2015年1月16日金曜日

あの日から…明日で20年。

神戸で行われる「ひょうご安全の日のつどい」に宮城県七ヶ浜町で活動する子どもたちのミュージカルグループ、NaNa5931(なな・ごーきゅーさんいち)の小学生たちがお招きを受けて、地元の小学生の皆さんと式典の中で合唱をすることになりました。

本日夜に、出演該当者たちは仙台空港から神戸に向かいます。昨夜は、定例のレッスンのなかでそのイベントの為の確認作業が行われました。梶賀千鶴子先生から、お稽古場にて出発前の最終アドバイスを頂きました。


明日はHAT神戸で行われる追悼式典のなかで、地元なぎさ小学校のみなさんと一緒に「しあわせ運べるように」という曲を合唱することになっています。また、 第2部ではNaNa5931によるダンスと歌のパフォーマンスも披露させていただく予定です。

あれから20年経つのですね。
その頃私は、毎週日曜日に放送されていた「今、きらめいて」というドキュメンタリー番組(新潟を含む東北七県ネット)の案内役をさせて頂いておりました。そのせいもあってか現在よりもはるかにTVをつけている時間も観る時間も多くありました。当時TVに映し出された神戸の画面を観ながら、にわかにはそれが現実とは思えずに、翌週の生放送で、何とコメントしたらよいのか苦しんだ記憶があります。

一方私はTVを観ることのほかに「パソコン通信」といって、PCとモデムをつないでテキストベースでのネットワーク通信を行う「ニフティ―サーブ」というものに加入し、PCを使った情報収集もしていました。まだインターネットなど普及する前の話です。そのニフティ―サーブの中で、個人から発信され飛び交う地震情報は、TV映像から想像するよりもはるかにリアリティをもって伝わってきていたことが思い出されます。

今や、パソコン通信という言葉は聞かれなくなり、インターネットを通じて、画像や動画を簡単にやり取りできるネットワークが発達しています。そして、東日本大震災を体験した私たちは、コンピュータを通じた様々なかたちでのネットワークの重要性、有用性を肌で感じています。回線を通じたネットワークは勿論ですが、PCや電話が震災時に使えるとは限りません。
何より人的ネットワーク、これが重要です。
私たちは、情報があっても、現金があっても、街の真ん中でも、ひもじい思いをした経験を持っています。
お金が価値を持たなくなった時に、私たちが必要だったのは、助け合える関係とその仕組みでした。

兵庫のみなさんもそうだったように、宮城に住む私たちも、全国から、世界から、たくさんのご支援を頂いてきました。今回の追悼式典に兵庫県からNaNa5931にお声掛けいただきましたこと、大変光栄に感じています。そして、お招きいただいた子どもたちは、被災地、被災者という共通の立場から生まれる、さらに新しい絆を感じているようです。NaNa5931のプロデュースを仰せつかっている立場といたしまして、この場をお借りし関係各位に心からの感謝を申し上げます。

私の事務所には、今朝もNaNa5931が歌った「ほんとうにほんとうにありがとう」という歌の楽譜が欲しいという、仙台市内に住む年配の男性がお見えになりました。
被災地では、ひとそれぞれに、震災の傷の癒し方があるようです。私たちの活動が少しでも、そうした方々のお役に立てることがあれば幸いです。

NaNa5931のみんな、 
明日は神戸の空に、
東北の子どもたちの元気な声を
響かせてきてくださ~い!


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