二日続けてやって来た米沢。昨日は時間の関係で実家に立ち寄ることはかなわなかったけれど、今日は少し早めに仙台を出て、久々に両親の顔を見た。
ほんの30分程度の滞在時間であったが、茶の間でお茶を飲んでいると、台所のほうから母親の「空のてっぺんまで赤いよ」という声が聞こえた。
母親の少し興奮気味の声に、僕はすぐさまカバンからコンパクトカメラを取り出して、急ぎ裏の畑に出て見た…
家の中からは「お父ちゃんにも見えるかもしれないから、ホラ、早く」と母親の、目が不自由になりつつある父親を夕焼け空の下に連れ出そうとする声が聞こえてきた。
老いてゆく親を見るにつけ何かしら人生の不条理というか戸惑いのようなものを感じる。そしていつか必ず来る別れを思うと、泣けてくる。
それにしても、何という夕焼けであろう。
写真ではうまく表現できていないが、見たこともないような赤い色が周囲を包み込んでいた。美しかった。
あまりに美しいので、sky-freak friend に写メを送ってみたところ、仙台の空も凄かったらしい。それは帰宅後にチェックしたFacebookで友人たちが夕焼け写真をupして興奮したりセンチメンタルになっている記事からも確認できた。
さて、そんなサンセットショーの後、向かったのは中学校の50周年記念パーティー。
写真は、担任をして頂いた伊田稔先生(写真左)とのツーショット。実は、伊田先生の奥様(残念ながら若くして亡くなられている)明子先生には、小学校時代に担任をして頂いている。不思議なご縁のある先生だ。
先生とお話をさせて頂くうちに、小学校低学年の頃、やんちゃが過ぎた私を、明子先生がギュッと抱きしめて諭してくださったことや、稔先生の個性的な板書、明るい授業などが思い出されてきた。
伊田先生のほかにも、英語の高梨先生、社会の高橋先生など、大好きだった先生方とお会いできた。
こうして、久しぶりに恩師とお話しさせていただいていると、自分が子供達や学生たちを前にした時、無意識にこうした恩師の先生方のマネをしているような時があることに気付いた。
素晴らしい先生方に恵まれていたのだと、今頃になって気づく。そんな相変わらずダメ生徒で、先生、ゴメンナサイ。
仙台へ戻る車中、ハンドルを握りながら、恩師のありがたさ、ふるさとのありがたさをかみしめていた。
あの真っ赤な夕焼けは、
あっという間に夜の闇という姿に変えるけれど、
美しいその色は褪せることなく、
記憶の中にある。
さても、
時の流れの速さに少々戸惑いながら、
あの劇的に燃えていた夕焼けに象徴されるような一日であった。
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