2018年10月21日日曜日

地図を片手に

オフィスでは長時間座って仕事をすることが多いので、運動不足。そこで、時折近所をうろうろ散歩することがあります。今日は地図を片手に30分ほど昼下がりのお稽古場周辺。

いい天気です。
おっと、地図と言っても本日使用したのはちょっと変わった地図。
正確にはスマホで動く「仙台時間地図」というアプリのお世話になりました。
このアプリのなかに「明治40年発行_最近実測仙台市街全図」というのがありまして、これを参照してみました。おもしろいのは明治時代の古い地図がGPS対応になっていて、古い地図上に現在位置を示してくれるというところです。
明治40年というと1907年。夏目漱石、芥川龍之介、有島武郎、内村鑑三、永井荷風、高村光太郎、谷崎潤一郎などが生きていた時代です。いやぁ~すごい時代だったのですね。

写真は地図のリリースから110年余りを経た平成時代の今日。国分町通りの一番南の端に立ち、かるいタイムトラベラー気分を味わっているところ(笑)


江戸時代は奥州街道として仙台のメインストリートであったこの道は今もまっすぐなままに残っているのがお分かりになるでしょうか?


この道のずーっと先の突き当り、即ち北の端には青葉神社があります。
因みに、この古い地図によれば、青葉神社手前の右手には競馬場があったようです。またこの写真を撮った背後は現在東北大学の金属材料研究所になっていますが、明治の地図では「宮城監獄分監」とありますね。その後ろが第二高等学校(現在の東北大学片平キャンパス)。記録によれば、魯迅が仙台医学専門学校(東北大学医学部)に入学したのは1904年(明治37年)とありますから、まさにこの地図のような街並みであったことでしょう。魯迅さんもこの道を何度も通ったに違いありません。彼の下宿のすぐそばには片平小学校。これは昔と変わらぬ位置のようです。そして、そのとなりの現仙台地方高等裁判所は「宮城控訴院」と書かれています。

昔、この街道はどんな賑わいを見せていたのだろうか、いったいこの道をどれだけの人々が行き来したのだろうかなどと思いを馳せつつ、秋の高い空の下、短いお散歩楽しみました。

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