地震、独自の緊急事態宣言、10万人あたりの感染者数が最大だのと、ネットもテレビも宮城県の話題がのぼっています。
一方で、ほんとうは美しい海の色や空が、霧に包まれていました。
でも、いつか晴れます。
世の中というか自然界とは、そういうものなのでしょうね。
10年10年と言われます。確かに十進法での節目かもしれません。しかし私たちにとって、これは通過点だとも感じています。またまだ伝えたいことがたくさんあるような気がしますし、忘れたいような気もします。けれども…忘れない。
そんな思いのなか、3月11日を目前にした一昨日の日曜日。私たちは『忘れたい忘れない』という作品を上演しました。
東日本大震災で町の3分の一が津波の被害を受けた宮城県七ヶ浜町にある七ヶ浜国際村のホールで。地元のミュージカルグループ「NaNa5931」と、SCSミュージカル研究所(仙台)との合同制作作品でした。
客席数は半分に減らしたレイアウトで全席指定席。感染症対策はしっかり施しつつも、内心はお客さまにおいでいただけるかどうか一抹の不安がありました。しかし、あっという間に全公演のチケットは完売となり、お客さまのリアルな舞台に対する期待感がとても高いことを実感しながらの上演でした。
舞台写真を少し紹介します。(撮影:柏谷潔)
感染防止策の一環で終演後恒例の役者たちによるお客さまお見送りなどはできませんでしたが、劇場を後にされるお客さまのなかには、マスク越しに、「楽しかったよ」「いい舞台でした」「大事だね」「泣いちゃったよ」などと、笑顔で私に声をかけてくださる方もおられました。
そして… 明日は3月11日。
追悼の一日です。
おかげさまで、先週末の米沢での伝国座ミュージカル公演は、設置した座席がほぼ満席となるほどのお客さまに支えられ、好評のうちに幕を閉じました。
お客さま、関係した全ての皆さまに感謝申し上げます。
さて明けて月曜日、早くも弥生。 月の初めだからと言うことでは無いけれど、今朝はいつもより早く出社して一仕事こなしました。
ふと窓の外を見れば、少し霞みがかったような空に太陽。ビルのリフレクションで不思議に明るく見えていました。
この時点で8時半。
この後、時間を有効に使って日帰り温泉に出かけたことはみんなに内緒です(笑)
今週末は、よねざわ市民ミュージカル「伝国座」の年度末成果発表が行われます。
伝国座は2009年に米沢市で初めて誕生したミュージカルグループ。名前の由来などは別の機会に譲るとして、創立以来小生は(たまにこのブログでも触れてきましたが)プロデューサーとして関わり地元米沢の皆さんとともに活動を続けてまいりました。
しかし、今年度はご承知の通りのコロナ禍。前年までとは状況が一変しました。一時的に活動がストップしてしまいました。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎて、私たちが伝国座でのお稽古を始めることが出来たのは11月でありました。
そんな状況にも関わらず、このたび、伝国座の皆さんの情熱と米沢市の文化課の皆さんや米沢上杉文化振興財団の皆さまのご尽力により、実際の舞台を使用しての発表会が行われることになりました。もちろん感染防止のガイドラインに則り、万全の対策を施しての挑戦です。
今週も、私たちは雪の米沢へと出向き、伝国座の皆さんの活動サポートを行いました。
ステキな新調衣裳も出来上がっていました。
劇場の灯を消さないために、私たちにできることを日々考え続けながらの挑戦です。
新型コロナウイルスに関しての緊急事態宣言が延長された。現下の状況は私たちの活動にも、大きな影響をもたらしているが、どんな形であれミュージカルの舞台作品創りは止めないでいこうと思う。
ミュージカルの舞台は、大きく「音楽」「ダンス」「芝居」の各要素から成り立っている。そしてそれぞれに文芸的な要素と映像的な要素もはらんでいる。これまで30年続けてきた活動のなかで、それぞれの要素を精査してみると、パンデミックな状況下でも、やれること、やるべきことは無限にあるのだ。
冒頭の一行に書いたように、コロナは人々に「耐える」ことを強要し続けているが、今、耐えながらも生み出すことを求められていると言い換えることもできるのではないだろうか。一方で、耐えていることを感じさせない「自然体」も必要であると思う。すなわち「がんばって」はいけない。「柔よく剛を制す」のである。コロナは形を変えながら襲ってくる柔の敵であるから、我々は更なる柔で臨むべきなのである。
そうした思いの中、20年のお付き合いがある七ヶ浜国際村様との協業による劇場を使っての新しい企画がスタートした。
先日の日曜日。最初の撮影を終え、ばらし(後片付け)のために舞台奥のホリゾント幕が開かれると、そこには、七ヶ浜の美しい海と暮れなずむ空があった。
地球上の人間たちはどうあれ、少しく未練を残しているようにも見えるオレンジ色を残し、対岸から必ず陽はまた昇るのである。
そうした美しい自然の色を見ていると、今日生きていることが有難く、明日への活力が湧いてくるのである。
LPレコードを買うお小遣いが無かった私は、『氷の世界』を所有する友人に頼んで、カセットテープに録音してもらって部屋のラジカセをベッドの頭の方に設置して、毎晩聴いていた。ギターのフレーズや陽水さんの声、すべてがカッコよく思えた。このアルバムが「ロンドン録音」ということを知って、ブリティッシュロックに興味を持ち始めたのもこの頃であった。
ただし、陽水さんがつむぐ歌詞はメタファーに溢れ中学生の私には、少々難解で、しかし、その言葉たちが醸し出す不思議な世界観は、まるでベッドからラビリンスに引きずり込まれるかのごとく。当時の私には大変に魅力的であった。
1960年代後半から1980年代初頭にかけての日本の音楽や、欧米のロックシーンは、間違いなく今の音楽につながっている。良い時代に音楽体験したとつくつく思う。ベンチャーズ、ビートルズやローリングストーンズ、クイーンやレッド・ツェッペリン、果てはジミ・ヘンドリックス、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、TOTO、スティーリー・ダンに至るまで、夢中になって聴きまくったアーテストたちは枚挙にいとまがない。芳醇な音に溢れた時代であったと言ってよい。ラップ的なアプローチは当時すでにスティーヴィー・ワンダーが自然な形でやっていたし、日本のヒット歌謡曲のアレンジは、ほとんどアメリカのロックシーンのパクリみたいな状態になっていたこともあった。
そういえば、最近若者が目のあたりまで髪を垂らしているのを見かけるが、それはもう、西城秀樹さんが70年代にやっていた。確かに私も昔、髪を伸ばしてカッコいいと思っていた時代があったなぁ。
若者よ、前髪垂らすのは今だ。
それがまだ出来るうちにやってみておいた方が良い(笑)