2014年8月26日火曜日

想いを巡らし

子供の頃、地続きの隣の屋敷に住んでいた祖父が社会の先生だったのに、社会の成績は良くなかった。まぁ、全般的に学校の成績は良くなかったが「馬鹿な子ほど可愛い」という例え通り、祖父にはよく可愛がってもらった記憶がある。
授業や教科書は退屈だったけれど、地図を見ているのは好きだった。
今でも、特に海外に行くと、現地の本屋に立ち寄って必ずローカルな地図を探す。

今回の旅でも、幾つか地図を買ってしまった。
紙の地図は良い。
何しろすぐに書き込める。色が塗れる。畳んで胸ポケットに入る。電源不要。


今どきは(かくいう私も含め)スマホやタブレット端末を片手に道を探す旅行者が目立つけれど、紙の地図も手放せない。実際、今回ロンドンからサマセットに向かう際、たまたまナビの無いレンタカーとなった長距離ドライブでは、大いに役立った。
もちろん、野生の方向感覚も。

そして、もう一つの楽しみは、帰国後に現地で使った地図を眺めること。
それを広げた途端、カメラで記録していない、グーグルアースにも記録されていない光景が、無限に広がっていくのだ。

地図をじっと見つめれば、
そこに居るはずのない人の姿も見え隠れしつつ、
遠い旅の空の下に再び立つ自分がいる。

陽射しの温かさや、風の感触、鳥の声、
街の喧騒、体温まで連想して、
しばし、妄想の旅は続くのである。


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