昨日たまたま通りがかった定禅寺(じょうぜんじ)通り。
仙台の街を象徴するかのような、美しい通りです。
ふと百人一首にある持統天皇の歌を思い出しました。
春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の
衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)
この冒頭部分。つまり今は、「春過ぎて」と「夏来にけらし」の間にいるんだな、と思ったわけです。
街の緑の色は日ごとに変化してゆきます。しかし植物たちにしてみれば夏を目指して猛スピードで色づいているのかもしれません。 でも、意識レベルの違う私たちは、季節の移ろい即ちその色づきのグラデーションに気づかないことも多い。
想い出したこの歌は、夏の訪れを読んださわやかな印象の歌ですね。しかし持統天皇でさえ夏が来てから季節をお気づきに…。それは梅雨のじめっとした空気感を無意識に飛ばしてしまいたいという心うちがおありになったのかもしれません。 せっかく思い出したこの歌の真意は何だったのか。
浅学の身ながら生意気に、この歌で端折られている季節の「間」、いえ流れの中ににいることを味わえる心がもっと欲しいと思いました。
この季節は、暑い日が来たと思うとちょっと暖房が欲しい日もあったりします。事実、今日は事務所でエアコンの暖房を入れました。冬でもないのに。
そして私は、遠い昔に母や伯父叔母従妹たち、そして妹と「百人一首かるた」や「坊主めくり」に興じた、冬のある日を連想したりするのでありました。
昨日の定禅寺通り。その緑の色は、遠い記憶を呼び覚まし、時間や季節が混濁するほどに私自身が不思議な「間」にいるのだということを示しているようでした。
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