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2022年9月9日金曜日

ジン

イギリスへ行きたしと思へども

イギリスはあまりに遠し

せめては倫敦生まれのジンを買い

きままなる旅にいでてみん。



今週はじめそんなことを思いながらの帰り道に購入していたボンベイサファイア。そして入ってきた訃報。

在位70年。お会いしたことはございませんが、映像や画像を通じても伝わってくるあの品格と笑顔は、地球上の多くの人々の心に刻まれていることでしょう。

どうか安らかにおやすみください。


2022年3月18日金曜日

舞台芸術シンポジウム開催いたします

 4月24日に「東北・仙台から世界へ」と題した舞台芸術シンポジウムを開催する運びとなりました。
 このシンポジウムは私たちSCSミュージカル研究所が(一財)シェイクスピア・カンパニーと共同開催するものですが、同カンパニーは過去に英国エジンバラでの公演や、2019年の夏にはロンドンで『アイヌ・オセロ』(原作:W.シェイクスピア、翻案・脚本・演出:下館和巳)の上演を成功させています。一方でSCSミュージカル研究所の芸術監督、梶賀千鶴子の作品は、2017年から劇団四季を通じて『魔法を捨てたマジョリン』が中国全土で上演中です。また、東北で生まれた梶賀の作品は、カナダ(トロント)で『TAROH]』(1992)、ドイツ(フランクフルト)では『夕焼けの向こうに』(2011)が上演されています。
 しかし、これまでに東北で生まれ海外へと発信されるオリジナル舞台作品のこうした状況を分析または議論する場はありませんでした。そのことが今回のシンポジウム開催を決めるきっかけとなりました。
 このシンポジウムでは、シェイクスピア演劇に通暁する3人の学者とミュージカル作家が「再創造」という言葉をきっかけに、それぞれ違った角度から意見を述べ、議論し、会場の皆さんとも質疑応答によりテーマをさらに深めていきたいということがねらいです。
 因みにシンポジウムのパネラーでもある早稲田大学の本山哲人先生、明治大学の今野史昭先生の翻訳によるSCSミュージカル『梵天丸』(作・演出・振付:梶賀千鶴子)の「多言語化発信」に関する議論もその場で出来ればと考えています。
 同時開催される上映会は、入場無料です。皆さま心地の良い春の日に東北から発信される舞台について考えるひと時はいかがでしょうか?たくさんの皆さまのご参加をお待ちしております!




2021年8月3日火曜日

妄想の旅

なんとなくココロが落ち着か居ない感じが続いてい居る。
ふと、コロナ前の今日は何してたっけ?と思って考えた。2019年の8月3日に何をしたかなど、私の貧弱な記憶力では検索不可能であるが、今どきはGoogleフォトさんが記憶を鮮明に呼び戻してくれる。もう最近は自分の脳みその一部はクラウドに上がっているような感じである(笑)

そして2019年の8月2日を検索してみれば、なんと自分はロンドンに居るではないか。2つ前の夏、たった2年前とは思えない。






何だか充実した顔をしている。2014年以降2年おきぐらいにイギリスへ行っていたから、その周期で言えば、今年は英国に行く年回りである。
冒頭の落ち着かない感じはそのせいもあったのだろうか。
ああ、英国恋しや。
いつになったらまた行けるのだろうか。
せめて写真をながめながら妄想の旅にでも出るとするか。

2020年10月24日土曜日

行きたしと思へども

いぎりすへ行きたしと思へども
いぎりすはあまりに遠し
せめては古き地図をみて
きままなる旅にいでてみん。

替え歌ならぬなんちゃって「替え詩」で遊んでいます(^^)
元ネタは、ご存じ萩原朔太郎先生の『純情小曲集』より。
何せ純情の純ですからね。

コロナにて『旅上』ならぬ「無常」でありますなぁ(笑)


2019年9月21日土曜日

Mind the gap.

先月の約半分はロンドンに滞在していました。そしてそのうち約半分の1週間は宿を出ると地下鉄を使って、劇場までの道を連日通う日々でありました。
今回のロンドンでの劇場通いは、仙台を拠点に活動する「シェイクスピア・カンパニー」の『アイヌ・オセロ』上演に伴いボランティアスタッフとして関わったことによるものですが、私にとってのそれは、自己啓発と研修も兼ねるような、とても良い経験になりました。チャンスをくださった皆さますべてに感謝しています。

さて、ロンドンの地下鉄では、誰しもが目にする耳にする言葉があります。
’Mind the gap’
駅のホームと電車の間に隙間があるので気を付けて、という意味です。

僕たちが連日劇場を後にして、ウィンブルドンの駅からベイズウォーター目指して帰路につくとき、たいてい乗り込んだ地下鉄の車内はたいていガランとしていました。少し込み合う路線ももちろんありますが。ロンドンでは夜の地下鉄車内で日本のように酔客を見るようなことはほとんどありません。


Mind the Gap.かぁ…。
私は、ガランとした電車のシートに座ると、少し疲れた頭で社内を見渡しながらぼーっとしていましたが、とつぜん、電車内で見聞きするその言葉の中の「the gap」という言葉の意味が気になり始めました。

今回はシェイクスピア作品の翻案劇を本国で上演するというプロジェクトに関わらせていただいていることもあってか、東洋と西洋、日本語と英語、マジョリティとマイノリティ、17世紀と21世紀、男と女…、様々な2つの間にあるgapを考え始めたのでした。
私も自分の仕事としている舞台作品制作や音楽制作でも、何かいつもこの問題にぶちあったているような気がしてならなかったからかもしれません。

この「ギャップ」にはいつも気を付けていなくてはなりません。

MIND THE GAP :-)



2019年9月2日月曜日

スタッフ研修(^^;

気がつくと9月になっておりました(^^;
たぶん先月の半分はロンドンにいたせいで8月が早く感じたのでしょう。ロンドンでは、下館和巳(しもだて・かずみ)氏が主宰する「シェイクスピア・カンパニー」ロンドン公演、『アイヌ・オセロ』というタイトルのシェイクスピアの『オセロ』を翻案した演劇作品でのお手つだいをしておりました。
出演者はみんな素人ながら、ネット上はもちろん、東京新聞夕刊トップ記事やテレビ朝日によるニュース、NHKラジオ深夜便などでも話題になりました。結論から言えば公演は大成功。初日の評判を聞いて2日目からはキャンセル待ちのお客が並ぶほど。

それにしても、様々なボランティアの力が終結した公演でした。
普段、プロデュースや音楽制作の仕事をしている私は、今回なんとステージ・マネージャーと、ライティング・オペレーターの役割を担いました(汗)


 


舞台スタッフの役割は責任重大で、ちょっと緊張いたしましたが、とても貴重な、そして感動的な「スタッフ研修」そして自己啓発の場ともなりました。
このプロジェクトに参画できたことを誇りに思います。


2019年8月17日土曜日

帰国した翌日の夜は満月だったようです。
木曜日の晩に七ヶ浜で出会った月は、台風が近づいていたせいでしょうか、
国際村アンフィシアターを囲む水面は強めの風に揺れ、
月あかりを散らすように幻想的な雰囲気を醸し出していました。


そういえば、イギリス滞在中も月をよく見ました。
写真は、今月のはじめ、テムズ川の上に現れたマサムネさまの兜にあるような三日月。

 

そして、少し粗い写真ですが、帰国する2日前に散歩した日没後のハイドパークで、ふと振り返った時、
低い雲に見え隠れするように昇っていたお月さま。
イギリスで見る雲は、なぜか日本で見るときよりもいつも低いところにあるように感じます。


地球上のいたるところで、同じこの月を見ているひとがいるのだなぁ、
などと思うと、宇宙に浮かぶ地球と月の姿を連想してしまいます。
そして、なんだかちっぽけだけれども、
宇宙人としての自分を感じてしまいます。

2019年8月15日木曜日

帰国しました

昨夜(14日)無事に14日間にわたる英国の旅から帰国しました。
羽田に降りて、外に出たとたんに高温多湿の空気に触れて、帰国を実感しました。
いや~ほんとに暑い。しかし馴染みの暑さ。


まだ時差ボケです。今回のロンドン滞在については、以降折に触れてこのブログで書いていこうと思います。

2019年8月13日火曜日

演劇の街

ロンドンの街なかを地下鉄で移動する日々が続いています。
おかげで、毎日1万5千歩程度歩きます。
フィッシュ&チップスでダブつき気味の身体にはちょうど良いかもしれません。

それにしても、移動のたびに気になるのは、演劇やミュージカルのポスターの多さ。




なんと、改札口まで!


演劇の街、ロンドンならではの光景ですね。


2019年8月6日火曜日

グローブ座

ロンドンに来ると必ず訪れる場所があります。
「シェイクスピア・グローブ座」


若いころ、大学で英文学科に属しながらもハードルが高いと思っていたシェイクスピア。しかし、ミュージカルで仙台藩士・支倉常長(はせくらつねなが)を演じてからは、少し興味がわいてきたのでありました。なぜなら、ミュージカルで描いた支倉常長やその主君、伊達政宗はシェイクスピアと同じ時代に生きた人。そして、ヨーロッパの国々と手を組む野望を持った人たちだったからです。同じ時代に生きた劇作家、役者としてにわかに親近感を持ったというわけです。

シェイクスピアが亡くなって400年以上経っても、彼の名は世界にとどろき、かつて彼が活躍していた時代の劇場を復元したこの劇場は、写真のように多くの人々が訪れる人気のスポットとなっています。
テムズ川のそばをゆっくりと歩きながら、近代的な建築物に交じって、この木造建築に出会うとなぜか、ほっとします。

そして、日本にも300年ぐらいの耐久性を持ち、5世代ぐらいまで語り継がれそうな、あったか味のある劇場があるといいのになぁ、そういう気概のある都市が現れないものだろうかなどと思いながら、またぶらぶらと歩き始めるのでありました。


2016年9月21日水曜日

夏目漱石、シェイクスピア、フィッシュ・アンド・チップス

実は、一昨日、秋保(あきう)でのSCS芋煮会の席を少し早めに失礼して向かったのは、東京大学本郷キャンパス。
東大英文研究室主催の「世界文学のスーパースター、 夏目漱石とウィリアム・シェイクスピア」(Two Superstars of World Literature: Natsume Sōseki and William Shakespeare) という講演に参加させて頂くためでありました。

講師はダミアン・フラナガン(Damian Flanagan)さん。
講演の中身にはここでは触れませんが、ダミアンさんの日英両国の文学作品に関する斬新な解析に大変感銘を受けました。また会場は20名も入れば満杯になりそうな英文辞書室でありましたが、それがよかった。講演というよりも、それはむしろ研究会のような様相を呈して、講演後のトークや質問の時間は室内に活発な気が満ちていました。
雨の中、足を運んだ甲斐がありました。舞台制作の現場に携わる私のような者にとっても多くの示唆に富んだ意義深い時間となりました。

さて、そんな前日を引きずっていたせいか、翌日は、同行していた兄と「今日はブリティッシュ・デイにしよう」などと意気投合し、午前中英国に関する情報収集を飯田橋ですませると「この雨も英国っぽいね」などと冗談を言い合いながら、どうしてもあれが食べたくなって、六本木へ。



たどり着いたのはフィッシュ・アンド・チップスで有名な「マリン」というお店。
もちろん、注文したのはラージフィッシュとチップス。
このコッド(鱈)が、うんまい!。伺えば北海道産ということでした。
全体的に、不肖ヒロセ純が2年前の夏に英国で夢中になって食べまくっていたそれと、かなり近いスタイル、近い味のものでありました。

ああ、満足なり(^_^)

2016年7月7日木曜日

アイリッシュ

アイリッシュダンスのことを知ったのは1990年代のなかば、米国でCD制作した頃。
当時話題となっていた『リバーダンス』という名の、今までに観たことのないパフォーマンスに魅了された。

さて、昨夜仙台で観たアイリッシュダンスの公演。


客席から舞台を観つつ、90年代の米国のことが我が脳裏をよぎるのではと自己予想していた。しかし浮かんできたのは、一昨年の夏に居た英国コーンウォール地方の、比較的田舎の風景。GBと呼ぶのかUKと呼ぶのか分からないが、南と北ではだいぶ様子が違う様子。旅の経験というものは、人生やものの捉え方に変化と深みを加える。

一方、 サンプラーをライヴで大胆に使用する音楽演出は面白かったなぁ。

アイルランドの伝統に根ざしたハイレベルなダンスと、現代的な手法を取り入れた音楽に暫し酔いしれた。

2014年12月2日火曜日

My Fair Lady と、ひとつの確信

何度観ても発見があります。

そして、全く色あせないオードリー・ヘップバーンの美しさと、豪華なセットと衣裳。
ちょうど50年前の1964年に公開された映画とは思えないほど、いまだに私にとっては新鮮な驚きの連続です。

ずいぶん前に買ったDVD、忙しさで封を切っていませんでした。
忙しいという字は心を亡くすと書きます。これじゃいけないと思い立ち、昨夜は久々のDVD鑑賞。
My Fair Lady


ミュージカル映画といえば、私が19歳か20歳の頃、仙台の名画座(超安値で映画を見せてくれた場所、中高年の仙台人は全員知ってますよね)で、多分10回以上は(リバイバルで)観た「サウンド・オブ・ミュージック」が好きな作品の一つです。主演のジュリー・アンドリュースに、当時ものすごくあこがれた記憶があります。
ところで、最近知ったのですが、この「マイ・フェア・レディ」の当初のヒロイン候補が、舞台を演じていたその アンドリュースであったそうなのです。しかし、アンドリュースはセクシーさに欠けるとかなんとかいうことで、主演はヘップバーンに決まったんだそうな(この辺あたりは完全に男の論理とコマーシャリズムですね)。けれどもその年のアカデミー主演女優賞は、「メリー・ポピンズ」で主演したアンドリュースで、オードリーは賞を逃してしまったということです。ちょっぴり皮肉なお話。

この作品を見るたびに必ず思うのは「言葉と人格」。アメリカ映画ではありますが舞台は英国。(そういえば、そういうヒット作品多いですね、ハリー・ポッターとか)今夏の英国滞在の記憶も蘇り、言語と人格、言語と演技の相関性を改めて考えながら画面を観ておりました。階級社会という背景もこの映画を楽しむうえでは不可欠ですね。…しかし、あまり考えすぎることは経験上良いことではありませんし、元来複雑な思考に耐える脳みそを持ち合わせていない私には似合いません。

そうです。複雑な思考は1分と持たず、次の瞬間の私は、単純に、本能のままに、これまでとはまた違った印象のヘップバーンの魅力を堪能させていただいておりました。うむ、今でも十分すぎるほど通用する美しさ…。

あの美貌で、美しい言葉を操られたら、誰だって夢中になるに違いありません。現実にこんな人が居たら、どんな男もイチコロでしょう。
けれども、いくら美貌でも映画の冒頭でヘップバーンが使っていたような言葉を使われたら、幻滅してしまう男は多いはず。
美しい言葉は人の心を動かす力を持っているのかもしれません。
はぁ、またもや映画製作者の手中に完全にはまり(笑)…しばしよき夢を見させていただきました。

今日まで生きたひとつの確信。

美しいものは善であります。


2014年10月27日月曜日

泣けた、そして想った~ウエストエンドの断片(8)

ブロードウェイ・ミュージカルの有名な作品は、ロンドンで初演されたものが多い。
この夏にロンドンのナショナルシアターで観た「War Horse」という作品。


2007年にロンドンで初演。2011年のトニー賞5部門受賞。そしてこの夏は東京の渋谷でも同作品をやっていた。
「すごくいい作品」「泣けるらしい」…そんな噂はあちこちで耳にしていた。

今や、観たい作品はネットで検索するとほとんど事前に情報を得ることができる。
しかし今回 War Hose は、劇場窓口の当日券での入場。したがって、それまでに耳にしたウワサ以外の情報は持ち合わせていなかった。言ってみれば、ナショナルシアターのでかい看板にひかれた、思い付き。

それ故、ほとんど事前情報なしに客席に座った私は、舞台の馬を見たとき「ふ~ん、馬の人形か、ちょっと動きが本物っぽいな」程度にしか、感じなかった。

しかし!
1幕を終えたときには、私の涙腺は崩壊し、
2幕を終えたときには、しばらく席を立てなかった。
まるで生きている馬が舞台上に出現していたかのような錯覚。

作品の詳細はここでは触れないが、元来、動物ものにはめっぽう弱い私のツボにはまった。
もちろん、それだけではなく、何しろトニー賞5部門受賞作品。圧倒的な貫録と安定感があった。
後に知ったのだが、かのスピルバーグ監督もこの作品の1幕目を終えたときには号泣していたとか。(その後、彼の手により映画化)

涙には、ヒーリングや浄化作用があるのだそうだ。
私もあの時、何かを浄化していたのかもしれない。

完全に作者、役者、プロダクションの手中にはまってしまった。
全面降伏。
それはもうシェイクスピアの時代から、感動を発振する原石はロンドンで生まれ、ブロードウェイやハリウッドで研磨され世界中に響き渡る。
そうした原石は無条件に人の心を動かし、ひいてはそれぞれの芸術作品が象徴に「時代」を形成していくものである。

翻って、
日本において感動を発振する原石は生まれうるか…。
発信ではない。それ自体が発振するような原石。

ロンドンの劇場街で、日本よりも低く感じる青空を見上げた。


2014年10月3日金曜日

謎が生み出すもの~ウエストエンドの断片(6)

恋人同士の段階では、
謎が多いほうがスリリングなものである。

ロンドンのCOWARD劇場で観た、
'Shakespeare in Love'



満席だった。
素晴らしい作品だった。(実はディスニー社が関わっていると知ってちょっとびっくりしたが)
随所に挿入されていた古楽器の生演奏による音楽も、こころを揺さぶられた。

さて、舞台の冒頭。

Shall I compare thee to a summer's day?

シェイクスピアのソネットでも超有名な、
18番の最初の行と思われる、
Shall I compare.... という言葉が作品の最初に何度か出てきた。
~写真は手元のソネット(14行詩)集、18番が載っている頁~


Shall I compare....は、作品の途中でも出てきた。

その単語に対して、客席からくすっと笑うような反応が即座にあった。
そのたびに、シェイクスピアをよく知らない私は、ちょっと遅れをとったような気がしていた。

ちなみにこの18番。
この甘美な詩が、同性の役者に向けられていたかもしれないという説がある。私にはにわかに信じ難いが、それはすなわち私の料簡の狭さか。
シェイクスピアは、その存在、作品、何から何まで謎だらけである。

その謎が、今もなお多くの作品をこの世に生み出している理由かもしれない。
今回観たこの作品もその一つなのであろう。終演後の客席の満足そうな雰囲気が印象的であった。 環境客も多く混じっていると思われるが、それにしても、あぁ、イギリスの観客の層の厚さよ!

日本に戻ってから、映画のほうの Shakespeare In Love もDVDで観なおしてみた。


むむ、
シェイクスピア先生は恋愛の達人であったのかも。

なーるほど、
恋人に、謎が多ければ、
それだけの混乱と呪縛を生み、
そして、
深みにはまりやすいもの。
高等技術である。

一方、舞台をつくり客を前にするこのギョーカイは、
やはり世阿弥先生のいうように、
「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」なのか。

私ごとき凡人にゃアウトオブ理解。
到底たどり着けない境地であり、
シェイクスピア先生の謎は深まるばかりなり。。。



2014年9月30日火曜日

シェイクスピアを追いかけて~ウエストエンドの断片(5)

和巳さんと私は、突然思い立って「シェイクスピア先生の墓参り」に行こうということになった。
もとより、この夏の旅で、和巳さんはその計画について当初はさほど積極的でなかった。彼にとっては何度となく足を運んでいる土地であり、実際、若いころに長期滞在していた場所であるから、さもありなむ。訪問先としてのプライオリティは低かったのであろう。

ところが「お盆だから墓参りさ行ってみねすか」という私の意味不明なアイディアを面白がったのか「んで、ちょこっと行ってみるすか」とういうことになった。

思い立った翌日の朝、和巳さん、そうらちゃん、私の3人は、ロンドンのメリルボーン駅から列車に乗り込み、シェイクスピア生誕の地、ストラトフォード・アポン・エイボンへと向かった。恐らく観光ツアーなどの場合、バスで赴くのが便利なのだろう。直行の列車は意外に空いていて快適であった。


観光バスなどが到着するにはまだ少し早い時間であったせいか、駅から歩いて辿り着いたストラトフォードの町の中心部には観光客らしき人影も少なく、比較的穏やかな表情を見せていた。

まずは、ロイヤルシェイクスピアカンパニー(RSC)の事務室を訪問して、和巳さんは、Cicely Berry さんへの手紙と留守電メッセージを残した。
RSCでは、あえて芝居を観なかった。私たちは「ふらっとお墓参りにきた」という感覚に浸っていたかったのかもしれない。いずれここでわたしが芝居を観る機会は必ず訪れるであろう。そんな確信めいた予感もあった。


次に、RSCの劇場そばで、少し懐かしい光景を目にしながら、シェイクスピア先生のお墓のあるトリニティ教会を目指してぶらぶらと歩いた。


協会の門をくぐると、緑のトンネルが続く。
僕は、そうらちゃんの手を引いて、和巳さんのあとに続いた。
なぜか和巳さんの足取りが速くなる。


墓所を前に、私たちは450年前にここで生まれ、ここに眠るシェイクスピア先生を思った。
和巳さんはずいぶん長い時間祈っておられたように感じた。


一方、ここはシェイクスピア生誕の家。


庭ではシェイクスピア作品のスキットが演じられていた。
生家に入るのには入場料を取られるが、このスキットの観劇料も入っていると思うと安いものだ。


今回の旅で感じたことのひとつに、イギリスの役者は楽器を演奏する人が多いということがある。そしてこれがまたうまい。歌まで歌ったりする。役者なら楽器ぐらいできて当たり前なのか、嗜みなのか。まるで皆ミュージカル俳優のようだ。とにかく、どんな環境においても客を愉しませることに徹している。


シェイクスピア先生の生まれた土地で、我々は生誕450年をお祝いした。
そうらちゃん撮影の2ショット。


もちろん、フィッシュアンドチップスもしっかりいただいた(笑)


ストラトフォード・アポン・エイボンは、私が想像していたよりも静かな、そして完全にシェイクスピア先生に彩られた町であった。

2014年9月25日木曜日

シェイクスピア世界への入り口~ウエストエンドの断片(4)

私が初めてシェイクスピア作品に触れたのは、大学生の時であります。
最初に読んだのは「ロミオとジュリエット」だったと記憶しています。
名作ロミオとジュリエットは、シェイクスピア先生がギリシア神話の『ピュラモスとティスベ』を元にして書かれたイタリアの小説からヒントを得て書いたといわれていますが、20世紀になってこれをもとに「ウエストサイド・ストーリー」という映画やミュージカルが製作されていたのですね。
不勉強な学生だった私は、そんなことなど全く知らなかったわけでありまして、さらに数十年後に、自分の仕事としてミュージカルの世界に足を踏み入れることも、シェイクスピア作品に再び触れることになることなども、まったく知る由もなく…。


正直なところ当時の私は、現代日本文学や音楽のほうに興味が集中していたし、恋愛ものとしては、たとえば映画にもなって山口百恵や三浦友和が吹き替えしていたエリックシーガルの「ある愛の詩」などのほうがしっくりくるように感じていたのであります。
ゆえに、残念ながら大学時代には、英文学科の学生だったにも関わらず、シェイクスピア作品に心惹かれることはなく、ただ書かれている英文が難しいという印象だけをもっていたのでした。


ところが、当時難しいと思いながらも、なぜかシェイクスピアのソネット(14行詩)だけには興味がわいて、それがきっかけで、結果的に英文の詩に興味を持ち、専攻を「イギリスロマン派詩」にすることにしたのです。考えてみればシェイクスピアに全く触れていなければ、専攻をアメリカ文学にしていたかもしれない。今でも何か不思議な気がします。


それから20年後(そういえばO.Henryの作品に"After Twenty Years"ってのがありましたね、あ、これはアメリカ文学)、今から12年前に(友人というより兄貴のような)下館和巳さんがロンドンのグローブ座で演出するということで、初めてイギリスを訪れることになりました。つまり、20歳前後にシェイクスピアの世界を「ちら見」して以来、人生二度目のシェイクスピア体験をすることになるのです。


世界中から集まった俳優たちを相手に、和巳さんがアジア人としては初めてあの復元された劇場で演出する。私は単純に「そりゃ、応援に行かなくちゃ」ってことで、その現場に駆け付けました。2002年の夏の終わりのことでした。これがその時ロンドンのグローブ座の壁に貼られていた公演ポスター。
よく見るとポスター左端の真ん中に和巳さんの顔が。




ちなみに当時のグローブ座の外観はこんな感じです。




そして、2014年、あれから12年後の今年訪れたグローブ座の外観。




比較すると、なんとなく以前より活気に満ちているような…。

ストラトフォードで芝居は見ませんでしたけれど、買い物をしたの唯一のものが、シェイクスピアのソネット集。
生家の傍にある売店で衝動的に買ってしまったのですが、帰国後つくづく眺めてみると、何だか、何十年もかけて、ずいぶんと遠回りして、振り出しに戻ったような気分になりました(笑)
さて、話は戻って2002年9月。


いずれこのブログでまたご紹介するかもしれませんが、今回はシェイクスピアの生家、ストラトフォード・アポン・エイボンにも行ってきました。グローブ座は、ロンドンにあるということもあるのでしょうが、ストラトフォードとはまた違う温度が劇場周辺から感じ取れます。




グローブ座での本番前日、彼に近くのパブでインタビューしたのですが、その話しぶりからは、緊張感とともに、彼がまさに大きく高い壁を乗り越えようとしているような気迫を感じたものでした。

彼が演出した作品は、シェイクスピア作品からいくつかオムニバス形式で演技を構成していく内容のものでしたが、英語圏の方やシェイクスピア作品を(英語で)体験している方はともかく、私のように英語力もなく浅学の身には、少々敷居が高い内容でした。そこで彼は、日本から来たお客さまへの参考までにと、自筆で解説文を書き、当日それをコピーして配ってくださいました。

これは大変ありがたく、アホな弟分にとっても勉強になったものです。それにしても、あれほど多忙を極める中で、彼が、作品に対するリスペクトとお客に対するホスピタリティの両方を重視する姿は、いかにシェイクスピアを大切にしているのかが伝わってくるようで、印象的でした。きっと彼にとってはごく自然な振る舞いだったのかもしれませんが。

最後にこれは、その日私が撮影したものなのですが、今となっては貴重な一枚かもしれません。





舞台が終わった後に、グローブ座で撮影したもの。みんながカッパを着ているのは、公演時間にはあいにくの雨だったからです。グローブ座には一部の客席を除いて屋根がありません。桟敷席の客はみんなカッパを来て観劇したのです。

中央で帽子をかぶっている紳士はMark Ryance(マーク・ライアンス)氏。ロンドングローブ座最初のアーティスティック・ディレクターであり、トニー賞やオリバー賞などを受賞している人気俳優。の左隣が和巳さん。手前のこども2人は和巳さんの長女と次女。このときまだ三女は誕生してませんでした。
そして右端は和巳さんの奥様であり写真家の故中村ハルコ氏。

プライベートな写真でもありますから、公表するのは多少憚ったのですが、あれから干支もひとめぐりしてシェイクスピア生誕450年に訪れた英国。僕は人生三度目のシェイクスピア体験をして、再びその世界の入り口に立ったような気分です。でも今度は何だかそれが続きそうな、入り口からもう一歩入り込めそうな予感がしています…。

ハルコさんにもそんな報告がしたかったし、和巳さんや僕たちの夏の体験、ウエストエンドの断片を記録することで、彼女も天国からこのブログ見て、楽しんでくださるような気がしてね。


2014年9月12日金曜日

こどもと劇場~ウエスト・エンドの断片(3)

ちょっと写真が小さくて恐縮ですが、この地図にあるようにロンドンの中心部には、大小新旧入り混じり、沢山の劇場があります。


こんなに沢山あると、演劇人ならずとも、どんなものが上演されているのか覗いてみたくなりますね。…そう、地図を見ていてふと思ったのは、そこが大事なんですね。つまり劇場や作品は演劇人や演劇好きな人たちのためにあるのではなくて、フツーのパンピーのためにあるもなのです。
劇場も、図書館も大学も、ほんとは町の中にあるべきなのでしょうね。そう考えます。英国では劇場がある、そこに足を運ぶということが日常にあるのでしょう。だから、前回記事にしたミナックシアターのように、イギリスの最西端に連日満席になる野外劇場も存在するのかもしれません。。

そして、あらためて感心したことがあります。
ロンドンの劇場で手に入れたこのチラシ。
Kids Go FREE to Top London Shows!
とあります。


なぬ?子どもはタダでロンドンの一流の舞台が観れるだと!?
うらやまし~と思うと同時に、大人たちによって「劇場は楽しいところ」というインプリンティングがしっかりとなされているのだなあと感じました。小学生の授業でシェイクスピア作品を取り上げているところもあるとか。


シェイクスピアいえば、その生家のあるストラトフォード・アポン・エイボンを訪ねた時に、劇場施設の一部屋が完全に子どものためにディスプレイされていたことを思い出しました。


考えてみれば、私たちも昔コドモだったわけで、いずれお金を払ってくれる立場になる「将来のオトナ」ですからね。大切にしてあげるべきですね。
商業演劇ですらこのように子どもたちを大事するプログラムを多数取り入れている状況ですから、地方の公共施設や劇場では、もっと子どもたちや地域住民のためのプログラムがさかんに行われているようです。今回の旅では地方の劇場を訪ねることににフォーカスはしませんでしたが、私が担当している「文化プロデュース」という授業(東北学院大学教養学部)では、以前、えずこシアター支配人の水戸雅彦氏をお迎えして、水戸氏が視察してこられた英国の劇場事情をご紹介いただきました。その中でも、それぞれの地域における劇場の役割というのは、そのプログラムが大変に進化していて、感心したことを思い出しました。

一方、今読んでいるイザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」のなかで、オヤジたちが一カ所に集まってこどもを可愛がっている姿が描かれている。明治初期のイギリス人女性イザベラの目には「日本人は子供をとても大切に育てる民族」と映ったようでです。つまりもともと日本は大人たちみんなで子どもを大事に育てる国だったんですね。

そんな思いを胸に、英国には英国の演劇文化があり、日本にも同様に伝統的な演劇文化が存在します。この2つの文化をリスペクトしながら、新しい舞台づくりに向かうことが、これからの私たちの立ち位置かもしれないと思っています。


2014年9月10日水曜日

お取り寄せ

初めての経験でありましたが、本を海外からお取り寄せしてみました。
このブログ9/7の記事の続編みたいな感じですけれど、Unbeaten Tracks in Japan というペーパーバックスです。この本はいろんなエディションが存在しているようですが、まずは手に入りやすいものから。ということで、アマゾンを通じてロンドンの本屋さんに注文。現地で発送したよという連絡から9日目の昨日手元に届きました。


もうパブリック・ドメインと化している書物なので、インターネットで検索すれば、無料で英語版は読めるんですね。しかし本として手元にあるということは、何だか全然感覚が違います。単に「所有する」ということだけではなく何か愛着のようなもうが湧いてきますね。

ちょうど3時になったので、頂きものの文明堂のカステラでコーヒーブレイク。


事務所の最年少スタッフTさんが「人数分、ちょうど5等分しました~」と言って持ってきてくれました。「ほほう、きれいに切れましたね」と応えると、隣のK君に「それ、はじめからカットされて箱に入ってました」とすかさず突っ込みを入れらていました。まあ、初めからネタはばれていたわけですが、些細なことでも笑い声が絶えない事務所です。

外からは秋っぽい日差しが入り込む、ほのぼの時間。
9月の十六夜月を待つオフィスにて。