山すそのカフェで、ランチが運ばれてくるまでの間、窓の外の色と音を楽しむ。
トンボがじっと草の先にとまっている。蝉の合唱はまだ元気が良いけれど、その調べはあきらかに夏の終わりのトーンだ。 時折小鳥や蝶が眼前を去来する。
窓枠で切り取られた景色を見ているだけでも、なんてこの世は生命に溢れているのだろう、と思う。この世は生命の大河だ。
「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」と鴨長明さんはおっしゃった。
季節は同じように移っても、去年の自分、5年前、10年前の自分とも違う別人が今外を眺めているのである。我が体内の細胞たちも一年で大体入れ替わるらしい。つまり、今日の自分が一番新しい。
コロナ禍でどうしても室内にこもりがちだが、短い時間でも自然と向き合い、そしてお稽古場に身を置き子どもたちと向き合う。
次の一手、道標はその繰り返しから見えてくるに違いない。
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