書道。
幼いころの話であるが、いわゆる「お習字」の教室に通っていた。
確か小学1年生から5年生ぐらいまで。
5年生には剣道を始めていたから、多分その頃に「お習字」をやめたのであろう。
お習字の先生の名前は太田先生。美しく上品な雰囲気の方であったことを覚えている。しかし正直なところ、当時、虫とりやザリガニ釣りなど外遊びに夢中な私は、なかなか「お習字」は好きにはなれず(課題に対して練習しその成果として毎回3枚の清書を先生に提出しなければならないのだけれど)3枚書いてそれを清書として提出してお教室を出てきてしまったこともしばしば。つまり半紙を3枚しか使っていない。
だが太田先生は、練習しないで清書としたものをすぐ見抜かれて、時々それを「差し戻し」された。そして私はしぶしぶ書き直した。たいていそんな日は親に内緒でお習字のあとに友達と遊ぶ約束などをしていたから、差し戻しされたところで気もそぞろ。
しかし太田先生はそれも見抜いておられて「こころを落ち着けてお清書したら、遊びに行ってらっしゃい」とおっしゃられた。
「見抜かれている」というバツの悪さと、「赦していただいている」という安心感。子どもながらにそんな奥の深い不思議な感情を得たことを覚えている。
さて、昨日は東北学院大学教養学部設置30周年の記念祝賀会のお手伝いをさせていただいた。私の役割は、前半アトラクションの進行と、最後に校歌を歌うお役目。
私の役割はさておき、写真は、その前半アトラクションのなかで尺八の演奏とコラボレーションされた書家の後藤歩さんによる「飛翔」という文字。
青い色は、学校のイメージと空のイメージが重ねられているのか、その上をまさに飛翔するように文字が躍動している。
後藤さんの揮毫を拝見しながら、私は、ふと幼いころの「書」にまつわる不思議な感情を思い出していた。
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