2018年4月2日月曜日

いのちはいのちをたすけ

桜の便りに誘われふらふらいつものお散歩コースのひとつ、東北大学片平キャンパス。

放っておかれたらきっと倒れて枯れてしまいそうな桜の老木。
その木をおんぶするように、若い木が、背骨をまげて支えています。
さらに、そのふたりを助けるようにニンゲンによる木製の優しい杖。
そんなふうに沢山のいのちの支えを得て、
その老木は天に近いところで美しく嬉しそうに花を咲かせておりました。


植物には感情があるとか、植物は弱っている仲間を助けるとかという話を聞いたことがあります。
それには様々議論の余地もあろうかと思いますが、私は、植物たちが人間には想像つかない方法で互いに交信する手段を持っているような気がするのです。
地球上には樹齢数千年の樹木が存在するといわれています。私たちの平均寿命とは2桁違います。
もし、彼らが言葉のようなものを持っているとすれば、人間の耳には、植物界のことばがテープに録音した100分の1のスピードの超スローモー再生音で聞こえてくるようなものでしょう。一方、植物世界の生き物にとっては、100倍のスピードで話しかけられているようなものかもしれません。理解できないのが当たり前かも。

しかし、未来のいつか、そのお互いの会話の速度をシンクロナイズさせて翻訳する強力な機械などが発明されたら、夢のような平和な世界の幕あけがくるかもしれません。

なにしろ、本来いのちはいのちを助けるものなのです。

私は人間以外の動物たちを見るたびにそう思います。
いつものお散歩コースなのに、今までこんなふうな思いでこの桜の木を見なかったのは、彼らの言葉を理解しようとしなかったせいでしょう。
今日は青空に映えるピンク色の桜の花の美しさが、私の顔を上げさせて、この木の全体を観察させてくれました。
そういう意味では、桜の花が、何か私に気づかせようと信号を送ったのかもしれません。

おっと、このブログをお読みいただいている専門家の皆様におかれましては、浅学の身故の勝手な物言いご容赦を。

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