SCSキッズクラスの「日曜コース」をのぞいてみました。
4月には、年に一度のキッズクラス発表会が控えています。
今日は、レパートリーのお稽古がずいぶんと進んでいるようです。
この発表会の詳細は、決定次第このブログでもお知らせしてまいりますね。
さて、英国人のイザベラ・バートさんが書いた『日本奥地紀行』によれば、昔の日本人は、子どもをめちゃめちゃ可愛がっていたようです。彼女が日本を旅したのは1878(明治11)年のこと。地方に行けばまだまだ江戸時代の名残があった時代でしょう。その本の中では、バートさんをして「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」と言わしめるほど、当時の日本人たちは子どもを楽しんで育てていたようです。
バートさんについては、以前、このブログ記事でも「こどもと劇場~ウエストエンドの断片(3)」ならびに「読破なるか」いうタイトルで、ちょっと触れたことがありました。
私たちも、子どもに接するときには、バートさんが観察したころの日本人のようでありたいと思っています。
2016年3月13日日曜日
2015年1月10日土曜日
ケム川のほとりにて~ウエストエンドの断片(最終回)
私たちの旅の終わりは、ケンブリッジでの時間だった。
ここは、和巳兄さんにとって11年ぶりの思い出の地。
私にとっては12年ぶりの訪問地である。
ケンブリッジという名前は「ケム川にかかる橋」という意味らしい。
そのケム川にかかる橋を渡ってみたりしながら、みんなで歩いた。
12年前、和巳さんの細君故ハルコさんも一緒にこうして川べりを散歩したことなどを思い出していた。
一方、ケンブリッジ大学では、ちょうどシェイクスピアフェスティバルが行われていた。和巳さんが、そのプログラムの中から「ヴェニスの商人」のチケットを手に入れてくれて、我々はそれを観た。
Robinson College Gardens で上演された野外劇である。
夏とは名ばかりの寒い気温だったけれど、ケンブリッジ日本人会の会長Tamako氏も合流してくださったりして、あったかな気分で、鑑賞することができた。
同行した子どもたちには、この英語の野外劇、ちょっとハードルが高かったかもしれないが、なぜだかみんな神妙な顔をして、終わりまでじっと観ていた。
その姿を横から眺めつつ、僕らは勿論であるが、子どもたちにとっても、こういう空気感を味わうことが重要なのだろうという実感を持った。推測ではなく実感である。
英国を発つ前日には、そのケンブリッジ大学にお勤めのとある教授のお宅にお邪魔する機会もあった。お家にお招きいただき、お茶を頂いた。お庭を拝見したときに、しっかりと生活に溶け込んでいるイングリッシュガーデンに感動を覚えた。
この世にうまれて「生活をする」ということの意味を考えさせられた。
パブの帰り、一足先に宿に戻った子どもたちのもとへ急ぐ和巳さんの後ろ姿と、石畳の道が印象的だった。
子どもをケアするという日常と英国に居るという非日常の渾然が楽しい旅であった。
今回の英国では、考えること、感じること、この2つが、日本に居る状態とは違ってとにかく新鮮であった。
この収穫を何とか自分の言葉や音で表現する機会を持ちたい。
願わくば来年もここを訪れる機会があらんことを。
ここは、和巳兄さんにとって11年ぶりの思い出の地。
私にとっては12年ぶりの訪問地である。
ケンブリッジという名前は「ケム川にかかる橋」という意味らしい。
そのケム川にかかる橋を渡ってみたりしながら、みんなで歩いた。
12年前、和巳さんの細君故ハルコさんも一緒にこうして川べりを散歩したことなどを思い出していた。
一方、ケンブリッジ大学では、ちょうどシェイクスピアフェスティバルが行われていた。和巳さんが、そのプログラムの中から「ヴェニスの商人」のチケットを手に入れてくれて、我々はそれを観た。
Robinson College Gardens で上演された野外劇である。
夏とは名ばかりの寒い気温だったけれど、ケンブリッジ日本人会の会長Tamako氏も合流してくださったりして、あったかな気分で、鑑賞することができた。
同行した子どもたちには、この英語の野外劇、ちょっとハードルが高かったかもしれないが、なぜだかみんな神妙な顔をして、終わりまでじっと観ていた。
その姿を横から眺めつつ、僕らは勿論であるが、子どもたちにとっても、こういう空気感を味わうことが重要なのだろうという実感を持った。推測ではなく実感である。
英国を発つ前日には、そのケンブリッジ大学にお勤めのとある教授のお宅にお邪魔する機会もあった。お家にお招きいただき、お茶を頂いた。お庭を拝見したときに、しっかりと生活に溶け込んでいるイングリッシュガーデンに感動を覚えた。
この世にうまれて「生活をする」ということの意味を考えさせられた。
ケンブリッジという土地が、そういうことを考えさせるのか、それとも他の要因か。
教授が庭で、和巳さんと僕とのツーショットを撮ってくださった。
旅の終わりに、いい記念の写真になった。
しめくくりは、やはり「フィッシュ&チップス」であろう。
ケム川沿いにあるボートハウスというパブで頂いた一品。
ひじょーにうまかた!
やはり、こーゆー写真が1枚ぐらいないと私のblogらしからぬ(笑)
パブの帰り、一足先に宿に戻った子どもたちのもとへ急ぐ和巳さんの後ろ姿と、石畳の道が印象的だった。
子どもをケアするという日常と英国に居るという非日常の渾然が楽しい旅であった。
今回の英国では、考えること、感じること、この2つが、日本に居る状態とは違ってとにかく新鮮であった。
この収穫を何とか自分の言葉や音で表現する機会を持ちたい。
願わくば来年もここを訪れる機会があらんことを。
2014年11月16日日曜日
オペラ座の怪人~ウエストエンドの断片(9)
この「ウエストエンドの断片」という拙い記事もこれで9回目です。年内にはもうひとつ、10回目を記して、シリーズの区切りといたしましょうか。
あまり引っ張っても「昨日の新聞」のようになりますゆえ。
実のところ、この夏の英国の旅の一番の目標は「何もしない」ということでありました。「何もしない」という響きは何かから逃げているようにも聞こえますね(笑)しかしそれは、我々の日常から考えるとほぼ不可能なこと。恐らく、現地に行けばそんなわけにはいかないってことはわかっていたけれど、何だか和巳さんも僕もそんな、日常をうっちゃってしまうような憧れと、ちょっと脱力したような感覚が心地よいと感じていたのかもしれません。
さて、そんなことを言いながらも、旅も終わりに近づいた頃、僕たち2人の父と4人の娘はミュージカルを観ることにしました。倫敦はウエストエンドのハー・マジェスティ劇場、あの夏目漱石も英国留学中にこの劇場を訪れているのだそうです。The phantom of the Opera (オペラ座の怪人)。この劇場ではもうかれこれ28年も同じ演目が上演され続けているのです。すんごいロングラン公演ですね。
何もしないはずの英国でしたが、ロンドンやケンブリッジでは観劇はもちろん、沢山の方々にお会いしました。
もう一度観たい、もう一度お逢いしたい、そんな気持ちが募ります。舞台や文学作品はもちろんのこと、英国での沢山の方々との出逢いも私にとって、今や煌めく宝物であります。
あまり引っ張っても「昨日の新聞」のようになりますゆえ。
実のところ、この夏の英国の旅の一番の目標は「何もしない」ということでありました。「何もしない」という響きは何かから逃げているようにも聞こえますね(笑)しかしそれは、我々の日常から考えるとほぼ不可能なこと。恐らく、現地に行けばそんなわけにはいかないってことはわかっていたけれど、何だか和巳さんも僕もそんな、日常をうっちゃってしまうような憧れと、ちょっと脱力したような感覚が心地よいと感じていたのかもしれません。
さて、そんなことを言いながらも、旅も終わりに近づいた頃、僕たち2人の父と4人の娘はミュージカルを観ることにしました。倫敦はウエストエンドのハー・マジェスティ劇場、あの夏目漱石も英国留学中にこの劇場を訪れているのだそうです。The phantom of the Opera (オペラ座の怪人)。この劇場ではもうかれこれ28年も同じ演目が上演され続けているのです。すんごいロングラン公演ですね。
外観も客席も、品格と劇場の歴史を感じる建築物です。
「ロンドンでミュージカルを観る」というイベントは当初の目的から言ってもそれ程プライオリティは高くありませんでした。しかし、子どもたちにホンモノの劇場の雰囲気は一度味わって欲しいとは思っていましたから、結果として子供たちの学校を終えてからの時間に計画。「行き当たりバッチリ」で、和巳さんが、全員分のとても良い席を確保してくださいました。
子どもたちは、初めて観る劇場の重厚さに、当初圧倒されていたようにも見えましたが「あのシャンデリアが落っこってくるのかなぁ」などと、客席に座るなり、ワクワクしてる様子が感じられました。
オーケストラのチューニングの音とともにそのワクワク感はさらに昂まっているようでした。
フィナーレで子どもたちは、誰に教わるでもなく自らスタンディングオベーションをしていました。その姿は、多少なりとも舞台の世界にいる我々親父2人にとって、ちょっぴり涙腺を刺激されるような、嬉しい瞬間でした。和巳さんもシェイクスピアカンパニーのHP内にあるブログでその事に触れておられます。
ふと、オペラ座の怪人というミュージカルを、ニューヨークとバンクーバーでも観ていたことを思い出しました。しかし、そのどれよりも、そして12年前に同じハー・マジェスティ劇場で観たオペラ座の怪人よりも、あらゆる面で、今回のPhantomは好印象でした。
「これを観なきゃ!」という意気込みが全く無く、ロンドンやケンブリッジに滞在しながら、何となく土地の空気に溶け込むような感じで行動したことが功を奏したのかもしれません。いろいろと考えたり感じたりすることが沢山ありました。
ロングラン公演というものは、日々作品や役者を熟成させかつ進化させていくものなのかもしれません。
いや、そうでなければならないのでしょう。
ゆえに、今回も劇場は満席でありました。
もう一度観たい、もう一度お逢いしたい、そんな気持ちが募ります。舞台や文学作品はもちろんのこと、英国での沢山の方々との出逢いも私にとって、今や煌めく宝物であります。
2014年10月27日月曜日
泣けた、そして想った~ウエストエンドの断片(8)
ブロードウェイ・ミュージカルの有名な作品は、ロンドンで初演されたものが多い。
この夏にロンドンのナショナルシアターで観た「War Horse」という作品。
2007年にロンドンで初演。2011年のトニー賞5部門受賞。そしてこの夏は東京の渋谷でも同作品をやっていた。
「すごくいい作品」「泣けるらしい」…そんな噂はあちこちで耳にしていた。
今や、観たい作品はネットで検索するとほとんど事前に情報を得ることができる。
しかし今回 War Hose は、劇場窓口の当日券での入場。したがって、それまでに耳にしたウワサ以外の情報は持ち合わせていなかった。言ってみれば、ナショナルシアターのでかい看板にひかれた、思い付き。
それ故、ほとんど事前情報なしに客席に座った私は、舞台の馬を見たとき「ふ~ん、馬の人形か、ちょっと動きが本物っぽいな」程度にしか、感じなかった。
しかし!
1幕を終えたときには、私の涙腺は崩壊し、
2幕を終えたときには、しばらく席を立てなかった。
まるで生きている馬が舞台上に出現していたかのような錯覚。
作品の詳細はここでは触れないが、元来、動物ものにはめっぽう弱い私のツボにはまった。
もちろん、それだけではなく、何しろトニー賞5部門受賞作品。圧倒的な貫録と安定感があった。
後に知ったのだが、かのスピルバーグ監督もこの作品の1幕目を終えたときには号泣していたとか。(その後、彼の手により映画化)
涙には、ヒーリングや浄化作用があるのだそうだ。
私もあの時、何かを浄化していたのかもしれない。
完全に作者、役者、プロダクションの手中にはまってしまった。
全面降伏。
それはもうシェイクスピアの時代から、感動を発振する原石はロンドンで生まれ、ブロードウェイやハリウッドで研磨され世界中に響き渡る。
そうした原石は無条件に人の心を動かし、ひいてはそれぞれの芸術作品が象徴に「時代」を形成していくものである。
翻って、
日本において感動を発振する原石は生まれうるか…。
発信ではない。それ自体が発振するような原石。
ロンドンの劇場街で、日本よりも低く感じる青空を見上げた。
この夏にロンドンのナショナルシアターで観た「War Horse」という作品。
2007年にロンドンで初演。2011年のトニー賞5部門受賞。そしてこの夏は東京の渋谷でも同作品をやっていた。
「すごくいい作品」「泣けるらしい」…そんな噂はあちこちで耳にしていた。
今や、観たい作品はネットで検索するとほとんど事前に情報を得ることができる。
しかし今回 War Hose は、劇場窓口の当日券での入場。したがって、それまでに耳にしたウワサ以外の情報は持ち合わせていなかった。言ってみれば、ナショナルシアターのでかい看板にひかれた、思い付き。
それ故、ほとんど事前情報なしに客席に座った私は、舞台の馬を見たとき「ふ~ん、馬の人形か、ちょっと動きが本物っぽいな」程度にしか、感じなかった。
しかし!
1幕を終えたときには、私の涙腺は崩壊し、
2幕を終えたときには、しばらく席を立てなかった。
まるで生きている馬が舞台上に出現していたかのような錯覚。
作品の詳細はここでは触れないが、元来、動物ものにはめっぽう弱い私のツボにはまった。
もちろん、それだけではなく、何しろトニー賞5部門受賞作品。圧倒的な貫録と安定感があった。
後に知ったのだが、かのスピルバーグ監督もこの作品の1幕目を終えたときには号泣していたとか。(その後、彼の手により映画化)
涙には、ヒーリングや浄化作用があるのだそうだ。
私もあの時、何かを浄化していたのかもしれない。
完全に作者、役者、プロダクションの手中にはまってしまった。
全面降伏。
それはもうシェイクスピアの時代から、感動を発振する原石はロンドンで生まれ、ブロードウェイやハリウッドで研磨され世界中に響き渡る。
そうした原石は無条件に人の心を動かし、ひいてはそれぞれの芸術作品が象徴に「時代」を形成していくものである。
翻って、
日本において感動を発振する原石は生まれうるか…。
発信ではない。それ自体が発振するような原石。
ロンドンの劇場街で、日本よりも低く感じる青空を見上げた。
2014年10月13日月曜日
こどものこころは~ウエストエンドの断片(7)
関東や東北にも台風が近づいているというニュースを聴きながら、この夏の振り返りをふたたび。
日本ではちょうどお盆。8月13日にロンドンのNew Londonという劇場で「エレファントム」とお芝居を観ました。
The Elephantom、何だか「エレファントマン」と「ファントム(オブ・ジ・オペラ)」を足して2で割ったようなタイトルであります。
舞台はとても抽象的なのだけれど、お話はかなり分かりやすい。客席には小学校低学年か、幼稚園児ぐらいの子達の姿もみえました。午前中の開演というのも頷けます。
結構シュールな印象もあったので、子どもたちはどう反応するのかなぁなどと考えていた私の心配とは全く無関係に、彼らがおはなしの中に入り込んでいく様子が印象的でした。おそらく僕は、左様に客席のことなどを気にしている、演者や制作している人々にとっては、悪い観客です。長く制作の現場にいる悲しい性とでも申しましょうか(笑)
さて、このお芝居を観た後に、滞在していたフルハムのマンション近くの書店で”The Tiger Who Came to Tea”という絵本を見つけ購入しました。
実は、和巳さんとそうらちゃんはThe Tiger Who Came to Teaの舞台を観たそうで、つまりこの絵本のお話はお芝居にもなっていているのでした。しかも彼によれば、この2作品はちょっと共通性があるね、とのこと。エレファントムを観たばかりでしたから、イギリスの子どもたちにとってポピュラーなお話ということだけでも、がぜん興味が湧いて、即購入しました。
さっそく、読んでみると、淡々とした語り口のようにも思えるその絵本には、確かに、ある種英国独特のお行儀の良さを感じるところがあり、動物のいたずらやアクションに怒りやいら立ちを示していないところなどは、エレファントムと共通している部分もあるなと感じました。シンプルゆえにおはなしがすぅ~っと入ってくる感じがありました。
それにしても、お芝居を観るときの私は邪念が多すぎるような気もします。エレファントムを観ているときも、舞台上手に居るミュージシャンの演奏や、楽器の持ち替えに感心したり、舞台上でのゾウの出現させ方を予想したり…シンプルな心で向き合っていないなあといつも反省してしまいます。
それゆえに、たまに童心にかえって絵本なんか読んでみるのは、自分にとって、とても良い刺激になることを再発見しました。
考えてみれば、子供向けの舞台や本を作っているのは大人たちであるわけでして…その大人たちは子どもたちの本当の心をわかっているわけではありません。実は大人たちに必要な世界を想像して、失ってきた感覚を補っているだけに過ぎないのかもしれません。
ああ、まためんどくさいことを考えてしまった。
そんなだから、こどものこころに憧れるのかな。
日本ではちょうどお盆。8月13日にロンドンのNew Londonという劇場で「エレファントム」とお芝居を観ました。
The Elephantom、何だか「エレファントマン」と「ファントム(オブ・ジ・オペラ)」を足して2で割ったようなタイトルであります。
舞台はとても抽象的なのだけれど、お話はかなり分かりやすい。客席には小学校低学年か、幼稚園児ぐらいの子達の姿もみえました。午前中の開演というのも頷けます。
結構シュールな印象もあったので、子どもたちはどう反応するのかなぁなどと考えていた私の心配とは全く無関係に、彼らがおはなしの中に入り込んでいく様子が印象的でした。おそらく僕は、左様に客席のことなどを気にしている、演者や制作している人々にとっては、悪い観客です。長く制作の現場にいる悲しい性とでも申しましょうか(笑)
さて、このお芝居を観た後に、滞在していたフルハムのマンション近くの書店で”The Tiger Who Came to Tea”という絵本を見つけ購入しました。
実は、和巳さんとそうらちゃんはThe Tiger Who Came to Teaの舞台を観たそうで、つまりこの絵本のお話はお芝居にもなっていているのでした。しかも彼によれば、この2作品はちょっと共通性があるね、とのこと。エレファントムを観たばかりでしたから、イギリスの子どもたちにとってポピュラーなお話ということだけでも、がぜん興味が湧いて、即購入しました。
さっそく、読んでみると、淡々とした語り口のようにも思えるその絵本には、確かに、ある種英国独特のお行儀の良さを感じるところがあり、動物のいたずらやアクションに怒りやいら立ちを示していないところなどは、エレファントムと共通している部分もあるなと感じました。シンプルゆえにおはなしがすぅ~っと入ってくる感じがありました。
それにしても、お芝居を観るときの私は邪念が多すぎるような気もします。エレファントムを観ているときも、舞台上手に居るミュージシャンの演奏や、楽器の持ち替えに感心したり、舞台上でのゾウの出現させ方を予想したり…シンプルな心で向き合っていないなあといつも反省してしまいます。
それゆえに、たまに童心にかえって絵本なんか読んでみるのは、自分にとって、とても良い刺激になることを再発見しました。
考えてみれば、子供向けの舞台や本を作っているのは大人たちであるわけでして…その大人たちは子どもたちの本当の心をわかっているわけではありません。実は大人たちに必要な世界を想像して、失ってきた感覚を補っているだけに過ぎないのかもしれません。
ああ、まためんどくさいことを考えてしまった。
そんなだから、こどものこころに憧れるのかな。
2014年10月3日金曜日
謎が生み出すもの~ウエストエンドの断片(6)
恋人同士の段階では、
謎が多いほうがスリリングなものである。
ロンドンのCOWARD劇場で観た、
'Shakespeare in Love'
満席だった。
素晴らしい作品だった。(実はディスニー社が関わっていると知ってちょっとびっくりしたが)
随所に挿入されていた古楽器の生演奏による音楽も、こころを揺さぶられた。
さて、舞台の冒頭。
Shall I compare thee to a summer's day?
シェイクスピアのソネットでも超有名な、
18番の最初の行と思われる、
Shall I compare.... という言葉が作品の最初に何度か出てきた。
~写真は手元のソネット(14行詩)集、18番が載っている頁~
Shall I compare....は、作品の途中でも出てきた。
その単語に対して、客席からくすっと笑うような反応が即座にあった。
そのたびに、シェイクスピアをよく知らない私は、ちょっと遅れをとったような気がしていた。
ちなみにこの18番。
この甘美な詩が、同性の役者に向けられていたかもしれないという説がある。私にはにわかに信じ難いが、それはすなわち私の料簡の狭さか。
シェイクスピアは、その存在、作品、何から何まで謎だらけである。
その謎が、今もなお多くの作品をこの世に生み出している理由かもしれない。
今回観たこの作品もその一つなのであろう。終演後の客席の満足そうな雰囲気が印象的であった。 環境客も多く混じっていると思われるが、それにしても、あぁ、イギリスの観客の層の厚さよ!
日本に戻ってから、映画のほうの Shakespeare In Love もDVDで観なおしてみた。
むむ、
シェイクスピア先生は恋愛の達人であったのかも。
なーるほど、
恋人に、謎が多ければ、
それだけの混乱と呪縛を生み、
そして、
深みにはまりやすいもの。
高等技術である。
一方、舞台をつくり客を前にするこのギョーカイは、
やはり世阿弥先生のいうように、
「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」なのか。
私ごとき凡人にゃアウトオブ理解。
到底たどり着けない境地であり、
シェイクスピア先生の謎は深まるばかりなり。。。
謎が多いほうがスリリングなものである。
ロンドンのCOWARD劇場で観た、
'Shakespeare in Love'
満席だった。
素晴らしい作品だった。(実はディスニー社が関わっていると知ってちょっとびっくりしたが)
随所に挿入されていた古楽器の生演奏による音楽も、こころを揺さぶられた。
さて、舞台の冒頭。
Shall I compare thee to a summer's day?
シェイクスピアのソネットでも超有名な、
18番の最初の行と思われる、
Shall I compare.... という言葉が作品の最初に何度か出てきた。
~写真は手元のソネット(14行詩)集、18番が載っている頁~
Shall I compare....は、作品の途中でも出てきた。
その単語に対して、客席からくすっと笑うような反応が即座にあった。
そのたびに、シェイクスピアをよく知らない私は、ちょっと遅れをとったような気がしていた。
ちなみにこの18番。
この甘美な詩が、同性の役者に向けられていたかもしれないという説がある。私にはにわかに信じ難いが、それはすなわち私の料簡の狭さか。
シェイクスピアは、その存在、作品、何から何まで謎だらけである。
その謎が、今もなお多くの作品をこの世に生み出している理由かもしれない。
今回観たこの作品もその一つなのであろう。終演後の客席の満足そうな雰囲気が印象的であった。 環境客も多く混じっていると思われるが、それにしても、あぁ、イギリスの観客の層の厚さよ!
日本に戻ってから、映画のほうの Shakespeare In Love もDVDで観なおしてみた。
むむ、
シェイクスピア先生は恋愛の達人であったのかも。
なーるほど、
恋人に、謎が多ければ、
それだけの混乱と呪縛を生み、
そして、
深みにはまりやすいもの。
高等技術である。
一方、舞台をつくり客を前にするこのギョーカイは、
やはり世阿弥先生のいうように、
「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」なのか。
私ごとき凡人にゃアウトオブ理解。
到底たどり着けない境地であり、
シェイクスピア先生の謎は深まるばかりなり。。。
2014年9月30日火曜日
シェイクスピアを追いかけて~ウエストエンドの断片(5)
和巳さんと私は、突然思い立って「シェイクスピア先生の墓参り」に行こうということになった。
もとより、この夏の旅で、和巳さんはその計画について当初はさほど積極的でなかった。彼にとっては何度となく足を運んでいる土地であり、実際、若いころに長期滞在していた場所であるから、さもありなむ。訪問先としてのプライオリティは低かったのであろう。
ところが「お盆だから墓参りさ行ってみねすか」という私の意味不明なアイディアを面白がったのか「んで、ちょこっと行ってみるすか」とういうことになった。
思い立った翌日の朝、和巳さん、そうらちゃん、私の3人は、ロンドンのメリルボーン駅から列車に乗り込み、シェイクスピア生誕の地、ストラトフォード・アポン・エイボンへと向かった。恐らく観光ツアーなどの場合、バスで赴くのが便利なのだろう。直行の列車は意外に空いていて快適であった。
観光バスなどが到着するにはまだ少し早い時間であったせいか、駅から歩いて辿り着いたストラトフォードの町の中心部には観光客らしき人影も少なく、比較的穏やかな表情を見せていた。
まずは、ロイヤルシェイクスピアカンパニー(RSC)の事務室を訪問して、和巳さんは、Cicely Berry さんへの手紙と留守電メッセージを残した。
RSCでは、あえて芝居を観なかった。私たちは「ふらっとお墓参りにきた」という感覚に浸っていたかったのかもしれない。いずれここでわたしが芝居を観る機会は必ず訪れるであろう。そんな確信めいた予感もあった。
墓所を前に、私たちは450年前にここで生まれ、ここに眠るシェイクスピア先生を思った。
和巳さんはずいぶん長い時間祈っておられたように感じた。
一方、ここはシェイクスピア生誕の家。
庭ではシェイクスピア作品のスキットが演じられていた。
生家に入るのには入場料を取られるが、このスキットの観劇料も入っていると思うと安いものだ。
今回の旅で感じたことのひとつに、イギリスの役者は楽器を演奏する人が多いということがある。そしてこれがまたうまい。歌まで歌ったりする。役者なら楽器ぐらいできて当たり前なのか、嗜みなのか。まるで皆ミュージカル俳優のようだ。とにかく、どんな環境においても客を愉しませることに徹している。
シェイクスピア先生の生まれた土地で、我々は生誕450年をお祝いした。
そうらちゃん撮影の2ショット。
ストラトフォード・アポン・エイボンは、私が想像していたよりも静かな、そして完全にシェイクスピア先生に彩られた町であった。
もとより、この夏の旅で、和巳さんはその計画について当初はさほど積極的でなかった。彼にとっては何度となく足を運んでいる土地であり、実際、若いころに長期滞在していた場所であるから、さもありなむ。訪問先としてのプライオリティは低かったのであろう。
ところが「お盆だから墓参りさ行ってみねすか」という私の意味不明なアイディアを面白がったのか「んで、ちょこっと行ってみるすか」とういうことになった。
思い立った翌日の朝、和巳さん、そうらちゃん、私の3人は、ロンドンのメリルボーン駅から列車に乗り込み、シェイクスピア生誕の地、ストラトフォード・アポン・エイボンへと向かった。恐らく観光ツアーなどの場合、バスで赴くのが便利なのだろう。直行の列車は意外に空いていて快適であった。
観光バスなどが到着するにはまだ少し早い時間であったせいか、駅から歩いて辿り着いたストラトフォードの町の中心部には観光客らしき人影も少なく、比較的穏やかな表情を見せていた。
まずは、ロイヤルシェイクスピアカンパニー(RSC)の事務室を訪問して、和巳さんは、Cicely Berry さんへの手紙と留守電メッセージを残した。
RSCでは、あえて芝居を観なかった。私たちは「ふらっとお墓参りにきた」という感覚に浸っていたかったのかもしれない。いずれここでわたしが芝居を観る機会は必ず訪れるであろう。そんな確信めいた予感もあった。
次に、RSCの劇場そばで、少し懐かしい光景を目にしながら、シェイクスピア先生のお墓のあるトリニティ教会を目指してぶらぶらと歩いた。
協会の門をくぐると、緑のトンネルが続く。
僕は、そうらちゃんの手を引いて、和巳さんのあとに続いた。
なぜか和巳さんの足取りが速くなる。
墓所を前に、私たちは450年前にここで生まれ、ここに眠るシェイクスピア先生を思った。
和巳さんはずいぶん長い時間祈っておられたように感じた。
一方、ここはシェイクスピア生誕の家。
庭ではシェイクスピア作品のスキットが演じられていた。
生家に入るのには入場料を取られるが、このスキットの観劇料も入っていると思うと安いものだ。
今回の旅で感じたことのひとつに、イギリスの役者は楽器を演奏する人が多いということがある。そしてこれがまたうまい。歌まで歌ったりする。役者なら楽器ぐらいできて当たり前なのか、嗜みなのか。まるで皆ミュージカル俳優のようだ。とにかく、どんな環境においても客を愉しませることに徹している。
シェイクスピア先生の生まれた土地で、我々は生誕450年をお祝いした。
そうらちゃん撮影の2ショット。
もちろん、フィッシュアンドチップスもしっかりいただいた(笑)
ストラトフォード・アポン・エイボンは、私が想像していたよりも静かな、そして完全にシェイクスピア先生に彩られた町であった。
2014年9月25日木曜日
シェイクスピア世界への入り口~ウエストエンドの断片(4)
私が初めてシェイクスピア作品に触れたのは、大学生の時であります。
最初に読んだのは「ロミオとジュリエット」だったと記憶しています。
名作ロミオとジュリエットは、シェイクスピア先生がギリシア神話の『ピュラモスとティスベ』を元にして書かれたイタリアの小説からヒントを得て書いたといわれていますが、20世紀になってこれをもとに「ウエストサイド・ストーリー」という映画やミュージカルが製作されていたのですね。
不勉強な学生だった私は、そんなことなど全く知らなかったわけでありまして、さらに数十年後に、自分の仕事としてミュージカルの世界に足を踏み入れることも、シェイクスピア作品に再び触れることになることなども、まったく知る由もなく…。
正直なところ当時の私は、現代日本文学や音楽のほうに興味が集中していたし、恋愛ものとしては、たとえば映画にもなって山口百恵や三浦友和が吹き替えしていたエリックシーガルの「ある愛の詩」などのほうがしっくりくるように感じていたのであります。
ゆえに、残念ながら大学時代には、英文学科の学生だったにも関わらず、シェイクスピア作品に心惹かれることはなく、ただ書かれている英文が難しいという印象だけをもっていたのでした。
ところが、当時難しいと思いながらも、なぜかシェイクスピアのソネット(14行詩)だけには興味がわいて、それがきっかけで、結果的に英文の詩に興味を持ち、専攻を「イギリスロマン派詩」にすることにしたのです。考えてみればシェイクスピアに全く触れていなければ、専攻をアメリカ文学にしていたかもしれない。今でも何か不思議な気がします。
それから20年後(そういえばO.Henryの作品に"After Twenty Years"ってのがありましたね、あ、これはアメリカ文学)、今から12年前に(友人というより兄貴のような)下館和巳さんがロンドンのグローブ座で演出するということで、初めてイギリスを訪れることになりました。つまり、20歳前後にシェイクスピアの世界を「ちら見」して以来、人生二度目のシェイクスピア体験をすることになるのです。
世界中から集まった俳優たちを相手に、和巳さんがアジア人としては初めてあの復元された劇場で演出する。私は単純に「そりゃ、応援に行かなくちゃ」ってことで、その現場に駆け付けました。2002年の夏の終わりのことでした。これがその時ロンドンのグローブ座の壁に貼られていた公演ポスター。
よく見るとポスター左端の真ん中に和巳さんの顔が。
ちなみに当時のグローブ座の外観はこんな感じです。
そして、2014年、あれから12年後の今年訪れたグローブ座の外観。
比較すると、なんとなく以前より活気に満ちているような…。
ストラトフォードで芝居は見ませんでしたけれど、買い物をしたの唯一のものが、シェイクスピアのソネット集。
生家の傍にある売店で衝動的に買ってしまったのですが、帰国後つくづく眺めてみると、何だか、何十年もかけて、ずいぶんと遠回りして、振り出しに戻ったような気分になりました(笑)
さて、話は戻って2002年9月。
いずれこのブログでまたご紹介するかもしれませんが、今回はシェイクスピアの生家、ストラトフォード・アポン・エイボンにも行ってきました。グローブ座は、ロンドンにあるということもあるのでしょうが、ストラトフォードとはまた違う温度が劇場周辺から感じ取れます。
グローブ座での本番前日、彼に近くのパブでインタビューしたのですが、その話しぶりからは、緊張感とともに、彼がまさに大きく高い壁を乗り越えようとしているような気迫を感じたものでした。
彼が演出した作品は、シェイクスピア作品からいくつかオムニバス形式で演技を構成していく内容のものでしたが、英語圏の方やシェイクスピア作品を(英語で)体験している方はともかく、私のように英語力もなく浅学の身には、少々敷居が高い内容でした。そこで彼は、日本から来たお客さまへの参考までにと、自筆で解説文を書き、当日それをコピーして配ってくださいました。
これは大変ありがたく、アホな弟分にとっても勉強になったものです。それにしても、あれほど多忙を極める中で、彼が、作品に対するリスペクトとお客に対するホスピタリティの両方を重視する姿は、いかにシェイクスピアを大切にしているのかが伝わってくるようで、印象的でした。きっと彼にとってはごく自然な振る舞いだったのかもしれませんが。
最後にこれは、その日私が撮影したものなのですが、今となっては貴重な一枚かもしれません。
最初に読んだのは「ロミオとジュリエット」だったと記憶しています。
名作ロミオとジュリエットは、シェイクスピア先生がギリシア神話の『ピュラモスとティスベ』を元にして書かれたイタリアの小説からヒントを得て書いたといわれていますが、20世紀になってこれをもとに「ウエストサイド・ストーリー」という映画やミュージカルが製作されていたのですね。
不勉強な学生だった私は、そんなことなど全く知らなかったわけでありまして、さらに数十年後に、自分の仕事としてミュージカルの世界に足を踏み入れることも、シェイクスピア作品に再び触れることになることなども、まったく知る由もなく…。
正直なところ当時の私は、現代日本文学や音楽のほうに興味が集中していたし、恋愛ものとしては、たとえば映画にもなって山口百恵や三浦友和が吹き替えしていたエリックシーガルの「ある愛の詩」などのほうがしっくりくるように感じていたのであります。
ゆえに、残念ながら大学時代には、英文学科の学生だったにも関わらず、シェイクスピア作品に心惹かれることはなく、ただ書かれている英文が難しいという印象だけをもっていたのでした。
ところが、当時難しいと思いながらも、なぜかシェイクスピアのソネット(14行詩)だけには興味がわいて、それがきっかけで、結果的に英文の詩に興味を持ち、専攻を「イギリスロマン派詩」にすることにしたのです。考えてみればシェイクスピアに全く触れていなければ、専攻をアメリカ文学にしていたかもしれない。今でも何か不思議な気がします。
それから20年後(そういえばO.Henryの作品に"After Twenty Years"ってのがありましたね、あ、これはアメリカ文学)、今から12年前に(友人というより兄貴のような)下館和巳さんがロンドンのグローブ座で演出するということで、初めてイギリスを訪れることになりました。つまり、20歳前後にシェイクスピアの世界を「ちら見」して以来、人生二度目のシェイクスピア体験をすることになるのです。
世界中から集まった俳優たちを相手に、和巳さんがアジア人としては初めてあの復元された劇場で演出する。私は単純に「そりゃ、応援に行かなくちゃ」ってことで、その現場に駆け付けました。2002年の夏の終わりのことでした。これがその時ロンドンのグローブ座の壁に貼られていた公演ポスター。
よく見るとポスター左端の真ん中に和巳さんの顔が。
ちなみに当時のグローブ座の外観はこんな感じです。
そして、2014年、あれから12年後の今年訪れたグローブ座の外観。
比較すると、なんとなく以前より活気に満ちているような…。
ストラトフォードで芝居は見ませんでしたけれど、買い物をしたの唯一のものが、シェイクスピアのソネット集。
生家の傍にある売店で衝動的に買ってしまったのですが、帰国後つくづく眺めてみると、何だか、何十年もかけて、ずいぶんと遠回りして、振り出しに戻ったような気分になりました(笑)
さて、話は戻って2002年9月。
いずれこのブログでまたご紹介するかもしれませんが、今回はシェイクスピアの生家、ストラトフォード・アポン・エイボンにも行ってきました。グローブ座は、ロンドンにあるということもあるのでしょうが、ストラトフォードとはまた違う温度が劇場周辺から感じ取れます。
グローブ座での本番前日、彼に近くのパブでインタビューしたのですが、その話しぶりからは、緊張感とともに、彼がまさに大きく高い壁を乗り越えようとしているような気迫を感じたものでした。
彼が演出した作品は、シェイクスピア作品からいくつかオムニバス形式で演技を構成していく内容のものでしたが、英語圏の方やシェイクスピア作品を(英語で)体験している方はともかく、私のように英語力もなく浅学の身には、少々敷居が高い内容でした。そこで彼は、日本から来たお客さまへの参考までにと、自筆で解説文を書き、当日それをコピーして配ってくださいました。
これは大変ありがたく、アホな弟分にとっても勉強になったものです。それにしても、あれほど多忙を極める中で、彼が、作品に対するリスペクトとお客に対するホスピタリティの両方を重視する姿は、いかにシェイクスピアを大切にしているのかが伝わってくるようで、印象的でした。きっと彼にとってはごく自然な振る舞いだったのかもしれませんが。
最後にこれは、その日私が撮影したものなのですが、今となっては貴重な一枚かもしれません。
舞台が終わった後に、グローブ座で撮影したもの。みんながカッパを着ているのは、公演時間にはあいにくの雨だったからです。グローブ座には一部の客席を除いて屋根がありません。桟敷席の客はみんなカッパを来て観劇したのです。
中央で帽子をかぶっている紳士はMark Ryance(マーク・ライアンス)氏。ロンドングローブ座最初のアーティスティック・ディレクターであり、トニー賞やオリバー賞などを受賞している人気俳優。その左隣が和巳さん。手前のこども2人は和巳さんの長女と次女。このときまだ三女は誕生してませんでした。
そして右端は和巳さんの奥様であり写真家の故中村ハルコ氏。
プライベートな写真でもありますから、公表するのは多少憚ったのですが、あれから干支もひとめぐりしてシェイクスピア生誕450年に訪れた英国。僕は人生三度目のシェイクスピア体験をして、再びその世界の入り口に立ったような気分です。でも今度は何だかそれが続きそうな、入り口からもう一歩入り込めそうな予感がしています…。
ハルコさんにもそんな報告がしたかったし、和巳さんや僕たちの夏の体験、ウエストエンドの断片を記録することで、彼女も天国からこのブログ見て、楽しんでくださるような気がしてね。
2014年9月12日金曜日
こどもと劇場~ウエスト・エンドの断片(3)
ちょっと写真が小さくて恐縮ですが、この地図にあるようにロンドンの中心部には、大小新旧入り混じり、沢山の劇場があります。
こんなに沢山あると、演劇人ならずとも、どんなものが上演されているのか覗いてみたくなりますね。…そう、地図を見ていてふと思ったのは、そこが大事なんですね。つまり劇場や作品は演劇人や演劇好きな人たちのためにあるのではなくて、フツーのパンピーのためにあるもなのです。
劇場も、図書館も大学も、ほんとは町の中にあるべきなのでしょうね。そう考えます。英国では劇場がある、そこに足を運ぶということが日常にあるのでしょう。だから、前回記事にしたミナックシアターのように、イギリスの最西端に連日満席になる野外劇場も存在するのかもしれません。。
そして、あらためて感心したことがあります。
ロンドンの劇場で手に入れたこのチラシ。
Kids Go FREE to Top London Shows!
とあります。
なぬ?子どもはタダでロンドンの一流の舞台が観れるだと!?
うらやまし~と思うと同時に、大人たちによって「劇場は楽しいところ」というインプリンティングがしっかりとなされているのだなあと感じました。小学生の授業でシェイクスピア作品を取り上げているところもあるとか。
シェイクスピアいえば、その生家のあるストラトフォード・アポン・エイボンを訪ねた時に、劇場施設の一部屋が完全に子どものためにディスプレイされていたことを思い出しました。
考えてみれば、私たちも昔コドモだったわけで、いずれお金を払ってくれる立場になる「将来のオトナ」ですからね。大切にしてあげるべきですね。
商業演劇ですらこのように子どもたちを大事するプログラムを多数取り入れている状況ですから、地方の公共施設や劇場では、もっと子どもたちや地域住民のためのプログラムがさかんに行われているようです。今回の旅では地方の劇場を訪ねることににフォーカスはしませんでしたが、私が担当している「文化プロデュース」という授業(東北学院大学教養学部)では、以前、えずこシアター支配人の水戸雅彦氏をお迎えして、水戸氏が視察してこられた英国の劇場事情をご紹介いただきました。その中でも、それぞれの地域における劇場の役割というのは、そのプログラムが大変に進化していて、感心したことを思い出しました。
一方、今読んでいるイザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」のなかで、オヤジたちが一カ所に集まってこどもを可愛がっている姿が描かれている。明治初期のイギリス人女性イザベラの目には「日本人は子供をとても大切に育てる民族」と映ったようでです。つまりもともと日本は大人たちみんなで子どもを大事に育てる国だったんですね。
そんな思いを胸に、英国には英国の演劇文化があり、日本にも同様に伝統的な演劇文化が存在します。この2つの文化をリスペクトしながら、新しい舞台づくりに向かうことが、これからの私たちの立ち位置かもしれないと思っています。
こんなに沢山あると、演劇人ならずとも、どんなものが上演されているのか覗いてみたくなりますね。…そう、地図を見ていてふと思ったのは、そこが大事なんですね。つまり劇場や作品は演劇人や演劇好きな人たちのためにあるのではなくて、フツーのパンピーのためにあるもなのです。
劇場も、図書館も大学も、ほんとは町の中にあるべきなのでしょうね。そう考えます。英国では劇場がある、そこに足を運ぶということが日常にあるのでしょう。だから、前回記事にしたミナックシアターのように、イギリスの最西端に連日満席になる野外劇場も存在するのかもしれません。。
そして、あらためて感心したことがあります。
ロンドンの劇場で手に入れたこのチラシ。
Kids Go FREE to Top London Shows!
とあります。
なぬ?子どもはタダでロンドンの一流の舞台が観れるだと!?
うらやまし~と思うと同時に、大人たちによって「劇場は楽しいところ」というインプリンティングがしっかりとなされているのだなあと感じました。小学生の授業でシェイクスピア作品を取り上げているところもあるとか。
シェイクスピアいえば、その生家のあるストラトフォード・アポン・エイボンを訪ねた時に、劇場施設の一部屋が完全に子どものためにディスプレイされていたことを思い出しました。
商業演劇ですらこのように子どもたちを大事するプログラムを多数取り入れている状況ですから、地方の公共施設や劇場では、もっと子どもたちや地域住民のためのプログラムがさかんに行われているようです。今回の旅では地方の劇場を訪ねることににフォーカスはしませんでしたが、私が担当している「文化プロデュース」という授業(東北学院大学教養学部)では、以前、えずこシアター支配人の水戸雅彦氏をお迎えして、水戸氏が視察してこられた英国の劇場事情をご紹介いただきました。その中でも、それぞれの地域における劇場の役割というのは、そのプログラムが大変に進化していて、感心したことを思い出しました。
一方、今読んでいるイザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」のなかで、オヤジたちが一カ所に集まってこどもを可愛がっている姿が描かれている。明治初期のイギリス人女性イザベラの目には「日本人は子供をとても大切に育てる民族」と映ったようでです。つまりもともと日本は大人たちみんなで子どもを大事に育てる国だったんですね。
そんな思いを胸に、英国には英国の演劇文化があり、日本にも同様に伝統的な演劇文化が存在します。この2つの文化をリスペクトしながら、新しい舞台づくりに向かうことが、これからの私たちの立ち位置かもしれないと思っています。
2014年9月8日月曜日
野外劇場〜ウエスト・エンドの断片(2)
7月の最終日、2人のパパと4人の娘たち、そして日本からいらした1組のお客さまが合流した8名のチームは、2台の車に分乗して滞在先のCastleを出発した。
目指したのはイギリスの西の果て、文字通りランズ・エンドと呼ばれる場所。
そこにあるのが「ミナック・シアター」。
劇場のホームページはこちら。
一人のイギリス人女性がコツコツと石を運んで作り上げたという伝説の劇場であると同時に、いつも満席で当日券を入手するのはなかなか難しいという人気劇場だ。
その日は雨の予報に反して開演の頃にはピーカンになった。
この劇場へたどり着くまでの道は、日本では考えられないぐらいの細道。対向車が来ると何度もバックを余儀無くされた。そんな辺鄙な環境の岬の先端に、一体何処から集まって来たのだろうという大勢の客で客席はあっという間に埋め尽くされた。
皆の熱中症を気にしながら観劇したのは「プロデューサー」というブロードウェイミュージカル。
何がビックリしたって、袖も幕も照明も無い、石造りの野外劇場で「ミュージカル」をやってのけるという現実だ。
さらにビックリしたのは、圧倒的な役者の力量!一流の役者という印象は勿論、全員「歌って踊れるのが当然」ということを、全ての年齢層の役者達によって「当然のごとく」断続的に提示されてゆく。無いはずの照明効果や、舞台装置までも見えてくる。
そして、観客席はといえば「芝居を楽しもう」という自然な空気で溢れているた。それは、直射日光でギンギンにヒートアップした客席の私に、英国演劇の歴史の深さと分厚い観客層を実感させていた。
2014年9月5日金曜日
チラシ~ウエスト・エンドの断片(1)
せっかくこの夏はイギリスを旅したので、
「ウエスト・エンドの断片」と題して、もう少しその記憶を書き留めておこうと思う。
現地からこのブログに書き込んだ出来事もあるけれど、書きたいことは無限と言っていいくらいにある。
まずはこの「ウエスト・エンド」という言葉。
基本的には、ロンドンの中心部から見て西側の地区をさす言葉であるけれど、そのあたりは劇場街でもあり、ニューヨークのブロードウェイと対照させて、ロンドンのミュージカルをウエスト・エンドと称することもある。
そのウエストエンドあたりを歩くと、すぐにこんなふうなチラシを手に入れることができる。
ためしに手元のチラシで比較的メジャーどころを机の上に並べてみた。
ちょうどA4の紙を三つ折りにしたような大きさ。
もちろん、この写真にある演目よりもはるかに多くの作品が日常的に上演されている。日本の演劇事情、劇場環境と英国のそては大きく異なるということが、チラシや演目の多さでもすぐにわかる。
そして、世界的にヒットしているミュージカルの多くは、ロンドンが初演地である。
この夏の私の旅は、演劇作品を観ることが目的ではなかったけれど、それでもいくつかの作品は観た。これまでのブログ記事に加えて、コラム的に、不定期になるかと思うが記憶を書きだしてみようと思う。
もちろん、ウエストエンドという地区のことに限らず、異国で過ごしたこの夏の記憶や感覚を全般的に。
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