2018年9月19日水曜日

感謝。

劇団四季様より「浅利慶太 お別れの会」へのご案内を頂き、我がSCSミュージカル研究所主宰の梶賀千鶴子と共に、帝国ホテルの会場へと向かいました。

正直なところ、7月13日にご訃報に接して以来、いまだに言葉が見つからない状態です。しかし、昨日の会は、そんな気持ちにひとつの区切りをいただく機会ともなりました。

写真は会場にご案内頂いた直後。このあとお別れの会には続々とお見えになり、政財界、芸能界、演劇関係者約1300名の方々が参列されました。
開式を告げる銅鑼のあと、竪琴を含め10名編成のオーケストラが、静かに『ゲッセマネの園』のメロディーを奏で始め、私は大きな笑顔の先生の写真を見つめながら、最初の4小節ですでに涙が出そうになりました。
浅利先生のメッセージなどをまとめた映像などが紹介されるなど、お式は進み、私たちは、ご案内に従い白いお花を一輪手向けつつ感謝と祈りをささげて参りました。


そして、私たちは献花のあと少し時間調整しながら移動し新幹線に乗り、6時間後には二人とも仙台の稽古場に居りました。

「もう、稽古場へ戻りなさい」

私たちはそんな先生の声を聴いていたように思います。昨日のお別れの会でも映像などで紹介されておりましたが、文字通り「演劇に人生を『捧げ』られた」浅利先生。きっとそう仰ったでありましょう。

1970年代から80年代に浅利先生のお傍で台本作りや演出補を務めた梶賀センセの経験には遠く及ばず、私は平成に入ってから年に1~2度お会いする程度のお付き合いでありましたが、その度に多くの示唆に富んだたくさんの言葉を頂きました。
たとえば昔SCSの稽古場があった愛宕橋近くの小さな店で鰻を食べながら、チケット販売の事や、コンピュータの話…。なかでも、劇団四季のいわゆる全国公演の始まりの地が仙台であったことに端を発した、芸術体験の平準化のお話などは、今でも胸に響いています。


浅利先生、それらの言葉はまさに万巻の書を読むに匹敵するような私の大切なたからものであります。

これまでも、そして、これからも。

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