじめにつくった曲に『コクーン』というのがあって、その中の歌詞に「白いお皿の上で俺の心がころがる」という部分があったことを瞬時に連想したのであった。
どちらもイリュージョンの中での表現ということで括ることもできるだろうが、西洋を連想させるものに「白い皿」があるのかもしれない。
なぜなら、自分の無意識のなかに白い皿=西洋というイメージがあったたとすれば、70年代から80年代にかけて西洋音楽にどっぷりつかっていたことを自嘲した表現だったかもしれないと感じたからである。…「白いお皿」をめぐって、30年近くの時を経てからいろんな思いが連鎖し始めた。
風呂上がりの妄想は続く。
AC(After Corona virus)2年も、3分の一を過ぎた皐月一日。
お稽古場のキッズクラスレッスン開始3分前に、震度5強の揺れを伴う地震が発生しました。
幸いSCSミュージカル研究所の子どもたちもスタッフも全員無事でしたが、地震による交通機関の乱れにより、 やむなく稽古参加をあきらめたりオンラインでの参加に切り替えた研究生も。
人間たちはこの10年、地震やコロナでいろんなダメージを受けておりますね。しかしそれでも地球上の生き物はたくましく生き、世代を受け継いでいきます。
数日前に、通りがかかった定禅寺通りのケヤキ並木道でのこと。平日の昼下がり、普段なら結構な人が行き交う交差点で、一瞬時が止まったかのように人影がなくなりました。
その直後、通りにはすぐに人や車があふれてきたのですが、 ふとした静寂は感覚を鋭敏にするのか、人工的に並べられ人間たちに管理されているケヤキたちが、確かに何かメッセージを送ってきているように感じたのでありました。
「時代はBCからACに変わってしまったのだ」
とでも言いたかったのかなぁ。
今日は劇場をお借りしての録音作業。
休憩して、リハーサル室から劇場ロビーに続く通路の窓の外をのぞいてみた。
窓の向こうには散り始めたソメイヨシノ。
さらにその手前には緑の色をまとい始めた木々が見えました。
その姿は、とても良く晴れた空にを背景に
彼らが、からだじゅうで季節をバトンタッチしているようでもありました。