仕事の関係で家族と共にシンガポールに移り住んでいるから友人が一時帰国した。
彼は、米沢興譲館剣道部時代の同期。
後輩が気を利かして、週末に仙台での親睦会を企画してくれた。
この後輩(小生の隣)とは、年が離れているから高校時代に一緒になることはなかったけれど、3人の共通項は剣道部であったこと、かつ仙台興譲館寮というところに寄宿していた点にある。
話題は、それぞれの仕事や政治、経済、文化と多岐にわたって、楽しい時間を過ごした。何よりも学生時代の寮生活の思い出話に花が咲いた。
気がつくと深夜3時!
翌日は3人で我々が学生時代にお世話になった寮母さんを、入所されているとある施設から連れ出してランチを楽しんだ。
僕ら寮生は当時から親しみをこめて「おばさん」と呼んでいた。
おばさんは、来年で米寿を迎えられるそうだ。そういう風には見えない若々しさとお元気さ。
当時やんちゃでわがままなワタクシをおばさんは辛抱強く見守ってくださり、よくお叱りを受けたりもしたなぁ。でも、それは我々寮生への愛情のなせる業。食事の管理や健康管理、当時はほんとにたくさん気を遣っていただいた。みんなおばさんを母親のように慕っていた。
おばさんいわく「一番町でみんなと買い物しようと待ち合わせたとき、友人は長靴のままでやってきて、まるで営林署の方が近づいてくるようで大笑いしたねぇ」とか「そのあと、初任給でセーター買ってくれたね」など、我々が忘れているような昔のことを良く覚えていらっしゃる。そういえば、おばさんが還暦を迎えられたときに、福島の温泉に学生たちみんなでお連れしたっけなぁ。
思い出話で一番盛り上がったのは、 週末におばさんがつくってくださる興譲館寮名物の週末カレー。日曜日(寮の食事がない日)の朝も食べられるようにと、毎週少し余分にご飯を炊いておいてくださった。三升のお米を砥ぐのに、おばさんは腱鞘炎になったこともあったそうな。それに前の晩のカレーをかけて食べた。毎週カレー鍋は猫でもなめたかのように綺麗になっていた。
今でも、その味は当時の角五郎丁の風景とともにしっかりと記憶している。
おばさん、また一緒にみんなで飯食うべしね!
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