2020年7月4日土曜日

今即ち過去

近頃はデスクワークが続いている。

例えば自分のデスクで稽古場で進んでいるリモートレッスンを監修しながら、さっき行ったオンラインミーティングを録画したものを題材に、大学の授業で使う教材を編集している。それだけではなく、VHSやHi-8時代のテープに収録された作品たちのアーカイブ作業を同時進行させている。無意識にPC3台を使っていた。


そこでふと考えた。
「今」はどこにあるのだろう。

リアルタイムと思われるリモートレッスンさえ、回線や回路を通ってくるのにレイテンシーが生じている。それでは、今、手にしている4つめのCPUであるスマホで撮影した写真かな?否、写真は「今」じゃない。ものごとをめんどくさく、理屈っぽく考えるのもおもしろものである。
考えてみれば、記録映像をアーカーブして未来に残すなんてのも、不思議なことで、自己矛盾を孕んでいる。「今」は、文法上のtenseとしてしか存在し得ないのだろうか。

写真や動画にいるわたしは、あなたは、今どこにいるのだろう。

ひょっとすると、今「生きてる」ってことは、
単に「時間がある」ということなのかもしれない。


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