この世に生を受けてお月さんを観た一番古い記憶を辿ってみると、生まれ故郷米沢の土手の内町(現在の松ヶ岬2丁目)に住んでいた頃の自分にたどり着く。
私の家は母方の祖父母の家の裏手にあった。家に入るには通りから祖父母の家の脇の細い砂利道を通っていく。細道の片方はブロック塀、反対側はおじいちゃんの手入れする植木や畑のある土地だった。
夜になると、おじいちゃんの家から漏れる微かな光を頼りに歩く。細道側の縁側にしつらえてあった白熱灯が点いているときなどはラッキーだったが、その細道は子どもにとっては一人で通るのにはちょっと怖い道だった。
砂利を踏む音が、足を止めても聞こえてくるような妄想にとらわれながら歩いたものだった。
けれども、月夜は違っていた。
月夜には自分の影が砂利道に出来るくらい、しっかりとお月さんが足元も周囲も、空をも照らし出してくれていた。その明かりは人一倍怖がりの僕の妄想を吹き飛ばし、いつもより強くなったような気分となって自宅の玄関を目指したものだった。
昨夜は、中秋の名月。
事務所からではお月さんが見えないので、裏手の通りまで出てみた。
「ほう、美しく輝いていらっしゃる」
手持ちのスマホで撮ってみた。
道路付近は白とびでNGだが、月や雲の様子は何となくわかる写真。
しかし、恐らくどんな手段を用いても、昨夜の月は再現できない。
雲間にのぞいた平成29年中秋の月は、
凛としながらも妖艶さがにじんでいた。
生きているから「記憶」に残る。
死んだら、記憶はどこへ行くのだろうか。
昨夜の月は、一瞬にして僕の過去をあまねく照らし、
幼い頃の記憶まで蘇られてくれた。
と、同時に、わが身に忍び寄る老いを微かに感じた。
会いたい人には会えなくなる前に会うべきだ。
そうして月明かりは、
あの時のように、
僕をまた少し強くしてくれたような気がした。
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