2015年1月31日土曜日

雪でした

仙台ではこの冬一番と言われた昨日の降雪。

少しずつ道路にも雪が積もり始めた午後に、研究生の一人が自主トレーニングのために事務所にやってきた。マスターコースの研究生は、稽古場の空き時間を自由に使うことが出来るという特権を持っている。

「ちょっと買い物していたらこんなのを見つけたので~」と差し入れを頂いた。


お酒が好きなセンセと、甘いものが好きな純さんの両方を満足させるような憎い演出の差し入れではないか!(笑) 中にはお酒の香りのする上品なスポンジケーキ風のお菓子が。もちろん事務所に居合わせたみんなでお茶の時間に頂いた。

頂きながら「ちょうど、今夜は友人と一献約束があるから、こりゃ雪見で一杯かな」などと、胸を膨らませ、間もなくそそくさと机を片づけると、事務所を後にして国分町へと急いだ。


約束の店の近くまで来て、何気なくケータイを見ると「今日はこの雪だから宴は見送りましょう」という主旨のメールが届いていた。う~む。確かに。大雪警報も出ていて、仮に宴をやったとしても、このまま降り続いたんじゃ帰りのタクシーは捕まらないだろうなぁ。 周囲は意外に人影が少なく、大通りは少し渋滞が始まっているようであった。ということで、あえなく夜の部の予定変更で個人プレー(^^♪

今も雪国の米沢通いを続けている米沢人生まれの拙者にとっては、フツーの降雪光景でも、雪が降るという前提のない街に雪が降れば、大変なことになるのである。この程度でも「警報」なのである。
メールでは「さすが米沢人」とあったのだが、雪ってのは、たいした問題じゃないと思っていたなぁ。35年仙台に住んでいても、認識が甘かった。 不謹慎にも雪が降ってくると皆さまのお困りとはうらはらに一寸ワクワクさえしてしまうのだ。

空を見上げたら、なぜか「猫」というバンドの「雪」という曲を思い出した。


吉田拓郎さんの作詞作曲。1972年のなぜか夏にリリースされた曲。しっかり歌詞もメロディーも覚えている。
メロディーを口ずさむと、昔米沢の真ん中にジャスコがあった頃、その前の広場あたりで、降ってくる雪を見ていたことが思い出される。
しか~し、この曲、1972年?…ってことは、拙者11歳。どんな顔して聴いていたのでせう。けっこうマセタ小学生だったのかも。ぁハハ。


2015年1月30日金曜日

七七焼き

鎌倉に七里ヶ浜(しちりがはま)という有名な浜があります。
一方、宮城県には七ヶ浜(しちがはま)という町があります。
名前が似てますね。

そんなご縁で、震災後、七里ヶ浜の皆さまから七ヶ浜町にむけて、様々なかたちでのご支援を頂き、交流が深まっています。
今年も、七ヶ浜町の子どもたちを七里ヶ浜でのイベントにご招待いただきました。

昨夜、七ヶ浜国際村のお稽古場でいただいたチラシです。



何だか楽しそう。

ちょっと、気になったのが、チラシの裏にあった「七七焼き」。
どうやら、七ヶ浜と七里ヶ浜、それぞれの特産、海苔とシラスのコラボレーションのようです。
どんな焼き物なのでしょう。
興味津々(^^♪


2015年1月29日木曜日

「ヴェニスの商人」学生たちの表現

東北学院大学の教養学部に「俳優修業ゼミ」という一風変わったネーミングのゼミがあります。
今日は午前中から、そのゼミで上演する作品の稽古場にお邪魔していました。

何ゆえに大学の教養学部で俳優修業?と思われる方もいらっしゃるでしょう。私も不思議に思った一人でした。しかし、そんな私も今やこのゼミの芸術顧問を拝命し、学生諸君が仕上げに入る前など舞台制作を生業とする立場からのアドバイスをさせて頂いています。とにかく楽しい現場で、最初に関わった時からひきつけられるものがありました。

ここは、芸術大学や芸術学部とはちがって、特に演劇論や美学、またはスタニスラフスキーシステムなどを学んだり研究したりすることはありませんが、言語文化や、地域構想、人間科学などを研究している学生たちが、シェイクスピアの作品を自分たちなりに研究、解釈し、上演するところまで挑戦するという場です。
ゼミを主宰されているのは、シェイクスピアの専門家でもある下館和巳教授。下館先生の指導の下、学生諸君は、日々作品上演に向けての準備を進めていきます。そのプロセスの中で時折私のような者でもお役に立てることがある、というわけです。

普通の劇団でもありませんし、大学の演劇部でもありません。まして商業演劇とも違います。教養学部の各学科でそれぞれ専門的な知識を身に着けつつ、それらを生かしながら、シェイクスピアを読み解き、自分たちの身体で表現するところまでこぎつけます。若い頭脳が集結してアカデミズムのなかで練り上げられる内容は面白さ満載です。

今回は通し稽古を拝見しアドバイスするという作業でした。今日は、私もハッとするような新しい解釈や表現を見つけました。今回のゼミ生諸君が冒険と試行錯誤を繰り返しながら作り上げていることがよくわかり、またその真摯な取り組みに感動しました。

創りあげる過程では、協調性や意見交換能力、アイディアを組み合わせていくこと、厳しい条件下で課題をクリアしていくための発想力が培われていきます。
それらは、どれも社会生活においても非常に重要なものばかりです。そうしたことが、このゼミでは達成感とともに味わうことができます。

ご興味のある方は、ぜひ一般公開される上演の様子をご覧いただければ幸いです。
どなたでもご覧になれます。学生たちによる「ヴェニスの商人」。
フレッシュです。


(チラシはクリックで拡大できます)

尚、観覧ご希望の方は、ご希望の方は(客席に限りがございますので)チラシのメールアドレスまで、事前にご一報いただければ幸いです。


2015年1月28日水曜日

読書法

皆さんは、どんな状況、どんな方法で本を読まれるのだろう。
きっとそれぞれに、違った読書法や楽しみを持っていらっしゃるに違いない。

SCSミュージカル研究所では、研究生に対し読書を推奨している。
別に宿題にしているわけでもないが、本を読むと報告してくれる子たちがいる。これは嬉しい。
一昨日も、研究生が結構な分量の感想文を持って、お稽古が始まる前に事務所のドアを叩いてくれた。 この春、高校を卒業する彼女の感想文は、瑞々しい感性に溢れ、私自身も感心させられるような場面も多い。
一方、読んだ本のイラストを必ず書き入れてくる子、まだ文字の書けない幼稚園児は家族に読んでもらった絵本からの印象を絵にして持ってきてくれたり、また、感想文の中に自分のちょっとした悩みや課題などもちらつかせてくる子もいる。とにかく、読むことと書くことがリンクしていることが大切だと感じているし、こちらも研究生たちが書いたものを読むのを楽しみにしている。
その昔は「お父さんのパソコン借りて書いた」と言って、「自作小説」を持ってきてくれた中学生にはびっくりした。

翻って、不肖ヒロセ純の読書法は…
ぁあ、全くなっていないと感じてしまう。
ふと机の端に目を向ければ、読みかけの本が積みあがっている。


あちこちかじり読みで完読するまでいつも時間がかかる。
こんな散漫な読書法は、非効率的なのでは、読書の意味が薄れるのでは、などと一抹の不安を感じながらも、「まぁ、読まないよりはいいのでは」とか、「いろんなことに興味があるだけでもいいんでない?」「ボケ防止にもなるかな(笑)」などと、自問自答する日々。かといって「とにかく読破」などという気概もなく、また新しい本を読み始めたり。中途半端なのである。

しかし、不思議なことが起きる瞬間がある。積み上げた本たちに、ふと縦糸が通ったように感じる瞬間だ。著者も時代も分野も違うのに、書物に書かれていることたちが、突然3次元化するような瞬間。
それはそれは楽しい瞬間。悦楽なわけで…

きっと今後もこんな調子で人生をやっていくのであろう。

2015年1月27日火曜日

仙台フィルハーモニー管弦楽団演奏会

仙台フィル、仙フィルと僕たちは親しみを込めてオーケストラの名を呼ぶ。
わが街のオーケストラだ。
仙台フィルハーモニー管弦楽団は、震災後も様々なかたちで音楽を通じての復興活動に励んでおられる。

個人的に友人たちが楽団員として居るということもあり、東北学院大学の授業の中でご協力を頂いたり、たまに一献やったりという関係が続いていて、そうしたなか何より記憶に残るのは、震災直後に日生劇場の作品「アリスのコンサート」の被災地公演をコーディネートさせて頂いた際に、仙台フィル9重奏団とともに3年にわたり岩手、宮城、福島の3県を巡らせていただいたことだ。
公演の少し前まで遺体安置所や避難所になっていた場所へも、日生劇場の皆さんと仙フィルの皆さんは、楽しく明るい音楽を届け続けた。当時の子どもたちの歓声は今も私の耳に残っている。

さて、その仙台フィルハーモニー管弦楽団が、いよいよ2月8日に七ヶ浜国際村にもやってくる。
なんと、プログラムの最後には、地元のミュージカルグループNaNa5931との共演も予定されているのだ。(チラシはクリックすると拡大してご覧になれます)



実は、昨年夏にも仙台フィルのコンサートでNaNa5931はアンコール曲での共演を成功させていて、その時の好評を受けての今回。地元七ヶ浜の子どもたちにとってもフルオーケストラとの共演はめったにないことで、大変楽しみにしている様子である。会場の七ヶ浜は、津波被災地ということもあり、毎週この町に通う私たちにとっても様々な意味において感慨深く、またNaNa5931のプロデューサーという立場からしても、とてもありがたいことである。

間もなく4度目の3.11を迎え、震災後5度目の春を迎えようとしている。
SCSのキッズクラスには震災後誕生した子供たちが通い始めているし、被災地も日々その様子を変えている。そして、支援の形も少しずつ変化を見せているが、一方で震災の記憶や教訓の楓佳という声も耳にする。
一方、被災地で活動する我々なりに手を携えて新しい舞台や音楽を模索し続けていることも事実。キーワードは相変わらず「子どもたちの笑顔」である。


2015年1月26日月曜日

物理学教室

一昨日は早寝しようと思ったのですが、NHKの番組で三島由紀夫のことをやっていて、見入ってしまった。今年で生誕90年、没後45年なのだそうだ。

三島由紀夫が自決した時、僕は小学生であった。朝日新聞だったかアサヒグラフだったか、その時の写真が子ども心に大変衝撃的だったことをはっきりと覚えている。

TVを観ながら、いろいろなことを思い出していた。「金閣寺」を図書館から借りてきて読んでいたら、母親にもっと他に読む本が無いのかと不機嫌に言われた。三島由紀夫の書物は当時、子どもが読む本ではなかったらしい。三島の事件の翌年だったと思う。全く内容は理解していなかったはずだが、母親は何か訝っているようでもあった。子どもは読んじゃダメなんて言われたら読みたくなるのが常。市立図書館が自宅から近いこともあり次々と三島の本を図書館から借りてきていた。けれども私の三島熱はそう長くは続かず、いつしか興味は音楽や詩に移って行った。

中学校に入ってからは、北原白秋と八木重吉がお気に入りになった。八木重吉は若くして逝った叔母の影響もあるが、北原白秋はなぜ好きなのか今もわからない。中でも柳川をうたったものや物理学校の詩が好きだった。
当時私が住んでいた米沢には、山形大学工学部の古い建物がいくつか残っていた(今も歴史的建築物として旧米沢工業専門学校本館は大切に保存されている)。そこで叔父が教鞭をとっていた関係もあり、時々遊びに出かけた。敷地内にある古い建物の陰に行っては「物理学教室はこんな風だったのかなぁ」と想像しながら「陰鬱」という漢字を書いてみたりしていた。山大には10歳年上の従兄も通っていて、レッド・ツェッペリンのコピーバンドをやっていた。私の音楽趣味はまちがいなくこの頃のことが影響している。きっと変な小学生だったに違いない(笑)

時は流れ、仙台に移り住みしばらくして、東北大学の片平キャンパスに旧制二高時代の「物理学教室」が残っていることを知った。私が白秋の詩に見た建物とは大分雰囲気は異なっているのだが…。

偶然、先週火曜日、散歩のついでに、その建物を写真に収めていた。

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しかし、なぜ物理学教室に惹かれるのか。
記憶をたどると、子どもの頃に感じていた、
時空を超えていくような、
心が内側に向かっていくような、
それでいて心躍るような
面白い感覚がよみがえってくる。


2015年1月25日日曜日

ちょっとオタクな日曜日

昼前ぐらいに、七ヶ浜町のミュージカルグループNaNa5931現地指導スタッフから「午前中の新春イベント無事に終了しました~」という連絡が入りました。
地元の松ケ浜小学校の多目的ホールでのイベント、出前したパフォーマンスが好評だったようで一安心。みんな、お疲れさま!本日のミッション完了ありがとう。


同じころ、仙台にあるSCSミュージカル研究所の稽古場では、キッズクラスの日曜日チームが、元気に体を動かしていました。


キッズクラスは春に発表会がありますからねぇ、それぞれに課題に一生懸命取り組んでいます。それにしても、キッズクラスの子たちは何をやっても可愛い…気が付くと孫を見るような目になって、ニコニコしてしまっている自分に出会います(笑)。

一方、今日は個人的にOFFの予定でありましたから(でも結局朝から事務所に居るワタシ)、午後からは、購入したもののまだ観ていなかったDVDの鑑賞です。
今日はそのうちの1枚、「イングリッシュ・ペイシェント」(1996年作品)。ペイジェントじゃないですよ、 患者という意味のpatientです。162分の作品ですので、なかなかまとまった時間を見つけられずにおり、週を区切る気分転換にちょうどよかった。
パソコンの画面ではありますが、音声はヘッドホンで聴いていたので、久しぶりに映画を観た気分になりました。後半は、涙腺を刺激される場面が随所に。


さすが当時アカデミー賞を9部門受賞というだけありますね。映像構成やラブストーリーとしての魅力もさることなら、登場人物が、多国籍なのには驚きました。フィクションとはいえ、物語の背景には第2次世界大戦があり、国籍って何だろう、とか、一体全体、国って何だろうなど、ここ数日のニューズの影響もあるせいか、あらためて考えてしまいました。本編で、日本やアジアについては全く触れられていませんが、先日読んだ「新・戦争論」のことも少し思い出しました。

あぁ、そうこうしているうちに、もう夕方になってきて、窓には闇が忍び寄ってきています。
ちょっとオタクな日曜日でしたが、よい一日でした。
さてと、今週も楽しまなくちゃ(^^♪


2015年1月24日土曜日

台本、吹雪の夜。

昨夜は山形県米沢市に居りました。
地元のミュージカルグループ「伝国座」の定例訪問指導日です。

私たちにとっては、今年初めての伝国座お稽古場訪問です。
まず、みんなで新年のあいさつを終え、昨年のSCSリーディングマラソン(読書量コンテスト)に米沢から参加してくれた子どもたち一人ひとりに記念のプレゼントを進呈しました。

米沢市の村野図書館長からも、新年のご挨拶とともに、たくさん本を読んだ子どもたちへお褒めの言葉を頂きました。

次に、この春、山形県川西町で行われる子ども演劇祭向けの台本配布です。
「ばる~ん」(作:梶賀千鶴子、音楽:ヒロセ純)という短い作品ですが、中身は濃いですよ~!

センセから直々に台本を頂きます。



台本を受け取ったメンバーは、皆一様に嬉しそうな顔をしています。
新しい台本って、いいですね。

おっと、こういう場面を見ていると、他のお稽古場、すなわち仙台や七ヶ浜の子どもたちのうらめしそ~な顔もちょっと脳裏をかすめます(笑) SCSやNaNa5931のみんな、こうして今年も新しい作品いただけるように、お稽古に励もうね!


台本読みなど、一連のお稽古を終えると最後に伝国座の松田代表から、暮れに伝国座が訪問公演をした社会福祉法人成島園(特別養護老人ホーム)や興譲教会など出張公演先の皆さまから、お礼の手紙や寄せ書きを頂いたという報告がありました。

ふと、窓の外に目を移すと、すごい吹雪です。外にある柱の片面だけに雪が張り付いているのがお分かりでしょうか。


強い風で天上のほうから建物が風を切るような音が聞こえています。そんなお稽古場ですが中はとても暖かい。私は子どもたちに自分が小さい頃の冬の記憶を少しお話ししました。冬の記憶は悪いものばかりではありません。子どもたちはすぐに私が話した状況や風景を連想してくれたようです。感覚を共有できることがとても素敵に感じました。
風土は子どもたちの人格形成にも大きく影響します。いにしえから偉大な先人を多く輩出している素敵な土地に生まれ育っていることを感じてほしいと願っています。

夏は日本屈指の最高気温、冬は豪雪。そんな米沢ですが、私の故郷でもあります。そしてその米沢で、毎週のお稽古や、地元発信の舞台作品上演、社会福祉活動など真摯な取り組みを続けている伝国座メンバー。彼らががんばる限り、吹雪の夜であろうが、灼熱の夏の日であろうが、喜んで通い続けたいと思っています。


2015年1月23日金曜日

三陸の牡蠣

雨模様の仙台ではありましたが、昨夜は国分町にあるオストラ・デ・オーレというお店にて、友人、さらにその友人など数人での宴を催しました。


昨年秋に国分町にオープンしたお店です。ふとしたはずみで友人と入店したところ、牡蠣が大変美味しかったので、また楽しみたいと、昨夜も予約したというわけです。

公務員、団体職員、巨大企業の社員、会社経営者…仕事上は全くと言っていいほどつながりのないメンバーですが、ひょっとすると「震災」という共通言語が私たちを結びつけているのかなと思う瞬間も何度かありました。それにしても、話が進むにつれて、いろんなところでの共通の友人がいたり、繋がっていたりと、世の中の狭さを痛感するとともに、ギョーカイの違うメンバーとの宴は果てしなく楽しいものです。お集まりいただいた友人諸氏に心からの感謝。

ところで昨夜は面白いお酒が。写真は、一ノ蔵というお酒を海底25メートルぐらいに沈めておいた「海の蔵」とかいうお酒。ビンが汚れているのは、海底でフジツボや藻類が付着したのを取り除いた痕跡だとか。


三陸の漁師との連携によるオイスターバーというのが売りのお店。

おいしい牡蠣とお酒をいただきながら、いつしか私は、震災後廻った沿岸部の浜の様子を思い起こしておりました。


2015年1月22日木曜日

若返り教室(^^)/

今日は秋保(あきう)温泉に行ってきました!
でも…温泉につかりに行ったのではございません(^^)

仙台市広瀬市民センター主催「老荘大学」というところに、講師としてお招きいただいての出張です。


「若返り教室」ってタイトルで全10回シリーズの8回目を担当させていただきました。
不肖ヒロセ純、ギター1本晒に巻いて(笑)馳せ参じ、大先輩方を前に、音楽に関わる話や地元でのミュージカルづくりなどの話題を中心に講話&精一杯歌唱させていただきました。(基本的に「座学」なのですが、写真は90分の講座の途中、みなさんにちょっとお立ち頂いて一緒に歌っているところです。)


こういうお席で歌うのはは初めてでしたから、内心ドキドキでしたが、いやぁ、思いのほか、ご参加の皆さまに楽しんでいただけたようです。後半はリズムをとったり体を揺らしながらお聴きいただいている方も(^^)/
いろいろなものに興味を持ち、積極的に行動される方々ってのは、いくつになっても素敵ですね。

何だか私のほうが「若返った」感じのある、気持ちのいい時間でございました。


2015年1月21日水曜日

大寒散歩

大寒の昨日、珍しく万歩計は1万3千歩近くになっていた。
すなわち歩数換算でいうと9キロメートルぐらい歩いて、脂肪は20グラムぐらい減った計算(笑)
夕方からは、多賀城で新年会が控えていたから、朝からクルマに乗るのをやめていたせいもある。

しかし、そんなときに限って忘れ物をしたりして、予定外に多く歩く羽目になるものだ。同じ道を4回も通った。大寒の仙台は、晴れていたけれどニュースになるぐらい風が強かった。気温も上がらず文字通りの大寒。けれども、せっかく歩いているのだからと、カメラを取り出しお気に入りの風景を撮ってみた。

東北大学片平キャンパスにあるメタセコイアの並木。


葉っぱがたくさんある時期も素晴らしいが、意外に、このスカスカ枝の時期も好きである。
何しろ、生きた化石と呼ばれている植物。


ひとつの種としてこの地球上で数百万年もいのちをつなぎ続けているということに、畏敬の念さえ覚えるのは私だけであろうか。スカスカに見えるこの木の中で、つぎの生命へとつないでゆく準備が着々と進められているのだ。そうした営みを何百万年も…

夕方からは、仙石線に乗ってはじめて中野栄駅というところで降りた。初めて降りた駅。そこからしばらく歩き、多賀城のR45沿いのしゃぶしゃぶのお店で、新年会。


食べ放題ということで、前半戦は20人弱の新年会参加者みんな厳かに(無口で)宴がすすむ。後半の写真は撮っていない(笑)。そのあと私は塩釜をめぐって馴染みのバーで飲んだ後、最終電車で仙台へ戻った。

20グラムぐらい減らした脂肪に対して200グラムぐらい脂肪を蓄えてしまったような一日

仙台へたどり着いた頃には折からの強風はすっかり収まっていたから、今日の自分への償いとして、また歩いてみた。


2015年1月20日火曜日

トップランナーの言葉

時々私も拝読させて頂いているブログ。
今日は、こんな書き出しで始まっていた。

「食べないと大きくなれないよ」と「食べると大きくなれるよ」の二つ。
どちらが良いか? どうも後者らしい。


喜多流能楽師 粟谷明生のブログ」というタイトルのそのページでは、時折私は大切な「気づき」を頂くことがある。ブログの文章はこう続く。

このことを画家の蜷川有紀さんにお話したら「主語と述語どちらが大事か、と言えば、人間の脳は最後に聞いた言葉が頭に残るので述語が大事」と説明して下さった。
「大きくなれないよ」よりは「大きくなれるよ」を脳に響かせると効果が大であるならば
稽古指導には「だから上手くならない」を最後に言わず「こうすると上手くなる」と言うように心がけようと思った。


「なるほど」と独り言が口をついた。そこで私は、ちょうど昨日、お能に関する稚拙な文章を書いたばかりであったから、粟谷先生に今日のブログの引用させていただきたいとの旨連絡をしたら、ご快諾をいただいた。

実は昨年、SCSミュージカル研究所では、粟谷先生をお招きして稽古場で能楽体験講座を催している。
その折にだったと記憶するが、私が「舞台作品や自分のライブのクオリティを上げたいが、なかなかやることが多すぎて…」というような発言をしたとき、粟谷先生は「廣瀬さんは、ご自分で作詞もなさる、曲も書かれる、さらに舞台にも立たれる。まるで世阿弥のようですね」とおっしゃられた。
一流の能楽師からそのようなお言葉を頂戴すると、単純な私とたんに舞い上がるような気持ちになった。いろんなことに挑戦できることが嬉しくなった。 ちょっぴり後ろ向きな気持ちになりかけていた自分が居なくなった。
以来、私は「やることが多い」というエクスキューズは言わないようになった。

トップランナーの言葉には、いつも深さと広がりを感じるものだ。
粟谷先生の言葉に、 人を動かす、稽古をつける、ということの極意を垣間見た気がしている。




2015年1月19日月曜日

人生七掛け

数日前から「風姿花伝」を読み直しています。
告白すると、学生の頃、そして20年くらい前、過去に2度ほど手にしています。しかし、こんな薄い本にも関わらず、それぞれに読破できませんでした。しかし、今回は何とか読み終えました。すると、これまでとはまた違った印象、発見があったのです。

特に風姿花傳第一にある「年來稽古條々」。


「七歳」から「五十有餘」まで人生を7段階に分けて、お稽古の仕方について説かれている部分なのですが、様々な指南書やビジネス書などに取り上げられていますから、ひょっとするとご存じの方も多いかもしれません。

世阿弥の父君観阿弥が50代で亡くなったとはいえ、なんで50歳までなの?、と昔は不思議に感じておりました。しかし、現実に自分が50歳を過ぎてその半ばに差し掛からんとする年齢になり行く末を想う年頃、少しだけ実感がわいてきています。世阿弥はこの書を39歳で書いたと言われていますから、今頃人生を見渡す気持ちになっている凡々人の私と天才の違いを実感します。

そこで、人生50年と言われた世阿弥先生の時代とは違って、今や人生80年と言われているわけですから、勝手に当時と現在の平均寿命で案分してあてはめてみました。つまり七掛けです。すると、現在の私は、年來稽古條々で述べられているところの「三十四、五」にあたります。(うひょ~、若返った感じ(^^)/)読者の皆さんは七掛けするとお幾つぐらいになられるのでしょう。

さて、私の場合該当するそこを、丹念に読んでみると…なるほど、なるほど!そうあるべきなんですね。ちょっと私にはハードル高いけれど、勇気が湧いてきますねぇ~。
私ごとき浅学の身で花伝書に関するコメントするのは恐れ多いのですが、この本は、読めば読むほど、芸事にも、武術にも、ビジネスにも応用できるんじゃない、ってことが書いてあるのです。

ことばには時空を超えて人を動かす力があるんだなぁということを実感する書物です。

一方、巻末にて「校訂者のことば」という西尾実先生の書かれた文章の中に、ちょっとドキっとする表現がありました。
岩波文庫版のなかで、ここにその一部を引用させていただきますと…

「来るべき文化の創造は、近代の出発にあたって否定された中世的なもののなかに潜む、否定することのできないエネルギーの発掘に負うところがなくてはならない関係にある」

という部分です。

昭和33年の夏に書かれた言葉とされています。翻ってわたしたちは、一体これまで中世的なものに対して、ちゃんと向き合ってきたのかどうか、強い反省を求められているようにも受け取れました。私たちはこの文に示されている「来るべき文化の創造」の時節に立っているのではないかと。単なる思い込みでしょうか。

恥ずかしながら、この本の共編者となっている野上豊一郎博士が、戦前すでに外務省の派遣により英国ケンブリッジ大学で世阿弥の講義を行っていたことは全く知りませんでした。その野上博士へのリスペクトも感じられる西尾実先生のことばには、風姿花伝や世阿弥の思想を紹介することで、次の世代へ何かを託そうとなされたのではと、世界の中でのニッポン人として動くヒントが、隠れていると。そういう思いがあったのではと想像しています。。

明治、大正、昭和と激動の日本にあって、 数百年前の舞台芸術家の思想、そこから生まれ今も継承されている日本人としてのアイデンティティの重要性を私たちに紹介しようと努力して下さった先生方のお仕事は、まことに偉業であると感じさせられる本です。

今更ながらですが、読むたびに、ここには書ききれないぐらいの発見がある奥深い書物であります。


2015年1月18日日曜日

あっ晴れ。

昨夜の風吹が嘘のように青空が広がっている仙台。
気温は低いけれど、今日も元気に子どもたちはSCSのお稽古場に通ってきています。


出社して、お茶を飲みながら新聞チェック。

あ、昨日の神戸の記事。


七ヶ浜の子どもたち、しっかり笑顔でお役目果たしてくれたようです。
みなさん、お疲れさまでした。

地元の新聞で、こうして記事にして頂けることは、子どもたちや関係者にとって何よりの励みです。河北新報社様、ありがとうございます。

昨日は、兵庫の知人・友人の何人かNaNa5931メンバーの応援に駆け付けてくれたとの情報も入っておりました。地元でNaNa5931をサポートする一人として、あったかな気持ちになりました。ありがとうございます。

あっ晴れな日曜日。

2015年1月17日土曜日

いのちがひらく

阪神淡路大震災から20年目の今日
ぼんやりと東日本大震災のことを思い出していた

研究生のご家族から頂いたヒヤシンスが
昨日から花を開いている


いのちは季節を感じて、いのちを繋ごうとしているのだね
僕たちも、次の世代へと繋ぐべきものがまだいっぱいある
なんだか少し焦ってしまう

夕方から仙台は、珍しく吹雪になった
あの日も、夕方から雪が降りだしたっけ

大切な人の安否がわからず
胸が締め付けられた感覚が蘇る



2015年1月16日金曜日

あの日から…明日で20年。

神戸で行われる「ひょうご安全の日のつどい」に宮城県七ヶ浜町で活動する子どもたちのミュージカルグループ、NaNa5931(なな・ごーきゅーさんいち)の小学生たちがお招きを受けて、地元の小学生の皆さんと式典の中で合唱をすることになりました。

本日夜に、出演該当者たちは仙台空港から神戸に向かいます。昨夜は、定例のレッスンのなかでそのイベントの為の確認作業が行われました。梶賀千鶴子先生から、お稽古場にて出発前の最終アドバイスを頂きました。


明日はHAT神戸で行われる追悼式典のなかで、地元なぎさ小学校のみなさんと一緒に「しあわせ運べるように」という曲を合唱することになっています。また、 第2部ではNaNa5931によるダンスと歌のパフォーマンスも披露させていただく予定です。

あれから20年経つのですね。
その頃私は、毎週日曜日に放送されていた「今、きらめいて」というドキュメンタリー番組(新潟を含む東北七県ネット)の案内役をさせて頂いておりました。そのせいもあってか現在よりもはるかにTVをつけている時間も観る時間も多くありました。当時TVに映し出された神戸の画面を観ながら、にわかにはそれが現実とは思えずに、翌週の生放送で、何とコメントしたらよいのか苦しんだ記憶があります。

一方私はTVを観ることのほかに「パソコン通信」といって、PCとモデムをつないでテキストベースでのネットワーク通信を行う「ニフティ―サーブ」というものに加入し、PCを使った情報収集もしていました。まだインターネットなど普及する前の話です。そのニフティ―サーブの中で、個人から発信され飛び交う地震情報は、TV映像から想像するよりもはるかにリアリティをもって伝わってきていたことが思い出されます。

今や、パソコン通信という言葉は聞かれなくなり、インターネットを通じて、画像や動画を簡単にやり取りできるネットワークが発達しています。そして、東日本大震災を体験した私たちは、コンピュータを通じた様々なかたちでのネットワークの重要性、有用性を肌で感じています。回線を通じたネットワークは勿論ですが、PCや電話が震災時に使えるとは限りません。
何より人的ネットワーク、これが重要です。
私たちは、情報があっても、現金があっても、街の真ん中でも、ひもじい思いをした経験を持っています。
お金が価値を持たなくなった時に、私たちが必要だったのは、助け合える関係とその仕組みでした。

兵庫のみなさんもそうだったように、宮城に住む私たちも、全国から、世界から、たくさんのご支援を頂いてきました。今回の追悼式典に兵庫県からNaNa5931にお声掛けいただきましたこと、大変光栄に感じています。そして、お招きいただいた子どもたちは、被災地、被災者という共通の立場から生まれる、さらに新しい絆を感じているようです。NaNa5931のプロデュースを仰せつかっている立場といたしまして、この場をお借りし関係各位に心からの感謝を申し上げます。

私の事務所には、今朝もNaNa5931が歌った「ほんとうにほんとうにありがとう」という歌の楽譜が欲しいという、仙台市内に住む年配の男性がお見えになりました。
被災地では、ひとそれぞれに、震災の傷の癒し方があるようです。私たちの活動が少しでも、そうした方々のお役に立てることがあれば幸いです。

NaNa5931のみんな、 
明日は神戸の空に、
東北の子どもたちの元気な声を
響かせてきてくださ~い!


2015年1月15日木曜日

八仙の餃子

「今度、ぜひ八仙の餃子を食べに行きましょう」
と約束したのは確か昨年の秋。

約束した相手は、SCSの入っているビルと同じビルに支店を構えている日新商事株式会社の川合支店長さん。
昨夜、ようやくこの約束が実現した。
餃子の老舗「八仙(はっせん)」は、知る人ぞ知る仙台の文化横町にある。

店内にはBGMは無いが、どんと祭の行列から聞こえてくる鐘の音が、店内 にも忍び込んでいる。

まずは、定番の焼き餃子。


これも、押さえておきたい味、水餃子。


このほかに、青菜(とうみょう)と、私にとっては絶対にはずせないチャーハンも注文した。

川合氏とは、ビル内にあるリフレッシュルームで知り合ったのだが、以前、荒町の「ぴーぷる」でナポリタン、塩釜の「ひょうたん」でホルモンという私の定番コースにもおつきあい頂いたことがある。
いわゆる食いしん坊仲間である。

昨夜も、やっとありつけた八仙の餃子に舌鼓をうちながら、SCS事務所メンバーが先日味わった風来坊の手羽先の話でも盛り上がった。彼は名古屋の出身なのだ。ついでに、今年は七ヶ浜ミュージカルの名古屋公演が夏に予定されているという話題になり、密かに氏から名古屋の美味しいお店情報を教わった。

そうこうしているうちに、同社の江口氏、そして珍しく東北学院大学の下館教授が合流。
それぞれに立ち位置の違うメンバーで、話題は縦横無尽に。

美味しい余韻を残しつつ、どんと祭で賑わう仙台の夜は更けていったのであった。

(写真は、仕事中に事務所の窓から撮影した裸参りの行列。1月14日の夕方から夜にかけて、仙台市内のあちこちでこうした光景と出会う。無言の行列が神社まで続く。)




2015年1月14日水曜日

おとなクラス・レクチャー

SCSでは「おとなクラス」というレッスンクラスがあります。
毎週火曜日と水曜日の午前中はその時間。
火曜日は「舞(まい)」、水曜日は「響(ひびき)」と銘打って、それぞれ、ミュージカルの手法を基本としたダンス、歌のレッスンを行っています。
基本的に月のうち1週はお休みなのですが、向学心旺盛なオトナの皆さま向けに、昨年秋から空いている1週を使って「座学」をやってみようということになりました。
講師は私(笑)。教材は全部自分で用意。
文字通り、稽古場に座布団を敷いて座って講義を聴く「座学」です。

今日はその4回目でタイトルは「著作物とその権利」


表現活動に関わる者たちは、プロはもちろんアマチュアであれ知っておく必要がある権利のおはなしです。音楽著作物を中心としたお話をいたしました。インフルエンザなどで若干の欠席者はありましたが、出席された方からからは日常生活で気になる権利の質問なども頂き、和やかながら、今日はちょっぴりアカデミックな雰囲気の時間となりました。

ちなみに全5回の講座の内容は下記の通り。
次回は実際に小学校の授業の中で11年にわたりミュージカルを創って上演した経験をもとにお話をします。
SCSおとなクラス受講者にかぎり無料で受講できます。
好評を頂いているので次年度もやってみようかな。

2014年
10月22日(水)  ミュージカルとの出会い
11月18日(火)  舞台芸術に携わる人たち
12月24日(水) 制作というふしぎな仕事


2015年
1月14日(水)  著作物とその権利
3月18日(水)   授業でミュージカル


おとなクラスは、火曜と水曜11:00から1時間の講座です。
高校生以下は受講できませんが、ご興味のある方はSCSミュージカル研究所までお問い合わせください。

2015年1月13日火曜日

読み返し

先日、アマゾンを散歩(もちろんネット上の)していたら、こんな本を見つけて衝動買いしてしまった。


一昨日の新成人たちを見て、ふと思い出したのは20歳の頃の自分。社会のことや人間関係の妙も全く知らぬままに、頭でっかち(今でも頭が大きいと言われるが)のままに、哲学や宗教に関わる本を読み漁っていた。

その頃は、お金がなかったから、図書館を利用することも多く、この「世界十五大哲学」という本も図書館で手にした記憶があった。その本が文庫本として復刻されていたのだ。

現在、復刊されたこの本はカバンに入れて時間のあるときにパラパラ読み続けている。
難解な哲学を入門者のために、平易な表現で紹介していることでも有名な本だ。

今読み返しても、非常に面白い。
そして、優れた書物には、何度読んでも、そのたびに新しい発見がある。

この本は各章の最後に参考文献や、研究書・学術書の紹介がある。
恐らく私は一生かけても読み解くことは出来ないであろう、そうした書物たちへの入り口でもある。

大学では、故石川文康先生の哲学の授業をとった。
その授業で聞いた「ア・プリオリ、ア・ポステリオリ」という言葉は、なぜか(理解しているとは言えないが)今でも覚えている。
一方、先生のカントのお話などは、情熱的なお話しぶりであったことを覚えている。しかし難しくて当時の私にはよくわからなかった。
けれども、その「よくわからない」という部分に、強い興味をひかれた記憶が、今でも鮮明にある。

この本を読み返しつつ思うのは、いまだに20歳当時の「よくわからない」というところから抜け出していないことであった(笑)。


2015年1月12日月曜日

Go Ahead!

宮城県七ヶ浜町あたりでは、ゴーへ(への発音はゴーえではなくはひふへほの「へ」)という漁師の皆さんがよく使う方言がある。
船を前方に誘導するときなどによく使われるらしい。
一説によると英語のGo Aheadが訛ったものとも言われている。さすが北洋漁業発祥の土地と言われるだけある。

そんな「ゴーへ」という方言が、震災後ミュージカルのタイトルになった。
梶賀千鶴子が台本を書き、地元のミュージカルグループNaNa5931が演じた。

その作品は多くの皆さんの支援受けて、 豊田講堂(名古屋大学)、日生劇場(東京)での公演を成功させた。

今日は、招待客限定ということではあったが、作品が生まれた場所、七ヶ浜国際村で上演された。
写真の式典の第二部でのプログラム。


リハーサル時の写真で、本日の様子をいくつかご紹介しよう。

  

  

  

 


実はこの劇場、ホリゾント(舞台奥)の幕を開けると、七ヶ浜の町と海が見える。


今日の海も美しかった。

震災前のここからの景色を知る者の一人として、この景色をバックに「 We love Shichigahama!」と歌う子どもたちを見るたびに、涙が込み上げてくる。

今日も変わらず全国から、いや世界から未だに支援の手は差し伸べられている。皆さまからの暖かいお気持ちを想像するだけで、これまた未だに目頭があつくなる。

私たちにできることは、こうして、舞台を通じ、被災地からの笑顔や元気を発信し続けること。
ココロがあったくなることが、復興の根っこと信じて。

そう、Go Ahead !

2015年1月11日日曜日

みんなうれしい美しき二十歳

午後からのレッスンが続く稽古場に、華やかな訪問者が現れました。

そうでした。今日は成人式が行われた日。
SCSミュージカル研究所の新成人メンバーが、そろって事務所とお稽古場に挨拶にきてくれました。


写真中、真ん中の3名は、小学生のころからSCSのお稽古場に通い続けてきたメンバー。


新成人と師匠の一枚。
師匠も、ことのほか嬉しそうです。


たまたま稽古場に居合わせた研究生たちの目線は、めでたく成人した美しき5人にくぎ付け。
そして次の瞬間、写真を撮りまくっておりました。


いつもは、お稽古着で同じ時間を過ごしているお兄さん、お姉さんを見ながら、なんだかみんな嬉しそう。

そりゃそうだ。美しい姿を観るのは誰だってうれしいもんね。
このあと、子どもたちと「あと何年たったら成人かな」という計算をして、大変な盛り上がり。

私も、一緒に写真を撮ってもらいました。


気持ちは若いつもりでいるのだけれど、わたしゃやっぱり、一見して間違いなくこの子たちにとっちゃ「トーチャン」だね(^^)。小学生の頃の君たちの姿が、昨日のことのように思い出される一方、大人になっていく君たちを見るのは嬉しいよ。何の曇りもなく嬉しい。

成人おめでとう!




♪震災を知らない子どもたちさ

11日になると、どうしても重めの言葉が出がちです。
しかし、時は過ぎゆくし、地球はまわるわけで。

今日の午前中は「キッズクラス」のレッスンがありました。
日曜日のキッズクラスは今年初めてのレッスンということで、SCSの代表者として稽古場にて冒頭に少しご挨拶をさせていただきました。
春には発表会も計画されているから、ことしもみんなで楽しくミュージカルをつくりましょう!というと、元気な声が返ってきました。子どもたちと一緒にいると、自ずと笑顔になってくるものです。

さて、キッズクラスへは原則として3歳から加入できることになっています。
試しに、新人さんのひとり、可愛らしい小さな女の子の誕生日を訊いてみると、なんと2011年11月うまれ!という応え。
ほほう、というこは、震災後にこの世に生まれて来なすったわけなのですね。
♪震災を知らない子どもたちさ~(フレーズが古くてすみません)

そうなのです。震災後に生まれた子どもが今や稽古場で、歌ったり踊ったりするほどの時間が経ちました。

このブログでも何度か書いていますが、震災後にSCSの活動の指針、キーワードとして「子どもの笑顔」を据えています。

私たちが居なくなった後も、この子どもたちは世界を動かしていきます。

少なくとも自分の周囲にいる子どもたちが安心して笑顔を見せているような環境作りが私たち大人に課せられた復興事業であると信じています。


2015年1月10日土曜日

ケム川のほとりにて~ウエストエンドの断片(最終回)

私たちの旅の終わりは、ケンブリッジでの時間だった。


ここは、和巳兄さんにとって11年ぶりの思い出の地。
私にとっては12年ぶりの訪問地である。
ケンブリッジという名前は「ケム川にかかる橋」という意味らしい。


そのケム川にかかる橋を渡ってみたりしながら、みんなで歩いた。
12年前、和巳さんの細君故ハルコさんも一緒にこうして川べりを散歩したことなどを思い出していた。


一方、ケンブリッジ大学では、ちょうどシェイクスピアフェスティバルが行われていた。和巳さんが、そのプログラムの中から「ヴェニスの商人」のチケットを手に入れてくれて、我々はそれを観た。
Robinson College Gardens で上演された野外劇である。
夏とは名ばかりの寒い気温だったけれど、ケンブリッジ日本人会の会長Tamako氏も合流してくださったりして、あったかな気分で、鑑賞することができた。
同行した子どもたちには、この英語の野外劇、ちょっとハードルが高かったかもしれないが、なぜだかみんな神妙な顔をして、終わりまでじっと観ていた。
その姿を横から眺めつつ、僕らは勿論であるが、子どもたちにとっても、こういう空気感を味わうことが重要なのだろうという実感を持った。推測ではなく実感である。


英国を発つ前日には、そのケンブリッジ大学にお勤めのとある教授のお宅にお邪魔する機会もあった。お家にお招きいただき、お茶を頂いた。お庭を拝見したときに、しっかりと生活に溶け込んでいるイングリッシュガーデンに感動を覚えた。
この世にうまれて「生活をする」ということの意味を考えさせられた。


ケンブリッジという土地が、そういうことを考えさせるのか、それとも他の要因か。
教授が庭で、和巳さんと僕とのツーショットを撮ってくださった。
旅の終わりに、いい記念の写真になった。


しめくくりは、やはり「フィッシュ&チップス」であろう。
ケム川沿いにあるボートハウスというパブで頂いた一品。
ひじょーにうまかた!
やはり、こーゆー写真が1枚ぐらいないと私のblogらしからぬ(笑)


パブの帰り、一足先に宿に戻った子どもたちのもとへ急ぐ和巳さんの後ろ姿と、石畳の道が印象的だった。
子どもをケアするという日常と英国に居るという非日常の渾然が楽しい旅であった。


今回の英国では、考えること、感じること、この2つが、日本に居る状態とは違ってとにかく新鮮であった。
この収穫を何とか自分の言葉や音で表現する機会を持ちたい。

願わくば来年もここを訪れる機会があらんことを。