わりとよく通るメタセコイヤの短い並木道。
私の散歩道の一つでもある。
冬にはすべて葉を落とし、まるで枯れた大木のようにも見えた木々たちは、今まさに青々と…。
ふと思い出したのは、なぜ緑色なのに青いと表現するのか。それはその昔、色を表す日本語は赤、白、青、黒の四つしかなかったことに由来すると、何かで読んだ。
そして、木漏れ日が地面を染める様子は、まるで舞台照明の一部のよう。
「生きた化石」と呼ばれるメタセコイヤの姿は大昔からこんな風だったのだろうか…。
歩きながら、いろいろと頭の中をよぎる。
年齢とともに経験も重ねているから、まぁ雑念のようなものも増えるのであろう。
散歩中に目や耳に飛び込んでくるふとした刺激で、いろいろなことを思い出す。
たまにはそれらが有機的に結びついて、仕事のヒントになることもある。
めったにあることではないけれど。
何も考えずに散歩できるようになればリフレッシュの達人にでもなれそうであるが、あまり心身の変化に逆らわず、凡々とした気持ちでブラブラするのが私には気持ちがいい。
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