2011年10月6日木曜日

18年前。

直近のブログ記事で書いたように、この度は「国際交流協会」という名前のつく団体3つとボランティア活動を通じて関わらせていただきました。突然何ゆえにヒロセ純が国際交流?と不思議に思われた方もいらっしゃるかも知れません。
とゆーことで、ちょっとしたエピソードを。
震災前のこと。友人から「ある冊子を偶然発見」とのメールを頂きました。
1993年に宮城県国際交流協会(MIA)様が発行した小冊子の一部。

中を開くと、宮城県では国際交流の先駆者と言ってもよい伊達藩士の支倉常長のミュージカル「ビバ!支倉」について取材していただいたときの記事です。英文併記で、実に丁寧に取材していただいていたことがわかります。この年、SCSミュージカル研究所としては、この取材に先立って、宮城県知事や仙台市長の親書を携え、オリジナルミュージカル「TAROH」のトロント公演、それに伴った子どもたちの交流事業も行っていました。
つまり、国際交流ってことでいえば、以外に昔から関わりがあったわけでして…。

取材を受けるヒロセ純32歳。髪長げーな。
年を減らすことは出来ませんが、体重だけは、もう少しでこの当時に戻せそうです(^^♪

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