2013年12月31日火曜日

今出来ることをやるだけだ。

一説によると、仙台藩士の支倉常長(はせくらつねなが)は52歳でその生涯を閉じたとされている。今年52歳になった私は、奇しくも支倉常長役で宮城県民会館のステージを務めさせて頂いた。

当時の仙台藩主伊達政宗公は、年表によれば25歳頃まで米沢を拠点としていた。藩士の支倉常長もその米沢に生まれたと言われている。400年以上も前のことであるから、当時の様子や世情を想像するのは難しいが、少なくとも私の故郷でもある米沢の周囲を囲む山々の姿は、彼らが生まれた頃とさほど変わりはあるまい。米沢は盆地である。すり鉢のような、一年の半分を雪に閉ざされる土地で人格形成されたサムライが、初めて海を見たときに、一体何を考えただろうか。
私は、自分の経験として、米沢を離れて初めて海を見た幼い日のことを思い出し、その答えに対する何となく直感のようなものを得ていた。
それが常長のミュージカルを制作しようと思ったきっかけのひとつであった。

1611年に慶長三陸大津波を経験した仙台藩は、2年後の1613年に当時の幕府方のガレオン船の4倍の規模にあたる500トンもの大型帆船「サン・ファン・バウティスタ号」を太平洋に出帆させた。そのことを現代の状況に照らし合わせるならば、一体どんなことになるのであろう。私たちはそのことを考え続けてきた。

ミュージカル「常長の祈り」では、正宗公の野望や、常長の忠誠心と信仰心などを作品に織り込みながら、作過程にも復興の祈りを重ね合わせた。県民による出演者100名の他に、スタッフもほとんどが地元の人間もしくは東北にゆかりのある人々でのべ6カ国による多国籍チームを構成した。

東日本大震災を経た400年という節目の時だからこそ、東北に生まれた私たちは作品を創るという使命を帯びたのだと感じた。地元の人間だからこそ自然体で取り組むことが大切だと思った。作品では先人の気概を大震災の復興と重ね合わせ、数奇な運命に見舞われながらも、当時世界で最強を誇るスペイン国王臨席のもとで洗礼を受けたただ一人の日本人、ドン・フィリーペ・フランシスコ・ファシクラの栄光と影を描いた。
言葉も文化も違う場所で、彼らは何故に歴史に名を残す程の歓迎をその地で受けることが出来たのか。そこに日本人、東北人としての誇り高き精神性の一端を見ることができる。

私たちは「目的を持ちそれを諦めない心を持った東北人として、先人に倣い、品格を持ちながらこれからの世界へ向かっていくべき」である。台本には出てこないが、稽古が始まってから半年間、そんなメッセージをずっと心に秘め続けていた。

復興庁によれば、今月になっても未だに27万人以上の方々が依然として避難生活を余儀なくされている。確かに今だ仮設住宅に住む友人知人も多い。勝負はこれからだ。1,000年に一度という災害を経験した私たちだからこそ地元の私たちが、1,000年先まで伝えられるような復興の姿を示さなければならない、と考えている。

大げさなことではない。
それぞれが、
それぞれの分野で、
今出来ることを確実にやるだけだ。


2013年12月30日月曜日

ミニ同窓会

先日のミュージカル「常長の祈り」を見に来てくれた高校時代の友人から「年末に山形でちょっと集まらないか」とのお声掛けをいただいた。場所は同級生の一人が経営する和食割烹料理のお店「わかしょう」
昨夜、山形駅からほど近いスズラン通りにあるその場所に集まったのは、わかしょうの親方含め、同級生が16名。


昭和55年のこと。
僕たちは、山形県立米沢興譲館高等学校を卒業した。
あれから34年の月日が流れ、集まってみれば、ある程度人生の紆余曲折を経て、それぞれ医者や大学教授、会社社長、学校教師、会社役員、支店長、海外駐在員など、社会的にも重要な職についている面々。
とにかく、ほとんどが違う業界に属しているメンバーたち。よって、よくある異業種交流会より、はるかに面白い話題が飛び交う宴席。本音トークですから(笑)
私の職業などは、彼らから見れば「色物」なのだが、それゆえに面白がってもらえるようだし、自分にとっても彼らの話は、興味深くかつ勉強になることこの上なし。さらに高校時代の思い出話にも花を咲かせつつも、当時と現在を行きかう話題とお互いの容姿の差分がこれまた面白い。

話題が食べ物になったとき「どうも仙台で食べる芋煮会の鍋は、未だに体にしっくりこない」と私がいうと、米沢から新幹線で駆け付けたK君が「ようし、では来年は米沢風の芋煮会をやるぞ、みんな河原に集まれ!」と叫んだ。

今までそんなことを感じたことがほとんど無かったけれど、同級生とか、同窓生って、なかなかいいもんである。

仲良きことは美しき哉。
というより
仲良きことは美味しき哉。

来年の秋、芋煮会が楽しみだ。

 

2013年12月29日日曜日

SCS納会

今年最後のSCS公式行事。

昨夜は盛り上がりました〜

 

 

皆で持ち寄ったご馳走を頂いて、

 

 

センセから、今年は9名の研究生が表彰を受けました。

 

余興では、「ユタ」だの「AKB」だの、各人が工夫を凝らして、会場全体が笑いの渦。

 

 

楽しかったこと、頑張ったこと、それぞれの想いを胸に、今年一年のお稽古を納めました。

 

みんな、年が明けたらまた元気な顔を見せてね(^-^)

 

2013年12月28日土曜日

感謝の大掃除

絵描きさんでいうところのアトリエにも相当する、私たちのお稽古場。
今年もここからいくつもの作品、いくつものドラマが生まれてきました。

そんなお稽古場に感謝の気持ちを込めて、昨日は午後から研究生総出でSCSミュージカル研究所お稽古場「大掃除」です。

普段なかなか動かすことないものも移動して、隅々まできれいに。


壁も。


冷蔵庫も。


エレベーターホールに至るまで。


もちろん、窓だってほら、脚立を使えば手が届くよ。


指導員のお姉さんやお兄さんたちと一緒に、
外はちらちちら雪が舞い始める頃まで、
みんなの作業は続きました。

今年一年、お稽古場ありがとう。

みんな、きれいにしてくれてありがとう。




2013年12月27日金曜日

七ヶ浜、稽古納め。

「イタリアでは、12月24日のクリスマス・イヴから始まり、1月6日のベッファーナの祝日までがクリスマスなんです」
と、画家でもある高橋事務局長のごあいさつから始まった、七ヶ浜国際村パフォーマンスカンパニーの稽古納め&成果発表会。


クリスマスは、すっかり終わってしまったような気分になっていましたが、そんなご挨拶も頂いたせいか、昨夜の子供たちは、さらに生き生きと今年一年のお稽古の成果を発表してくれたように思いました。子どもたちは、クリスマスにちなんだパフォーマンスを準備していたのです。


クリスマス終わっちゃったけど…と、ちょっと寂しそうな感じの子供たちを奮起させるような素敵なご挨拶でした。


それにしても、イタリアじゃまだクリスマスだなんて…恥ずかしながら知りませんでした。
世界は広いなぁ、などど感心しているところへ、私たちスタッフにこの春退職された前事務局長から、クリスマスプレゼントを頂きました。

七ヶ浜の取れたての殻つき牡蠣!


大きな牡蠣であることはもちろん、こんなにたくさん(^_^)
七ヶ浜の皆さんのあったかい心が身に沁みます。
これから、みんなで楽しませていただきます!

こうした地元のみなさんはもちろん、今年は、東京はじめ、各地の素敵な大人たちからたくさんのご支援を頂戴しました。そうした皆さんに見守られながら、七ヶ浜の子供たちは、きっと来年も楽しい舞台を私たちに魅せてくれることでしょう。

Buon Natale e felice Anno Nuovo!


2013年12月26日木曜日

モリコーネ

人は、そんなことをしている場合じゃないって時に限って、そんなことをしてしまうものです。


ご覧のようにPC2台使うほど仕事のある年末なのに、モリコーネの3枚組CDを購入してしまいました。
今年は、比較的大きな舞台制作があったので、なかなか音楽に集中する時間がなかったなぁ。
来年は、ライブ活動再開しなくっちゃ。

恥ずかしながら、モリコーネの曲を真剣に聴くようになったのは、Yo-Yo Ma Plays Ennio Morricone というCDを聴いてから。それは「音」で泣きそうになるという久しぶりの体験でした。
自分が普段演奏するジャンルとは違うけれど、偉大な作曲家や演奏家の録音には、心を揺さぶられることが多々あります。
爆音ものでも、クラシックでも、民族音楽でも、ポップスでも、心が震える音や歌は、世界中に存在しています。残された人生で、少しでも多く、そうしたものに触れていきたいなぁ。

さて、ドライブしながらゆったりと聴こうかな。
緩急つけて、お仕事することも大事よね。(と、自己弁護)

パッケージ開けるのが楽しみ(^_^)

2013年12月24日火曜日

2013年12月23日月曜日

おかげさまで

たくさんのお客さまにご来場いただき、本日無事に今年のSCSミュージカル研究所公演の全てを終了することが出来ました。
お客さ並びにご協力いただきました関係各位に、この場をお借りして、中心より感謝申し上げます。

下は(私は出演者でしたので)舞台袖から手元にある画質のあまり良くないiPadで撮影した写真。



トナカイさんたちのダンスシーンですが、SCSのダンサーたちにとって今やトナカイ役は憧れの的。
袖からじっと舞台を見つめる「次期トナカイさん」ちびっ子たちのピュアな後ろ姿が印象的でした。
来年は、このXmasミュージカル、シリーズ20作目となります。
もう20年もクリスマスは舞台に立ってきたんだなぁ…、このシリーズを始めた頃に生まれた子は成人するんだなぁ…などと、年月の速さに感慨を深くしていました。

出番の少ない私は袖の待機時間が長く、かつて、こうして袖から先輩たちのダンスを見ていた子たちが、立派な社会人やプロになっていったことを思い、年月の流れの速さを感じつつ、何だか過去と未来を同時に見ているような、何度かキューンとした気持ちになっていました。
人の生といふももの、不思議さ、儚さ、逞さを感じていました。


とにもかくにもおかげさまで、今年もこうして子どもたちやスタッフとともに過ごすことができました。

幕がおり、
部屋へ戻り、
ストウヴの炎を見つめながら、
今年、同じ時を共有してくださったすべての皆様へ感謝とともに、
一年の出来事を思い起こしてみる、
静かな夜です。


2013年12月22日日曜日

間もなく開演。

今年最後のSCSミュージカル研究所公演「おもてなし、うらなし、ぶんぶん」

間もなく開演です。

会場となっている仙台市福祉プラザロビーでは先月の「常長の祈り」写真展も開催されています。

 

 

写真は、開場したあと、幕開きを待つ緞帳。舞台側からのショットです。

 

 

初回チケットは完売していますので。この向幕が上がると、その向こうは満席のお客様となっているはず。舞台にはまだ役者が居ませんが、緊張感が漂う舞台上です。

さあ、みんな、この2日間、2013年の舞台を、楽しく締めくくろう!

 

では、小生もスタンバイする時間です(^-^)

 

2013年12月20日金曜日

Xmasミュージカル、間もなく!

今日のSCSミュージカル研究所稽古場は、予定を少しオーバーして21時過ぎまで。明後日から本番のXmasミュージカル「おもてなし、うらなし、ぶんぶん」の通し稽古です。

写真は、毎年評判の高い、二幕における「柊(ひいらぎ)家」の場面のお稽古。
このシーンは、全編「東北弁ネイティブ」の皆さんが、圧倒的な方言で客席を沸かせます。


一方、今年の見どころは、サンタクロース(ピーカリ)役!今年は「スペイン語ネイティブ」のダビさんがキャスティングされているのでありま~す。
もちろん例によって、今年1年世間で話題になった言葉やエピソードもあちこちにちりばめられております。

1回目のチケットはすでに売り切れとなりましたが、他の回はまだ少しお席がございます。
皆さまのお越しを劇場にてお待ち申し上げております!

クリスマス公演 クリスマスって大変シリーズ第19弾!「おもてなしうらなしぶんぶん
@仙台市福祉プラザふれあいホール(仙台市)
22日(日)①14:30(SoldOut) ②18:00
23日(祝)③11:00 ④14:30

(開場は各回20分前)
前売りチケット:¥2,000(全席自由)
Lコード:24814
Pコード:433-451
問合せ:022-213-6789(純クリエイション)

2013年12月19日木曜日

リア王が寿司屋で…

先日ちょうど6歳ずつ歳の離れた3名での宴会があった。
一番年下の私が会場に大遅刻するという失敬をはたらいたのにも関わらず、2人の兄貴は、では、ペナルティとして、飲み代の割り勘の端数170円をヒロセ純が持て、ということで許してくださった。
こんな不肖の弟分に20年以上お付き合いくださっている、あったかい兄貴分である。

さて、その3人組のまんなかに位置する兄貴は下館和巳氏。東北の演劇界では一目置かれているシェイクスピア・カンパニーの主宰者である。

呑みながら、3人で「ほぼテーマの無い」話に花が咲くなか、いつしか下館氏が寿司屋で修行したという話に展開した。多少酔っていたせいか「寿司屋でリア王が…しかも東北弁で」などという発想に、引き込まれつつも、どんな舞台になるのか想像が出来ず、頭が痺れそうになった。
そういう話が、とにかく楽しい。
下館氏はシェイクスピア・カンパニーの次回作の脚本を執筆するにあたり、劇団員たちと実際に寿司屋に行って、寿司を握ったり、インタビューしたりと「取材」を敢行したそうである。リア王と寿司…突飛な取り合わせであるが、下館氏がどう握ってお客に差し出すのか、楽しみである。
一昨日はそのチラシを劇団員の2人がSCSの稽古場に持ってきてくださった。


シェイクスピア・カンパニーとSCSミュージカル研究所は、お互いにその創設時から協力関係にある。同じ東北を舞台としながらも、それぞれ違う立ち位置で創作舞台を発信し続けている。今回の3人組の一番上のS氏は、そうした私たちの活動をずっと見守ってくださっている。初めてお二人にお会いしたとき、まだ小生は20代。以降、この敬愛する兄貴たちから時折いただくアドバイスは、わが人生においても示唆に富む深い言葉がちりばめられていて、大変に有難い。

素敵な時間は、いつもあっという間だ。
お二人とも「今日はちょっと飲みすぎたかなぁ」などとおっしゃりながら、最後は大先輩S氏にタクシーで家まで送っていただいた。
ほんとは、小生がお送り申し上げる立場なのですが…いつまでたっても手間のかかる奴で申し訳ありません…と詫びつつも、なんだか、あったかく、嬉しい年の瀬の一夜。


2013年12月18日水曜日

先日、米沢にて、幼なじみたちとの一献。
何だか大酒呑みみたいに見える一枚。


友人の哲ちゃんが至近距離からワタクシを撮影。

実は昔、39歳ごろまでは、粕漬けを一切れ食べただけで顔は赤くなり、日本酒をちょっと飲んだだけで、腰が痛くなり、心臓バクバクしたものでありました。

他人のことではありません。
ワタクシのことであります。

今想えば、それまでずっと肝臓にトラブルを抱えていたためと考えられます。
写真を見るとあたかも大酒飲み!に見えますが、未だにそんなに量は飲めません。
しかし、そのトラブルが完治してから、近ごろは少しは飲めるようになりましたので、宴席も楽し。
友人たちのようにまだまだ酒の味はわかりませぬが、
少しお酒を飲めるだけで、人付き合いは変わってくるものですね〜。

お酒に関しては、無理せずポレポレと味わい、楽しんでいきたいものです。
(お酒好きな方、朝からこんな話ですみません)


2013年12月17日火曜日

探していた曲、ついに発見

ここ数年、自分ではあまり意識していないのに、ふとある曲が頭の中を流れているときがある。
はっきりとその曲を思い出せるのに、その曲名と音源を探し当てるのに苦労した。

その曲を聴いていたのは20歳のころ。バンドに夢中になっていた頃である。
僕は、すっかりその曲がラリー・カールトンのアルバムの最後の曲だと勘違い(思い込んでいた)していた。どうしてももう一度聴きたくて、CDショップに行ったり、YouTubeなどで、検索してみたり…。
しかし、どうもその曲が見つからない。
メロディーはしっかりと覚えているのに、曲名が思い出せない。

そんな折、先日、「ひょっとしたらリー・リトナーの曲だっかも」と、ひらめき彼のアルバムの最後の曲を片っ端から聴いてみた。
しかし、見つからない。

ほぼ、あきらめかけていた時に、さらに思い出した。
「そうだ、A面最後の曲だったのかも!」

…図星であった。
1981年発売のリー・リトナーのアルバム「RIT」。
そのA面最後の曲だったのだ。

CDの時代になってからは、A面B面という感覚が無くなってしまっている。
盲点であった。

次にその音源を何とか手に入れたくてネットで探してみたところ、どうも廃盤になっているらしい。
結果、中古CDで手に入れることができた。
昨日それが、やっと手元に届いた。


さっそく、針を落とすのではなく、PCに挿入。
ヘッドホンで聴いていると、なんとも懐かしい、その時代の情景がありありとまぶたに浮かんでくる。
曲は Dream Walk という短いインストルメンタル。
やっとたどりついた…
おそらく、当時カセットテープのA面とB面に分けて録音して、A面ばかり聴いていたに違いない。
すっかり「アルバムの最後に収録されている曲」 と思い込んでいたのだ。
人間の記憶は、かようにあいまいなものであるにもかかわらず、
目をつぶって曲を聴いていると、30年以上前の出来事が、昨日のことのように思い出せるのである。

あぁ、まことに音楽は、なんとも不思議な力を秘めているものであることか。


ぶんぶんいよいよ今週末。

うSCS恒例のXmasミュージカル、いよいよ今週末開幕です。


以前、このブログでもご紹介した通り、今年でブンブン姫が大騒動を引き起こすこのシリーズは、19作目となります。
19年も続けているということなんですね〜。
そして、シリーズ当初から出演しているのは、鈴木由美さんと、不肖ヒロセ純の2名のみとなってしまいました。出演者の半分以上は、このシリーズが始まった時には生まれていないっちゅうことなんですな、はい。

そんなぶんぶんシリーズ、おかげさまで毎年キップが売切れてしまう回も出るほど好評をいただいております。その年の流行語や、記憶に残るような出来事もあちこちにちりばめられていることも、リピーターのお客さまは楽しみにしておられるようです。

SCSの作品にしては珍しい、2幕構成のミュージカルコメディ。
今年も、SCSミュージカルでココロがあったかた〜となるひと時をお過ごしくださいませ。

劇場にて皆様のお越しを、心よりお待ち申し上げております!

2013年12月14日土曜日

今年の紅白は米沢で!

と言っても、大晦日NHKの話ではありません。

本日、米沢で開催される「紅白歌合戦」のおしらせ。
コンサートイベントの詳細はこちら


この歌合戦の応援団として「伝国座」の選抜メンバーも参加いたします。
(写真は昨夜の場当たり稽古の様子)


そして…不肖ヒロセ純、なんと審査員の一人として、その大役を仰せつかりました。
責任重大ですが、厳正に審査させて頂きます。

なお、この歌合戦の模様は地元のFMラジオ局エフエムNCVで、生中継される予定です。

2013年12月11日水曜日

とんぼ返り

東京滞在時間が5時間強という日程でしたが、
ミュージカル「スクルージ」を観てきました。
原作は英国の文豪ディケンズの「クリスマス・キャロル」
主演は市村正親さん。
終演後に、先日のミュージカル「常長の祈り」における「伊達政宗の声」主演御礼と、上演ご報告もしてまいりました。


市村さんにも今回のミュージカルの成功を喜んでいただきました。

スクルージ、良質のミュージカルです。不覚にも後半、涙が出そうに。
以前、市村さんの一人芝居「クリスマス・キャロル」を銀座で観ています。
今回は出演者が大勢いらっしゃるせいか、また違った味わい。
以前にもにもまして心に響いてくるものがありました。
同じなのは、どちらも客席が満席であること。

東京在住の友人諸君、ぜひ一度ご覧あれ。
心温まるステージです。

2013年12月10日火曜日

「常長の祈り」は永遠に

昨夜、仙台市内にて行われたミュージカル「常長の祈り」出演者懇親会。
たくさんの皆さまにご出席いただき、盛大に開催されました。


宮城県環境生活部 消費生活・文化課からは、三浦課長はじめ佐藤班長、永澤主事など、県議会会期中でお忙しい中にも関わらず駆けつけて頂き、公演成功のお祝いと、出演者への慰労のお言葉を頂きました。

会場では、SCSの公認カメラマン柏谷氏撮影の「常長の祈り」舞台写真も展示され、出演者は、思い思いの表情で、時折歓声も上がるなど、大盛り上がり。


小生もこれで、気分的には一段落。皆さんの笑顔に癒されたひと時でした。
5歳から71歳まで、6カ国合計100名の出演者の皆さま、本当にお疲れ様でした。
芸術銀河2013ミュージカル「常長の祈り」は、これで終了です。慶長遣欧使節出帆400年の記念に、宮城県の皆様とともに大きな舞台を成功させることができましたこと、心から嬉しく、誇りに感じております。

支えてくださった宮城県はじめ関係各位、素晴らしい舞台スタッフ、音楽班、そして常長のふるさと米沢市の皆様、ご協力本当にありがとうございました。

ミュージカルの幕は降りましたが、「常長の祈り」は永遠であります。

いつの日にかまた。

2013年12月8日日曜日

定禅寺通りにて

オペラを観に出かけた定禅寺通り。
少し早めに到着すると、何やら、通りにはたくさんの人が。
しかも、みんな上を見上げています。

「そうか、点灯か」
すぐにわかりました。
SENDAI光のページェント」 です。
その点灯の瞬間をたくさんの人が待っていたのでありました。

17:30に定禅寺通りのケヤキ並木が一斉に輝きだすと
「おーっ」っという歓声があちこちから聞こえてきました。


今年で、もう28回目になるのだそうです。
当初は仙台駅前やあおば通りも、キラキラしていた記憶があります。
28年前か…逆算すると不肖ヒロセ純24歳。しかしまだ、ちんたら学生やっておりました。
あの頃の友や恋人は、一体今頃何をしているのだろうか…
仙台冬の風物詩を眺めながら、ふとそんなことが頭をよぎりました。

冬の風物詩といえば、東北は冬もおいしいものが沢山あります。
前日の晩には、東京からのお客さまとともに一献というお席がありました。
そこで出てきたのが「秋田のハタハタ」。タマゴが沢山つまった一品。


せっかくのハタハタさんのいのちを全うすべく、きれいに平らげさせていただきました。うまかった~ハタハタのいのちと、お店の親方に感謝。
人間は、他の命を戴かないと生きていけないというさだめ。
昔、親から「お百姓さんが一生懸命つくったお米を残してはいけません」なんて言われたけれど、さらに、お米だってそのいのちを僕らに捧げてくれていると考えると、その言葉はいまさらながらこれまた意味深く感じられます。いのちへの感謝、そして、労働への感謝。

光りのページェントやハタハタを食べるようになると、あっという間に年の瀬です。
気が付けば今年も残り3週間ちょい。

いのちがあること、働けることに感謝しつつ、
仕事もプライベートも来年に向けて、
さらに弾みをつけていかねば。


2013年12月6日金曜日

変わりゆく景色

日本照明家協会の沢田祐二会長を、七ケ浜町にご案内しました。

まずは、町内にある文化施設、七ケ浜国際村を視察して頂きました。

ホリゾントの向こうはガラス張りになっていて、海の見える素敵な劇場です。

 

(写真中央が沢田氏)

 

ここ七ケ浜は、東日本大震災による津波で、町の面積の3分の1が被害を受けたところです。

七ケ浜国際村ホールの屋上から見ると、左手の山がすっかり削り取られ、いらゆる高台移転のための住宅敷地整備がすすめられているのがわかります。

 

 

今迄ここからは見えなかった海岸線が現れて、津波に耐えた防風林の松が疎らに見えています。

頬に、震災前と変わらないかすかな潮風を感じつつ

目の前の変わりゆく景色に複雑な想いを抱いて、屋上にしばし立ち尽くしておりました。

 

2013年12月4日水曜日

あかねちゃん、たけちゃん

あれからもう1,000日経つんだってさ。

10日ほど前にね、「常長の祈り」ってミュージカルをやったんだ。
あかねちゃんが慕っていた梶賀センセの書いた台本で、音楽を上田さんが作って、僕は常長の役を仰せつかったんだよ。

劇中の「常長の祈り」ってアリアは、タイトル曲ってこともあって、上田さんが自らピアノを弾いて、僕に表現の個人レッスンをしてくださった。
あかねちゃんも通ったSCS稽古場のピアノの上には、今も君の写真が飾ってあってね、上田さんはそれを見ながら、目を赤くして、僕以外にも誰かに問いかけるようにピアノを弾いていたんだ。
僕は、その時、
歌うって、どんなことなのか、
少しだけわかった気がしたよ。

そして、県民会館でいよいよゲネプロが始まるとき、僕はみんなに、あかねちゃんも一緒に舞台に立つって、話したんだ。きっとみんなを守ってくれるってね。
おかげで強行日程にもかかわらず、事故もなく幕を降ろすことが出来たよ。
ありがとう。

しかし、なんであかねちゃんの初舞台の前の日に津波の馬鹿野郎が来ちまったんだ。
ああ、1000日経っても言葉にならない。
だから、僕たちは、あかねちゃんが楽しみにしていた、こどもたちと一緒につくっていく舞台を、これからもずっと準備し続けるんだ。

そうそう、ところで、たけちゃん。
今回は、奥さんと息子さんが劇場にきてくださったよ。きっと、たけちゃんが野球部の監督やってた歌津中学校の阿部校長先生がご案内くださったのでしょう。
たけちゃん、あなたはまだ何処にいるのか分からないけれど、大きくなった息子さんは、たけちゃんによく似ていて、僕は劇場であなたに会ったような気がします。

そして、たけちゃん、舞台の上の阿部先生、見えました?
あなたをはじめ、きっとあの日から会えなくなった人たちにも見えるようにと、きっとそんな思いでおられたのではないでしょうか。
身体全体をつかって初挑戦のミュージカルの舞台を見事に務めてくださいました。
阿部先生は、心臓の大手術をしておられるにも関わらず、お稽古も皆勤。
そのお姿は、生き残った私たちがどう生きれば良いのかを、命がけで諭して下さっているようでもありました。

それからたけちゃん、奥さんが、劇場を後にされる時、梶賀センセに「アワビ送りますね!」と言って下さいました。
ビックリしたのは、翌日にそのアワビだ届いたこと。相変わらず細やかな心配りをなさる美しい奥様ですね。

そうかぁ、気がつけば、あれからもう南三陸は、3度目のアワビの季節なんですね。
そんなことを思いつつ、さっそく、行きつけのすけぞうってお店に出かけました。親方のすけさんに無理をお願いして特別に、刺身や酒蒸し、リゾットなどつくってもらい、アワビ尽くしの素敵な時間を頂きました。

美味しい味とともに、僕の心には、懐かしいたけちゃんのビック・スマイルが浮かんできていましたよ。

以上、近況報告でした。


たけちゃんも、あかねちゃんも、会えなくなっただけで、
3.11以前より、ぐっと近くにいるように感じる夜。

…そうだね、
しっかり、楽しく
「生」を全うしなくちゃね。

2013年12月2日月曜日

観ることも修行

師走にしては穏やかな一日。

午後からは東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)にて、(公社)日本照明家協会主催による「沢田祐二の照明合わせを観る会」に出席。

今週末に本番が予定されているオペラ「遠い帆」の明かり合わせです。

沢田先生の明かり合わせを拝見できる機会はまず無いので、とても貴重な体験でありました。と同時にオペラもますます楽しみ。

 

一方、夕方からは仙台市民会館へ移動して、劇団四季の「ソング&ダンス」を観劇。

出演者の皆さんの真摯な取り組みと、高いレベルのダンスと歌のパフォーマンスを楽しませていただきました。

帰り際に偶然一緒になったSCSの関係者たちと、梶賀センセを囲んで立ち話&記念撮影(^-^)

 

 

今日の舞台には、梶賀センセの書いた歌もいくつかありましたね。

青年たちは役者さんたち自ら舞台装置を転換して行くあたりにも目が行ったようです。

そういえば「常長の祈り」でも、似たようなことを彼らもやっていましたね。

 

舞台作品を「観ること」。

これも大事な修行の一つです。

 

2013年12月1日日曜日

秋の名残

霜月は、七ヶ浜の公演、そして「常長の祈り」と、立て続けに大きな公演が続いて、気が付けば、今日から師走。
秋を愛でる余裕もなかったなぁなどと考えていたところに、少し時間が出来たので、今日はドライブしながら晩秋を探しに行こうと思っていました。しかし、訳あって断念。代わりに東北大学片平キャンパスの通ったことがない道を散歩しました。

時間的には午後2時半ぐらいだったでしょうか。
この時期、仙台の太陽は、3時になれば夕暮れのスタンバイを始めます。
夕暮れ時も素敵ですが、その前、太陽が傾きかけた時の光の具合も美しい。


光りといえば、昨夜、照明家の沢田祐二先生と食事をしながら「光」「あかり」についてのお話しを頂く機会がありました。氏は(公社)日本照明家協会の会長も務められ、名実ともに日本を代表する照明家のお一人です。お会いするたびに、教えていただくことが沢山あり、ユーモアあふれるお話しぶりの中にも、深い見識を湛えられていることがダイレクトに伝わってくるような方。自分がいかに浅学の身であるかと、自覚してしまいます。

一方、先生のような方々とお話しさせていただくのと同じぐらい、自然が教えてくれることもたくさんあります。
この時期の、この光。
光が無ければ物は見えません。そして、光の反射で色やかたちがわかります。
当たり前のことのようだけれど、沢田先生の深いお話を思い出していました。

恐らく、今まで過ごした秋の数より、これから迎える秋の数の方が少ないはず。
散歩しながら、上を見たり下を向いたり、きょろきょろ秋の名残を探していました。
何気ない景色だけれど、二度と見ることが出来ない
その時その瞬間の自然の色あいを、
ずっと心に留めておきたいものだと思いました。


2013年11月29日金曜日

うっすら積雪の峠を越えて

久々に伝国座のお稽古場にやって来ました。
栗子峠は12/20までトンネル工事の片側交互通行が続き、長い待ち時間が予想されるため、山形に入るのに、宮城と山形の県境、笹谷峠を越えて行きました
峠は、冬がやってきています。
往きの峠は霙模様、帰りはうっすら雪化粧、でありました。

お稽古場の外は、冷たい雨がざあざあ降っておりましたが、中では子供たちの明るく元気な声が響いています。


伝国座には、来月3カ所からステージ出演のお声がかかっています。
ありがたいことです。

そんな元気な伝国座のみんなの顔を見ると、センセ達は多少風邪気味でも頑張っちゃうわけであります。

2013年11月28日木曜日

たまには

震災の時、自宅は半壊だった。
水濡れしてヘナヘナになったままの形で乾燥してしまった文庫本。

停電になっても使えるというので購入したストーブの灯りで読んでみる。


「詩を読む人のために」三好達治著
開いているのは「夕ぐれの時はよい時」という堀口大學さんの詩を解説している頁。

静かな夜。

2013年11月27日水曜日

来月の公演は…

ミュージカル「常長の祈り」をご覧になったお客様から
純さんの常長役の声、ジュリーに似てる~」との感想が…
光栄です。
ジュリーは小学生のころからファンでした。
しかし、出演者の若い子たちにとってジュリーがどれだけすごいスターだったのかということは、なかなか分かってもらえないでしょうなぁ…。

さて、SCSミュージカル研究所は、そんな上演後の余韻を感じつつも、舞台の幕が下りるとすぐに次回作に取りかかります。

来月の公演は、
「おもてなし うらなし ぶんぶん」
毎年恒例となっているSCSクリスマス公演。
今年で19年目になります。

SCSとしては珍しいミュージカルコメディ。


今年もまた、あの”ぶんぶん姫”や”メイド爺や”たちがクリスマスプレゼントをめぐって大騒動を引き起こします。サンタの”ピーカリカリ”役、今年は誰がやるのかな。
第二幕では、毎年お客さまから「これを観ないと年越せない」などとも評判の”ひいらぎ家”の面々の登場。そのお芝居も見どころです。
胸躍るおなじみのクリスマスソングや今年話題になったネタも盛り込んで、笑いあり涙ありの舞台。どうぞ、ご期待くださいませ~

■公演日時
12月22日(日)①14:30 ②18:00
   23日(祝)③11:00 ④14:30

(開場は各回20分前)

■会場
仙台市福祉プラザふれあいホール
■チケット:¥2,000(全席自由)
Lコード:24814
Pコード:433-451

■お問合せ:
022-213-6789(純クリエイション)
info@scsmusical.com

☆毎年売り切れとなってしまう回がございます。チケットのお申し込みはどうぞお早めに(^_^)
もちろん、ヒロセ純、例の役で、ちょいと出演いたします!


2013年11月26日火曜日

支倉常長とフィリピンについて

ミュージカル「常長の祈り」では、制作者として常長を宮城県における国際交流のフロンティアという位置づけでも取り組みを行いました。
そのひとつが、日本を含む6か国の多国籍キャスト編成でした。
そして、もうひとつ。
常長ら慶長遣欧使節が出帆する2年前に慶長三陸大地震による大震災があったという史実から、サンファンバウティスタ号の出帆を、現在の我々の復興への意気込みと重ね合わせて表現することでありました。

さて、その常長が最後に立ち寄った外国は日本に戻る途中のフィリピンです。
記録によれば、1618年の夏ごろから約2年間滞在したことになります。
恐らく、様々な史実から失意の帰途であったと推察できます。
そしてまたフィリピンは熱帯気候です。2年間の滞在期間中、きっと台風も経験したのではないでしょうか。

今月初めそのフィリピンを襲った凄まじい台風30号は、現地に甚大な被害をもたらしました。
死者は1万人以上とも言われています。
ネットやTVのニュースでその被害の大きさに胸を痛めておりました。
しかしミュージカルの制作者、主演と2つの草鞋を履いた状態の私には、連日の稽古や打合せで、東日本大震災の時のようにすぐに動ける状態にはありませんでした。

せめて少しでも募金か何かを… と考えていたところ、
今回「常長の祈り」の外国人キャストの募集でもご尽力いただいた公益財団法人宮城県国際化協会(MIA)様から、公演終了後の募金活動は可能かとの打診を頂きました。
冒頭のような目的を持って制作を行っておりましたから、国際交流(国際協力)という意味でも、私たちの制作趣旨にも合致します。絶好のチャンスを頂き、二つ返事でお受けいたしました。

実行委員会の皆さまのご理解も得られ実施された募金活動の様子は、MIAさんのブログでも紹介されています。
http://www.mia-miyagi.jp/blog/2013/11/post-258.html

現在、宮城県在住外国人のうちフィリピン人は、中国人、韓国人に次いで3番目に多いと聞いています。県内在住フィリピン人の皆さまの心情を想うとき、3.11を経験した私たちは、胸がつぶれる思いです。

今日のニュースでは、自衛隊が「サンカイ(現地語で友達の意)作戦」救援活動を本格的に開始したそうです。規模は海外派遣としては最大規模だとか。
東日本大震災で、私たちはフィリピンからも多くのご支援を頂きました。
少しでも彼の地で困っている方々のご支援が出来ればと思います。


今日は、文字ばかりで長々としたブログ記事になってしまいました。
最後に、ミュージカル常長の祈りで歌われた「水平線の彼方へ」 という歌の歌詞の一節。

♪言葉や文化が違っていても
 夢と夢が出会い
 願いが一つになれば
 国と国の壁を乗り越え
 世界がひとつになれるだろう


MIAが中心となったこの募金活動は、来月30日まで続けられます。
MIAホームページによる情報を下記に記します。
是非、ご協力をお願いいたします。


「フィリピン台風被災者支援募金」受付口座

・銀行名 七十七銀行
・支店名 北仙台支店
・口座 普通 9125426 公益財団法人宮城県国際化協会


※口座開設期間
2013年11月20日から12月30日まで
※税法上の取り扱い この募金につきましては、税法上の寄付金控除の対象とはなりません
ので予めご了承ください。

◆お問い合わせ
宮城県国際化協会企画事業課
Tel:022-275-3796
E-mail:mail@mia-miyagi.jp

2013年11月25日月曜日

「常長の祈り」公演無事終了。

沢山の方々の支えを頂きながら、
芸術銀河2013ミュージカル「常長の祈り」の公演を無事に終えることが出来ました。

今日は朝からバタバタと残務処理をしたり、遠方からのお客さまをお見送りしたり、2日間で頂いた大量のアンケートすべてに目を通したりしているうちに、あっという間に過ぎてしまいました。

ご来場ならびにお心づかいを頂戴した皆様にすぐに御礼出来ていないご無礼をお赦しください。
公演の様子など、写真にて少しご報告させていただきます。


開演前には、たくさんのお花も届いておりました。その一部です。
「伊達政宗の声」役の市村正親さんからも。


お花の中には「廣瀬常長殿!」宛のものが。
尊敬する大先輩の粋なはからいに嬉しくなりました。


2日目には、早くも今回の撮影記録をお願いした柏谷さんが、ロビーに初日の舞台写真の一部を、お客様向けに張り出してくださいました。何だか期待感が高まります。


千秋楽、1ベルが鳴った後に、自然にみんながひとつになった「がんばるぞぉ~」の円陣。


上の写真は第2幕。常長が特別あつらえの米沢織の衣裳を着用しています。


イスパニア(スペイン)提督ヴィスカイノを中心としたシーン。


常長一行がアメリカ大陸から大西洋を目指すシーン。(一幕)
この役のためにヒロセ純は前髪を剃りました(数年かけて)


「帆のダンサー」たちと、水夫たち。

このほかにも、多くの印象的なシーンが生まれました。
アンケートでは、生演奏に対する評価も高いものがあり、その演奏家6名を含むと、ちょうど100人となった出演者たちは、心をひとつに2日間の公演を務めることができました。

「常長の祈り」関連記事は、フェイスブックページなどでも、後日談など、紹介してまいるつもりです。
お楽しみに。