風が少し冷たかったけれども、小高い山に登って海を眺めたり、
昨日は、日帰り温泉。短時間ながらもリフレッシュ。
おまけに今夜オフィスを出たなら満月だとか。
満月の写真はいろんな方々が撮っておられることでしょう。
深まる秋の愉しみは至る所に。
2018年11月23日金曜日
2018年11月19日月曜日
七ヶ浜ミュージカル『Re:born』
ほんとうに美しい時間でした。
一瞬にして現れたホリゾントの向こうには、
穏やかな海と、高台移転が完了した新しい住宅地が見えていました。
七ヶ浜町内外から沢山のみなさまのご来場賜りましたこと、
心から感謝申し上げます。
一瞬にして現れたホリゾントの向こうには、
穏やかな海と、高台移転が完了した新しい住宅地が見えていました。
七ヶ浜町内外から沢山のみなさまのご来場賜りましたこと、
心から感謝申し上げます。
2018年11月14日水曜日
今年のクリスマスは…チラシ出来ました(^^)
SCSの定番公演、ぶんぶん姫シリーズ。
24年目のタイトルは…『ぶんぶん平成駆け抜ける!』
12月23日、24日の二日間、3回のみの公演です。
チラシ出来ましたのでまずはご報告です。
このブログにて制作情報随時お知らせしてまいりますね!
24年目のタイトルは…『ぶんぶん平成駆け抜ける!』
12月23日、24日の二日間、3回のみの公演です。
チラシ出来ましたのでまずはご報告です。
このブログにて制作情報随時お知らせしてまいりますね!
2018年11月13日火曜日
準備の準備
今週末はいよいよ七ヶ浜町での新作ミュージカル『Re:born』が上演されます。
写真は一週間前の様子です。
会場となる七ヶ浜国際村では、舞台美術、進行、照明、音響、撮影などの各スタッフが、様々な確認作業が行われていました。
その昔、職人肌の大道具親方から「プロの仕事は9割9分が準備」と教わったことなど思い出しながら、客席から皆さんの仕事を見守ります。
もちろん会場以外でも、衣裳さんや主催者側の制作スタッフも準備に余念がありません。
沢山の関係者が準備のための準備も重ねながら、 開幕カウントダウンの時間を過ごします。
写真は一週間前の様子です。
会場となる七ヶ浜国際村では、舞台美術、進行、照明、音響、撮影などの各スタッフが、様々な確認作業が行われていました。
その昔、職人肌の大道具親方から「プロの仕事は9割9分が準備」と教わったことなど思い出しながら、客席から皆さんの仕事を見守ります。
もちろん会場以外でも、衣裳さんや主催者側の制作スタッフも準備に余念がありません。
沢山の関係者が準備のための準備も重ねながら、 開幕カウントダウンの時間を過ごします。
2018年11月9日金曜日
2018年11月6日火曜日
2018年11月2日金曜日
お針
この時期になると、七ヶ浜のお稽古場で熱心にミュージカルの練習に励む子どもたちと同じ屋根の下、お母さんたちによる衣裳の製作協力が続きます。
梶賀千鶴子先生命名による「七ヶ浜おはりこーず」のメンバーです。
みなさんが作業をしているお部屋にお邪魔した時に、私はおなかが空いていたせいもあってか一瞬ケーキに見えたこれは、どうやら帽子のようですね。リアルです(笑)
この「おはりこーず」の作業部屋には、いつも真剣な空気と愛情がたくさん詰まっています。
お針のひと針ひと針に込められた想いは必ずや実を結びます。
みんなこの新作ミュージカルを創る大切な「同志」。
ふと思い出しました。そういえば…私がまだ子どもの頃に母が縫ってくれたズック袋や体操着入れは、いったいどこにいったのだろう。おそらくもうどこにもないと思うのですが、記憶のなかには不思議と残っているものですね。
梶賀千鶴子先生命名による「七ヶ浜おはりこーず」のメンバーです。
みなさんが作業をしているお部屋にお邪魔した時に、私はおなかが空いていたせいもあってか一瞬ケーキに見えたこれは、どうやら帽子のようですね。リアルです(笑)
この「おはりこーず」の作業部屋には、いつも真剣な空気と愛情がたくさん詰まっています。
お針のひと針ひと針に込められた想いは必ずや実を結びます。
みんなこの新作ミュージカルを創る大切な「同志」。
ふと思い出しました。そういえば…私がまだ子どもの頃に母が縫ってくれたズック袋や体操着入れは、いったいどこにいったのだろう。おそらくもうどこにもないと思うのですが、記憶のなかには不思議と残っているものですね。
2018年10月31日水曜日
深まる
お昼に教室を出るとパラついていた雨も上がってお日さまが。
しかしヒンヤリとした風を感じました。
朝の気温も10℃を割ったりして、秋が深まっていきますねぇ。
紅葉や落葉は、植物たちにとっては「春への準備」でもありますね。
落葉樹は落葉しなければ生きられない。新しい葉っぱを生み出す準備です。
今日はラジオで「平成も残すところ半年。」というフレーズを聞きました。
つまり平成最後の秋。
そして、この木たちが新緑となる頃には新元号となっているんだなぁ、などと少々感慨深く。
我が来し方行く末を想うのでありました。
しかしヒンヤリとした風を感じました。
朝の気温も10℃を割ったりして、秋が深まっていきますねぇ。
紅葉や落葉は、植物たちにとっては「春への準備」でもありますね。
落葉樹は落葉しなければ生きられない。新しい葉っぱを生み出す準備です。
今日はラジオで「平成も残すところ半年。」というフレーズを聞きました。
つまり平成最後の秋。
そして、この木たちが新緑となる頃には新元号となっているんだなぁ、などと少々感慨深く。
我が来し方行く末を想うのでありました。
2018年10月27日土曜日
満月
毎週通っている七ヶ浜町。
お稽古場となっている七ヶ浜国際村のすぐ下には小豆浜(あずきはま)と呼ばれる美しい浜があります。
お稽古の前にスタッフと短い時間浜の新しい堤防に立ってみました。
明るく幻想的な満月の浜辺です。
この町に通い始めて18年。
当時の小学6年生が30歳になるぐらいの年月です。
私自身はまったく成長が見られませんが、ウイスキーなら結構いいお値段になるぐらい通っているのだとふと思った月夜でありました(笑)
お稽古場となっている七ヶ浜国際村のすぐ下には小豆浜(あずきはま)と呼ばれる美しい浜があります。
お稽古の前にスタッフと短い時間浜の新しい堤防に立ってみました。
明るく幻想的な満月の浜辺です。
この町に通い始めて18年。
当時の小学6年生が30歳になるぐらいの年月です。
私自身はまったく成長が見られませんが、ウイスキーなら結構いいお値段になるぐらい通っているのだとふと思った月夜でありました(笑)
2018年10月21日日曜日
地図を片手に
オフィスでは長時間座って仕事をすることが多いので、運動不足。そこで、時折近所をうろうろ散歩することがあります。今日は地図を片手に30分ほど昼下がりのお稽古場周辺。
いい天気です。
おっと、地図と言っても本日使用したのはちょっと変わった地図。
正確にはスマホで動く「仙台時間地図」というアプリのお世話になりました。
このアプリのなかに「明治40年発行_最近実測仙台市街全図」というのがありまして、これを参照してみました。おもしろいのは明治時代の古い地図がGPS対応になっていて、古い地図上に現在位置を示してくれるというところです。
明治40年というと1907年。夏目漱石、芥川龍之介、有島武郎、内村鑑三、永井荷風、高村光太郎、谷崎潤一郎などが生きていた時代です。いやぁ~すごい時代だったのですね。
写真は地図のリリースから110年余りを経た平成時代の今日。国分町通りの一番南の端に立ち、かるいタイムトラベラー気分を味わっているところ(笑)
江戸時代は奥州街道として仙台のメインストリートであったこの道は今もまっすぐなままに残っているのがお分かりになるでしょうか?
この道のずーっと先の突き当り、即ち北の端には青葉神社があります。
因みに、この古い地図によれば、青葉神社手前の右手には競馬場があったようです。またこの写真を撮った背後は現在東北大学の金属材料研究所になっていますが、明治の地図では「宮城監獄分監」とありますね。その後ろが第二高等学校(現在の東北大学片平キャンパス)。記録によれば、魯迅が仙台医学専門学校(東北大学医学部)に入学したのは1904年(明治37年)とありますから、まさにこの地図のような街並みであったことでしょう。魯迅さんもこの道を何度も通ったに違いありません。彼の下宿のすぐそばには片平小学校。これは昔と変わらぬ位置のようです。そして、そのとなりの現仙台地方高等裁判所は「宮城控訴院」と書かれています。
昔、この街道はどんな賑わいを見せていたのだろうか、いったいこの道をどれだけの人々が行き来したのだろうかなどと思いを馳せつつ、秋の高い空の下、短いお散歩楽しみました。
いい天気です。
おっと、地図と言っても本日使用したのはちょっと変わった地図。
正確にはスマホで動く「仙台時間地図」というアプリのお世話になりました。
このアプリのなかに「明治40年発行_最近実測仙台市街全図」というのがありまして、これを参照してみました。おもしろいのは明治時代の古い地図がGPS対応になっていて、古い地図上に現在位置を示してくれるというところです。
明治40年というと1907年。夏目漱石、芥川龍之介、有島武郎、内村鑑三、永井荷風、高村光太郎、谷崎潤一郎などが生きていた時代です。いやぁ~すごい時代だったのですね。
写真は地図のリリースから110年余りを経た平成時代の今日。国分町通りの一番南の端に立ち、かるいタイムトラベラー気分を味わっているところ(笑)
江戸時代は奥州街道として仙台のメインストリートであったこの道は今もまっすぐなままに残っているのがお分かりになるでしょうか?
この道のずーっと先の突き当り、即ち北の端には青葉神社があります。
因みに、この古い地図によれば、青葉神社手前の右手には競馬場があったようです。またこの写真を撮った背後は現在東北大学の金属材料研究所になっていますが、明治の地図では「宮城監獄分監」とありますね。その後ろが第二高等学校(現在の東北大学片平キャンパス)。記録によれば、魯迅が仙台医学専門学校(東北大学医学部)に入学したのは1904年(明治37年)とありますから、まさにこの地図のような街並みであったことでしょう。魯迅さんもこの道を何度も通ったに違いありません。彼の下宿のすぐそばには片平小学校。これは昔と変わらぬ位置のようです。そして、そのとなりの現仙台地方高等裁判所は「宮城控訴院」と書かれています。
昔、この街道はどんな賑わいを見せていたのだろうか、いったいこの道をどれだけの人々が行き来したのだろうかなどと思いを馳せつつ、秋の高い空の下、短いお散歩楽しみました。
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