2016年3月7日月曜日

恩師との時間

しばらく前に、下館和巳(しもだて・かずみ、東北学院大学教授)兄から「純ちゃん、興味あるんじゃない?」とお声がけ頂き、以来楽しみにしていた講義に出席した。先週末のことである。

『キーツのオード群再訪』。事実上、吉田信先生の最終講義である。


さて、その会場となっていた教室に入るなり、目が合ったのは、懐かしき恩師のお二人!
柴田良孝(しばた・よしたか)【中世イギリス英語英文学 】 先生 そして、遠藤健一(えんどう・けんいち)【18世紀イギリス文学、文学理論 】先生である 。

思わず「先生、お会いしたかった!」と言葉がこぼれた。 そして、迷わず両先生のすぐそばに自分の席を陣取った。
大学の教室という場所がそうさせたのか、一瞬にして私の感覚が30年以上さかのぼった。
私は英文学を東北学院大学で学んだ。いや学んだなどとは言えまい。バンド活動に熱中し、本や楽器を買うためのアルバイトに時間を費やし、決して褒められた態度の学生ではなかった私であった。
しかしながら当時の英文科の先生方は、そんな私にもたくさんのアドバイスや、授業を通じての示唆をくださった。お二人ももちろん。
特に遠藤先生は私がやっと卒業にこぎつけた時の担任(グループ主任)の先生。卒業証書を頂いたときに、教室で遠藤先生から「廣瀬君、よかったね、おめでとう。」と心のこもった声をかけて頂いたことは今でもはっきりと覚えている。

残念ながら、当時私が所属していたゼミの谷藤勇先生にお会いすることはもう叶わないのだけれど、吉田先生の最終講義を、恩師と机を並べて受けさせていただくという誉に与るなか、いつしか時は遡った。私が好きだった授業のひとつで「英語音声学」を担当されていた平河内健治先生のことも思い出していた。

一方、吉田先生は、キーツの深く美しい世界を、静かな口調の中で情熱的にお話しくださった。私はそのことばひとつひとつに、大変感銘を受けつつも時折、吉田先生の講義のお声の狭間に、30数年前に英国ロマン派の詩人たちの言葉を読んで聞かせてくださった谷藤先生の声まで蘇ってくるような感覚を得ていた。
講義のさいごに、司会の下館教授から「吉田先生に何か質問はないか」と促された私は、夢うつつのまま思わずその日の講義とはちょっとズレた質問をしてしまった。つまりはキーツの詩のなかでも学生時分に自分が好きだった詩についての質問である。
突然、キリギリスとコウロギの話題になったにも関わらず、吉田信先生は、静かな優しい口調で、丁寧に答えてくださった。

私には、そのお応えそのものが、静かなソネットの調べのように感じた。言葉に集中していくと、そこからどんどん音楽のようなものが聴こえてくるものである。
はからずも、吉田先生のご講義がきっかけで恩師との再会を果たすことができた。

有り難きは母校、そして、恩師との時間。



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