ここ数年で日帰り温泉にはまりつつあることは、このブログ記事やフェイスブックの記事などからお察しの方もいらっしゃるかもしれません。
何しろ、事務所を出て25分後には秋保温泉街に到着するロケーションで仕事をしていることに、10年目で気づいてしまったわけであります。
今日も間隙を縫って2時間ほど時間をいただきチャッポンしてお仕事復帰。
温泉街では、たいていのところは500円から1000円ちょいぐらいで温泉を楽しめます。
きょうはとある旅館の100%源泉かけ流しのお風呂を楽しみました。
いつもは誰かお客さんと一緒になるのですが、時間や曜日の関係かたまたま今日は男湯が私一人。まるで貸し切り風呂のような気分で「ナトリウム・塩化物泉」を味わいました。
かけ流しですから、お風呂の縁からどんどんお湯がそとに流れていきます。
私が入ると、当然さらに私の体積分だけお湯がじゃぁ~と流れるわけで「貴重な源泉、あら、もったいないなぁ」(笑)などと思いつつ、手ぬぐいを頭に瞑想にふけったのでありました。
そして浴槽からあがれば、私の体積分だけ湯の面が下がり、またお湯がたまればそとに溢れですわけで。ぼーっとひとりで水面(みなも)ならぬ湯面のその様子を眺めておりました。
ところが、屋内のお風呂でしたから風もないはずなのに、いつまでたっても、湯面の揺らぎがとまりません。
「なぜ、ずっとゆらいでいるのだ?」
そんな疑問が湧いてきました。
流体力学の専門家ならば、状況からその原因(原理)がわかり、説明もできますでしょうに。
さらに、詩人ならば、この状態を何か言葉で表現できるでしょうに。
浅学菲才の私には、どう表してよいのやらわかりません。
ひょっとすると、物理学者でもわかっていないことがこの現象に含まれているのでは?とか、これは宇宙の摂理の解明につながるような、すごいことが隠されているのでは、ニュートンだって、リンゴが地面に落ちるのを見てひらめいたというではないか!などと、私の小さな頭脳は事を大げさにしつつありました。
気が付けば、身体が少し冷えてきたような気もして、もういちど「ちゃっぽん」。
そうすると、さっきの妄想は、湯煙の中に消えて、ゆっくりと天井へ昇っていくのでありました。天井の水滴がぴちゃっと頭に落ちてきました。きっと当たり前と思っている自然現象に私たちが生きていくうえで役に立つ様々なヒントが隠れているのでしょうね。
おそらく、何も気づかずに生きてきたのであろう、どこまでも凡人な自分と向き合う時間でもありました。
これも一種の湯治でしょうかねぇ?(笑)
人生行路、まだまだ修行は続きます。
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