昨夜は某新聞社の方と仙台の下町、荒町にて一献。
荒町には奥州仙台七福神のひとつ毘沙門天が奉られています。
また、このあたりは、以前SCSミュージカル研究所の
稽古場や事務所があったことからなじみのある土地です。
懐かしさに乗じて久しぶりに飲みすぎてしまったかもしれません。寝る前の記憶があやふや。
もともと、お酒はあまり強くないので、調子に乗ってはいけませんね(^_^;)
さて、明けて本日。
なんと朝7:15から始まる講演会を聴講に出かけました。
「慶長使節が託したもの」と題した、元仙台市博物館長で、現宮城県慶長使節船ミュージアム館長濱田直嗣先生の公演です。
さすが濱田先生、とてもためになる内容でした。
最後に質問の時間があったので、浅学の身も省みず思い切って疑問に思っていたことをひとつお聞きしてみました。
Q:1611年(支倉出帆の2年前、いわゆる慶長三陸大地震)の津波被害に関して、当時の幕府(家康)側の資料「駿府記」では、「溺死者五千人」という記述がありますが、 これを現在の規模に置き換えるとどれほどになるのでしょうか。
A:正確な当時の人口は分からないが、当時はおよそ50万人の領民がいたと推測されるので、5千人という犠牲者は、割合からするとこのたびの東日本大震災と同規模と言って良いのではないか。
とのことでした。
1611年の地震についてマグニチュードは最近の調査により8.3と言われているそうです。
それにしても、それほどの被害があったたった2年後に500トンのガレオン船を仕立ててローマに向かわせた伊達政宗はすごい人だったのだと再認識。
ちなみに当時の幕府初のメキシコ渡航船は120トン規模だったとか。それを考えるといかに大規模な事業であったのかと窺えます。
歴史を学びながら、今後の舞台制作にどんなひらめきが起こってくるのか、自分でワクワクします。
勉強はいくつになっても終わりませんね。
知らなかったことがわかってくるのは、おもしろい。
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