お陰様で『KECHO & DANCE DAISUKI』初日の幕を開けることが出来ました。
初日から大勢のお客さまにおいでいただき、この場をお借りして心から感謝申し上げます。
私の「役作り」も功を奏したのでしょうか(笑)アンケートでもたいへん好評を頂きました。本日も泉鏡花の幽玄な世界と楽しいダンスショーをお楽しみいただければ幸いです。
舞台カメラマンの柏谷潔さんから写真の提供をいただきましたので、恒例により本ブログをご覧の皆さまにもご紹介いたしますね。
尚、写真はオリジナルの解像度から変更してあります。また許可のない複製、転載などによる利用は法により禁じられておりますので、ご注意ください。
2019年9月29日日曜日
2019年9月21日土曜日
Mind the gap.
先月の約半分はロンドンに滞在していました。そしてそのうち約半分の1週間は宿を出ると地下鉄を使って、劇場までの道を連日通う日々でありました。
今回のロンドンでの劇場通いは、仙台を拠点に活動する「シェイクスピア・カンパニー」の『アイヌ・オセロ』上演に伴いボランティアスタッフとして関わったことによるものですが、私にとってのそれは、自己啓発と研修も兼ねるような、とても良い経験になりました。チャンスをくださった皆さますべてに感謝しています。
さて、ロンドンの地下鉄では、誰しもが目にする耳にする言葉があります。
’Mind the gap’
駅のホームと電車の間に隙間があるので気を付けて、という意味です。
僕たちが連日劇場を後にして、ウィンブルドンの駅からベイズウォーター目指して帰路につくとき、たいてい乗り込んだ地下鉄の車内はたいていガランとしていました。少し込み合う路線ももちろんありますが。ロンドンでは夜の地下鉄車内で日本のように酔客を見るようなことはほとんどありません。
Mind the Gap.かぁ…。
私は、ガランとした電車のシートに座ると、少し疲れた頭で社内を見渡しながらぼーっとしていましたが、とつぜん、電車内で見聞きするその言葉の中の「the gap」という言葉の意味が気になり始めました。
今回はシェイクスピア作品の翻案劇を本国で上演するというプロジェクトに関わらせていただいていることもあってか、東洋と西洋、日本語と英語、マジョリティとマイノリティ、17世紀と21世紀、男と女…、様々な2つの間にあるgapを考え始めたのでした。
私も自分の仕事としている舞台作品制作や音楽制作でも、何かいつもこの問題にぶちあったているような気がしてならなかったからかもしれません。
この「ギャップ」にはいつも気を付けていなくてはなりません。
MIND THE GAP :-)
今回のロンドンでの劇場通いは、仙台を拠点に活動する「シェイクスピア・カンパニー」の『アイヌ・オセロ』上演に伴いボランティアスタッフとして関わったことによるものですが、私にとってのそれは、自己啓発と研修も兼ねるような、とても良い経験になりました。チャンスをくださった皆さますべてに感謝しています。
さて、ロンドンの地下鉄では、誰しもが目にする耳にする言葉があります。
’Mind the gap’
駅のホームと電車の間に隙間があるので気を付けて、という意味です。
僕たちが連日劇場を後にして、ウィンブルドンの駅からベイズウォーター目指して帰路につくとき、たいてい乗り込んだ地下鉄の車内はたいていガランとしていました。少し込み合う路線ももちろんありますが。ロンドンでは夜の地下鉄車内で日本のように酔客を見るようなことはほとんどありません。
Mind the Gap.かぁ…。
私は、ガランとした電車のシートに座ると、少し疲れた頭で社内を見渡しながらぼーっとしていましたが、とつぜん、電車内で見聞きするその言葉の中の「the gap」という言葉の意味が気になり始めました。
今回はシェイクスピア作品の翻案劇を本国で上演するというプロジェクトに関わらせていただいていることもあってか、東洋と西洋、日本語と英語、マジョリティとマイノリティ、17世紀と21世紀、男と女…、様々な2つの間にあるgapを考え始めたのでした。
私も自分の仕事としている舞台作品制作や音楽制作でも、何かいつもこの問題にぶちあったているような気がしてならなかったからかもしれません。
この「ギャップ」にはいつも気を付けていなくてはなりません。
MIND THE GAP :-)
2019年9月11日水曜日
8年半
先週、所用で気仙沼まで出かけました。
1時間半ほど自由に動ける時間があったので、少し車で移動して旧歌津町(現南三陸町)の名足(なたり)地区に行ってみました。
この小さな漁港の目の前には、私たちが1990年代の半ばから10年間通った歌津町立名足小学校(当時)があります。そこで我々は子供たちと一緒にミュージカルを創っていました。毎年秋になると、中学校の体育館でお披露目の公演を続けていました。
久々にここを訪れた私は、再建された小学校を背に当時を思い出しつつ海のほうを見続けました。
優しい海風がほほをなでていきます。
あれから8年半です。
復興の槌音はまだ響いています。
1時間半ほど自由に動ける時間があったので、少し車で移動して旧歌津町(現南三陸町)の名足(なたり)地区に行ってみました。
この小さな漁港の目の前には、私たちが1990年代の半ばから10年間通った歌津町立名足小学校(当時)があります。そこで我々は子供たちと一緒にミュージカルを創っていました。毎年秋になると、中学校の体育館でお披露目の公演を続けていました。
久々にここを訪れた私は、再建された小学校を背に当時を思い出しつつ海のほうを見続けました。
あれから8年半です。
復興の槌音はまだ響いています。
2019年9月2日月曜日
スタッフ研修(^^;
気がつくと9月になっておりました(^^;
たぶん先月の半分はロンドンにいたせいで8月が早く感じたのでしょう。ロンドンでは、下館和巳(しもだて・かずみ)氏が主宰する「シェイクスピア・カンパニー」ロンドン公演、『アイヌ・オセロ』というタイトルのシェイクスピアの『オセロ』を翻案した演劇作品でのお手つだいをしておりました。
出演者はみんな素人ながら、ネット上はもちろん、東京新聞夕刊トップ記事やテレビ朝日によるニュース、NHKラジオ深夜便などでも話題になりました。結論から言えば公演は大成功。初日の評判を聞いて2日目からはキャンセル待ちのお客が並ぶほど。
それにしても、様々なボランティアの力が終結した公演でした。
普段、プロデュースや音楽制作の仕事をしている私は、今回なんとステージ・マネージャーと、ライティング・オペレーターの役割を担いました(汗)
舞台スタッフの役割は責任重大で、ちょっと緊張いたしましたが、とても貴重な、そして感動的な「スタッフ研修」そして自己啓発の場ともなりました。
このプロジェクトに参画できたことを誇りに思います。
たぶん先月の半分はロンドンにいたせいで8月が早く感じたのでしょう。ロンドンでは、下館和巳(しもだて・かずみ)氏が主宰する「シェイクスピア・カンパニー」ロンドン公演、『アイヌ・オセロ』というタイトルのシェイクスピアの『オセロ』を翻案した演劇作品でのお手つだいをしておりました。
出演者はみんな素人ながら、ネット上はもちろん、東京新聞夕刊トップ記事やテレビ朝日によるニュース、NHKラジオ深夜便などでも話題になりました。結論から言えば公演は大成功。初日の評判を聞いて2日目からはキャンセル待ちのお客が並ぶほど。
それにしても、様々なボランティアの力が終結した公演でした。
普段、プロデュースや音楽制作の仕事をしている私は、今回なんとステージ・マネージャーと、ライティング・オペレーターの役割を担いました(汗)
舞台スタッフの役割は責任重大で、ちょっと緊張いたしましたが、とても貴重な、そして感動的な「スタッフ研修」そして自己啓発の場ともなりました。
このプロジェクトに参画できたことを誇りに思います。
2019年8月25日日曜日
記憶の断章
目の前を電車が行き過ぎるときに、ふと時空が歪むような感覚を覚える時があります。
この踏切の防雪林の向こうにはかつて通った中学校があり、さらに時間を遡ると、幼い記憶ながら「蒸気機関車」を観に来たことがあるのも確かこの辺り。今では新幹線も通る奥羽本線。
その時一緒に誰と居たのか、祖父だったのか、伯父だったか、父親だったか。どうも思い出せないのですが、今年は伯父が亡くなって、もう私の周りには祖父はもとより父方にも母方にも「おじ」は居なくなってしまいました。それだけ私も年を重ねたということなのですが、親戚が集まったりして一族がにぎわう期間などというのはほんとうに短いものです。
蒸気機関車のうっすらとした記憶から今まで、何だかあっという間の気がします。
そして、これまたあっと言う間に目の前の電車が行き過ぎて行きました。
そして、まばたきをした刹那、電車が去ったその向こうには、
私が子どもの頃に見た土煙の立ちそうな道と
その脇にあった立派な松の木の景色が広がっていました。
それは、確かに見たような気がいたしました。
この踏切の防雪林の向こうにはかつて通った中学校があり、さらに時間を遡ると、幼い記憶ながら「蒸気機関車」を観に来たことがあるのも確かこの辺り。今では新幹線も通る奥羽本線。
その時一緒に誰と居たのか、祖父だったのか、伯父だったか、父親だったか。どうも思い出せないのですが、今年は伯父が亡くなって、もう私の周りには祖父はもとより父方にも母方にも「おじ」は居なくなってしまいました。それだけ私も年を重ねたということなのですが、親戚が集まったりして一族がにぎわう期間などというのはほんとうに短いものです。
蒸気機関車のうっすらとした記憶から今まで、何だかあっという間の気がします。
そして、これまたあっと言う間に目の前の電車が行き過ぎて行きました。
そして、まばたきをした刹那、電車が去ったその向こうには、
私が子どもの頃に見た土煙の立ちそうな道と
その脇にあった立派な松の木の景色が広がっていました。
それは、確かに見たような気がいたしました。
2019年8月24日土曜日
『KECHO』チラシできました♪
次回のSCSミュージカル研究所公演は、第一部が舞踊劇『KECHO』、第二部がダンスショー『DANCE DAISUKI』という構成でお送りいたします。
ワタクシも第一部にてちょっとだけ出演することに(^^♪
ほんのちょっとだけですが(笑)
ワタクシも第一部にてちょっとだけ出演することに(^^♪
ほんのちょっとだけですが(笑)
2019年8月17日土曜日
月
帰国した翌日の夜は満月だったようです。
木曜日の晩に七ヶ浜で出会った月は、台風が近づいていたせいでしょうか、
国際村アンフィシアターを囲む水面は強めの風に揺れ、
月あかりを散らすように幻想的な雰囲気を醸し出していました。
地球上のいたるところで、同じこの月を見ているひとがいるのだなぁ、
などと思うと、宇宙に浮かぶ地球と月の姿を連想してしまいます。
そして、なんだかちっぽけだけれども、
宇宙人としての自分を感じてしまいます。
木曜日の晩に七ヶ浜で出会った月は、台風が近づいていたせいでしょうか、
国際村アンフィシアターを囲む水面は強めの風に揺れ、
月あかりを散らすように幻想的な雰囲気を醸し出していました。
そういえば、イギリス滞在中も月をよく見ました。
写真は、今月のはじめ、テムズ川の上に現れたマサムネさまの兜にあるような三日月。
そして、少し粗い写真ですが、帰国する2日前に散歩した日没後のハイドパークで、ふと振り返った時、
低い雲に見え隠れするように昇っていたお月さま。
イギリスで見る雲は、なぜか日本で見るときよりもいつも低いところにあるように感じます。
地球上のいたるところで、同じこの月を見ているひとがいるのだなぁ、
などと思うと、宇宙に浮かぶ地球と月の姿を連想してしまいます。
そして、なんだかちっぽけだけれども、
宇宙人としての自分を感じてしまいます。
2019年8月15日木曜日
帰国しました
昨夜(14日)無事に14日間にわたる英国の旅から帰国しました。
羽田に降りて、外に出たとたんに高温多湿の空気に触れて、帰国を実感しました。
いや~ほんとに暑い。しかし馴染みの暑さ。
まだ時差ボケです。今回のロンドン滞在については、以降折に触れてこのブログで書いていこうと思います。
羽田に降りて、外に出たとたんに高温多湿の空気に触れて、帰国を実感しました。
いや~ほんとに暑い。しかし馴染みの暑さ。
まだ時差ボケです。今回のロンドン滞在については、以降折に触れてこのブログで書いていこうと思います。
2019年8月13日火曜日
演劇の街
ロンドンの街なかを地下鉄で移動する日々が続いています。
おかげで、毎日1万5千歩程度歩きます。
フィッシュ&チップスでダブつき気味の身体にはちょうど良いかもしれません。
それにしても、移動のたびに気になるのは、演劇やミュージカルのポスターの多さ。
なんと、改札口まで!
演劇の街、ロンドンならではの光景ですね。
おかげで、毎日1万5千歩程度歩きます。
フィッシュ&チップスでダブつき気味の身体にはちょうど良いかもしれません。
それにしても、移動のたびに気になるのは、演劇やミュージカルのポスターの多さ。
なんと、改札口まで!
演劇の街、ロンドンならではの光景ですね。
2019年8月6日火曜日
グローブ座
ロンドンに来ると必ず訪れる場所があります。
「シェイクスピア・グローブ座」
若いころ、大学で英文学科に属しながらもハードルが高いと思っていたシェイクスピア。しかし、ミュージカルで仙台藩士・支倉常長(はせくらつねなが)を演じてからは、少し興味がわいてきたのでありました。なぜなら、ミュージカルで描いた支倉常長やその主君、伊達政宗はシェイクスピアと同じ時代に生きた人。そして、ヨーロッパの国々と手を組む野望を持った人たちだったからです。同じ時代に生きた劇作家、役者としてにわかに親近感を持ったというわけです。
シェイクスピアが亡くなって400年以上経っても、彼の名は世界にとどろき、かつて彼が活躍していた時代の劇場を復元したこの劇場は、写真のように多くの人々が訪れる人気のスポットとなっています。
テムズ川のそばをゆっくりと歩きながら、近代的な建築物に交じって、この木造建築に出会うとなぜか、ほっとします。
そして、日本にも300年ぐらいの耐久性を持ち、5世代ぐらいまで語り継がれそうな、あったか味のある劇場があるといいのになぁ、そういう気概のある都市が現れないものだろうかなどと思いながら、またぶらぶらと歩き始めるのでありました。
「シェイクスピア・グローブ座」
若いころ、大学で英文学科に属しながらもハードルが高いと思っていたシェイクスピア。しかし、ミュージカルで仙台藩士・支倉常長(はせくらつねなが)を演じてからは、少し興味がわいてきたのでありました。なぜなら、ミュージカルで描いた支倉常長やその主君、伊達政宗はシェイクスピアと同じ時代に生きた人。そして、ヨーロッパの国々と手を組む野望を持った人たちだったからです。同じ時代に生きた劇作家、役者としてにわかに親近感を持ったというわけです。
シェイクスピアが亡くなって400年以上経っても、彼の名は世界にとどろき、かつて彼が活躍していた時代の劇場を復元したこの劇場は、写真のように多くの人々が訪れる人気のスポットとなっています。
テムズ川のそばをゆっくりと歩きながら、近代的な建築物に交じって、この木造建築に出会うとなぜか、ほっとします。
そして、日本にも300年ぐらいの耐久性を持ち、5世代ぐらいまで語り継がれそうな、あったか味のある劇場があるといいのになぁ、そういう気概のある都市が現れないものだろうかなどと思いながら、またぶらぶらと歩き始めるのでありました。
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