2010年3月5日金曜日

米沢興譲館高等学校


米沢市民ミュージカルの稽古日。
稽古に先立ち、ちょっと早めに米沢に入り、母校である山形県立米沢興譲館高等学校を表敬訪問しました。
もちろん、5月のミュージカルの宣伝でありますが…。

実は、母校の第35代校長先生は、ヒロセ純が2年次と3年次の担任をしていただいた蒲生直樹先生。
学業でも素行でも問題のあった生徒だけに(笑)30年以上経ても、しっかり覚えていただいておりました。
母校は、日本でも有数の歴史を持つ学校です。母校HPから蒲生先生の書かれた文により、ちょっと紹介させていただきますね。

(以下引用)
 米沢興譲館の起源は、古く米沢藩の藩校に遡ります。歴史を紐解けば、元和四年(1618年)、初代米沢藩主上杉景勝の重臣直江兼続の創設した学問所「禅林文庫」として発祥、さらに、元禄十年(1697年)、兼続の死後廃れていた学問所の、四代藩主上杉綱憲の聖堂及び講堂建立による再興を経て、安永五年(1776年)、九代藩主上杉治憲(鷹山)による米沢藩学館「興譲館」の創立に至ります。
 校名の「興譲」は、治憲の学問の師であった細井平洲の命名によりますが、言葉の由来は、儒学の聖典『大学』の中の、「一家仁、一国興仁、一家譲、一国興譲」(一家仁なれば、一国仁に興り、一家譲なれば、一国譲に興る)にあります。
(引用終わり)

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