2014年9月30日火曜日

シェイクスピアを追いかけて~ウエストエンドの断片(5)

和巳さんと私は、突然思い立って「シェイクスピア先生の墓参り」に行こうということになった。
もとより、この夏の旅で、和巳さんはその計画について当初はさほど積極的でなかった。彼にとっては何度となく足を運んでいる土地であり、実際、若いころに長期滞在していた場所であるから、さもありなむ。訪問先としてのプライオリティは低かったのであろう。

ところが「お盆だから墓参りさ行ってみねすか」という私の意味不明なアイディアを面白がったのか「んで、ちょこっと行ってみるすか」とういうことになった。

思い立った翌日の朝、和巳さん、そうらちゃん、私の3人は、ロンドンのメリルボーン駅から列車に乗り込み、シェイクスピア生誕の地、ストラトフォード・アポン・エイボンへと向かった。恐らく観光ツアーなどの場合、バスで赴くのが便利なのだろう。直行の列車は意外に空いていて快適であった。


観光バスなどが到着するにはまだ少し早い時間であったせいか、駅から歩いて辿り着いたストラトフォードの町の中心部には観光客らしき人影も少なく、比較的穏やかな表情を見せていた。

まずは、ロイヤルシェイクスピアカンパニー(RSC)の事務室を訪問して、和巳さんは、Cicely Berry さんへの手紙と留守電メッセージを残した。
RSCでは、あえて芝居を観なかった。私たちは「ふらっとお墓参りにきた」という感覚に浸っていたかったのかもしれない。いずれここでわたしが芝居を観る機会は必ず訪れるであろう。そんな確信めいた予感もあった。


次に、RSCの劇場そばで、少し懐かしい光景を目にしながら、シェイクスピア先生のお墓のあるトリニティ教会を目指してぶらぶらと歩いた。


協会の門をくぐると、緑のトンネルが続く。
僕は、そうらちゃんの手を引いて、和巳さんのあとに続いた。
なぜか和巳さんの足取りが速くなる。


墓所を前に、私たちは450年前にここで生まれ、ここに眠るシェイクスピア先生を思った。
和巳さんはずいぶん長い時間祈っておられたように感じた。


一方、ここはシェイクスピア生誕の家。


庭ではシェイクスピア作品のスキットが演じられていた。
生家に入るのには入場料を取られるが、このスキットの観劇料も入っていると思うと安いものだ。


今回の旅で感じたことのひとつに、イギリスの役者は楽器を演奏する人が多いということがある。そしてこれがまたうまい。歌まで歌ったりする。役者なら楽器ぐらいできて当たり前なのか、嗜みなのか。まるで皆ミュージカル俳優のようだ。とにかく、どんな環境においても客を愉しませることに徹している。


シェイクスピア先生の生まれた土地で、我々は生誕450年をお祝いした。
そうらちゃん撮影の2ショット。


もちろん、フィッシュアンドチップスもしっかりいただいた(笑)


ストラトフォード・アポン・エイボンは、私が想像していたよりも静かな、そして完全にシェイクスピア先生に彩られた町であった。

2014年9月29日月曜日

見とれる

仕事の帰り
ふと西の空
見とれてしまう
そなた


やはり秋が似合いますのう

ミュージカル「常長の祈り」、生でちらっとお見せします。しかも無料。

宮城県などが主催し昨年上演したミュージカル「常長の祈り」(作・梶賀千鶴子、音楽・上田亨)。当日宮城県民会館でご覧いただいていた、伊達政宗公・支倉常長殿誕生の地、山形県米沢市の皆さんからもご好評を頂き、この夏は米沢にお招きいただき、かの地で大々的に開催された「全国田んぼアートサミット」のなかで上演させていただきました。
その様子は、地元のケーブルTVでも今月に入って何度か放映されておりますので、米沢地方の皆さんはご家庭でご覧になった方もいらっしゃるかと思います。

さて、このたび、その作品を野外で上演いたします。


野外といっても仙台市中心部商店街に設置するイベント用の小さなステージ。ご依頼をよくお聞きしてみると、さまざまな制限があることから、作品の長さもキャストも5分の一に削って、照明も音響も無いところでの上演です。

「そんな、無謀な」というご意見もありましたが、正宗公も常長殿も400年前に誰もやっていなかったことに挑戦されたということに倣って(それに比べれば大変小さなことですが)お受けすることにいたしました。
華々しい大劇場のあとに、小さな舞台。常長の生涯にも似て、良いかもしれません。なあgれとしては結構気に入っています(笑)
しかし、作品構成上さすがにPA(音響)なしというわけにはいきませんので、自社のありものかき集めて、弊社のアシスタントプロデューサー自らPA操作にあたるなど、社員総出で取り組みます。そんなわけで、当日はどうなりますことか。まさに常長チームのアドベンチャーですな。ぜひご期待ください。

「常長の祈り」ショートバージョン
10月4日(土)5日(日)
それぞれ13:00と14:30の計4ステージです。
上演時間は約30分。
場所は藤崎デパート(仙台市青葉区一番町)サンモール側特設ステージ。

米沢織で仕立てて頂いた常長のあの衣装を私が野外で着用するのは最初で最後かも。


2014年9月28日日曜日

図らずも米寿お祝い

剣道部の後輩が、私の同級生2人とともに仙台に遊びに来てくれました。
我々4人の共通点は、学生時代「仙台興譲館寮」の寮生であったこと。

実は、先週行われた米沢興譲館高校の同窓会で「我々が暮らした寮母さん、お元気かなぁ」と話題に。その席で、誰からともなく「会いに行こう!」ということになり、「そのうちってのはいつになるかわからんから、来週都合つく奴!」って呼びかけに都合のついたのがこの4人。
ぼくらは寮母さんのことを親しみを込めて「おばさん」と呼んでいました。今でも変わりません。そのおばさんのご都合を伺うのは仙台在住の私の役目です。私も仙台に居ながら、なかなか顔を見に行く機会を得ていなかったので、よいきっかけでした。
そして、昨日。おばさんが現在暮らしている北仙台のホームを慰問ということになったわけです。

多少プライベートなことですので、ブログに書くのはどうかな、とも思いましたが、確か16年ぐらい仙台興譲館の寮母さんととしてお勤めいただいたおばさんを懐かしいむ寮生も、この地球上のあちこちにおられるかと思い、あえて書くことにしました。
山崎おばさんは、10年ほど前にちょっと大きな病気をされていて、今はあちこち無理はきかない状況ですが、お元気ですよ!
僕たちの訪問を大歓迎してくださいました。なんでも、ふだんはあまりやらないお化粧もしたんだとか。僕らは施設の許可をいただき、2台の車でおばさんを連れて外食に出かけました。

さてと、訪問してから気づきました。うっかりしていたのですが、おばさんは今年88歳。昭和元年生まれ。つまり米寿です。そこで僕らは、一番町のお寿司屋さんに入って、ささやかながら、米寿のお祝い会という名目に変更して乾杯(全員お茶でしたが)。ほんとは、去年開催すべきだったのですが…。


お寿司をつつきながら、僕らの学生時代のエピソードに花が咲きました。


当時、寮母さんは住み込みで我々の食事をつくってくださったりしていましたから、おばさんが昔つくってくれた仙台興譲館メニューの話題が多かったかな。一方、我々寮生にとっては、時には厳しく、時にはやさしい「仙台の母親」のような存在でしたから、多くの学生がプライベートな悩みなんかもみんなおばさんに相談していました。ゆえに、今じゃ笑い話だけれど、多少ヤバい話もぴょんぴょん飛び出します。おばさんは、僕らが忘れているようなこともしっかりと記憶されていて、おかしいやら、恥ずかしいやらで大変盛り上がりました。

お寿司を食べたあとは、コーヒーショップへ行って、おばさんがちょっとした買い物をされたいというので、4人でエスコート。気が付けばあっという間に陽は西に傾きつつありました。

即席パーティーだったから、何もプレゼントは無くてごめんね、おばさん。
でも、知り合いだったらしいお店の従業員の方に「これみんなあたしの息子たちよ」って、自慢げに我々を紹介してくれたのが、何ともうれしく、僕らもニコニコ。
晴れた九月の週末、よい一日でありました。

おばさん、またみんなで会いに行くよ。

2014年9月27日土曜日

才能発露

昨日観た舞台。
仙台を代表する俳優の一人、茅根利安(ちのねとしやす)さんが演出に取り組んだ作品ということで、でかけました。


いやぁ~、感動しました!
「もしイタ」、「飛べ 原子力ロボ むつ」それぞれに台本の素晴らしさも相まって、役者たちの努力の結晶がキラキラしている舞台でした。
茅根さんの指導力にも感服です。

昨年上演したミュージカル「常長の祈り」キャストのうち若手俳優も何人か出演していたこともあり、ある程度の完成度を期待して客席に居りましたが、若者たちによる、私の想像をはるかに上回る表現力。
特に「もしイタ」では、流れる涙を抑えることができませんでした。

若い才能の開花は美しいものです。
君たちの今後に大いなる期待をせずにいられません。

2014年9月26日金曜日

大芋煮会続編

先日のSCSミュージカル研究所大芋煮会で、私が居なかった時間帯の写真をいただきましたので、少しですが、その一部をご紹介いたします。身内ネタですので、ご興味のない方はご免ください。
(写真提供:K.Kashiwaya氏)


我々が到着する前も、子どもたちは、本当に楽しそうに遊んでいたんですね~


遊具で遊ぶってことも、実は最近の子供たちにとっては新鮮なのかもしれません。
トランポリンやバドミントン…



水鉄砲。
お兄さんたちも、子供たちには完全にサレンダー!


我々とオトナチームの一部は、一足先に会場を後にしていたのですが、残っていた参加者で集合写真を撮ってみたそうです。


残っていた皆さんだけでも、賑やかな状況なのでありました。

準備をしてくれたスタッフの皆さん、ご協力いただいたご家族に心から感謝申し上げます。
また来年ね!

2014年9月25日木曜日

シェイクスピア世界への入り口~ウエストエンドの断片(4)

私が初めてシェイクスピア作品に触れたのは、大学生の時であります。
最初に読んだのは「ロミオとジュリエット」だったと記憶しています。
名作ロミオとジュリエットは、シェイクスピア先生がギリシア神話の『ピュラモスとティスベ』を元にして書かれたイタリアの小説からヒントを得て書いたといわれていますが、20世紀になってこれをもとに「ウエストサイド・ストーリー」という映画やミュージカルが製作されていたのですね。
不勉強な学生だった私は、そんなことなど全く知らなかったわけでありまして、さらに数十年後に、自分の仕事としてミュージカルの世界に足を踏み入れることも、シェイクスピア作品に再び触れることになることなども、まったく知る由もなく…。


正直なところ当時の私は、現代日本文学や音楽のほうに興味が集中していたし、恋愛ものとしては、たとえば映画にもなって山口百恵や三浦友和が吹き替えしていたエリックシーガルの「ある愛の詩」などのほうがしっくりくるように感じていたのであります。
ゆえに、残念ながら大学時代には、英文学科の学生だったにも関わらず、シェイクスピア作品に心惹かれることはなく、ただ書かれている英文が難しいという印象だけをもっていたのでした。


ところが、当時難しいと思いながらも、なぜかシェイクスピアのソネット(14行詩)だけには興味がわいて、それがきっかけで、結果的に英文の詩に興味を持ち、専攻を「イギリスロマン派詩」にすることにしたのです。考えてみればシェイクスピアに全く触れていなければ、専攻をアメリカ文学にしていたかもしれない。今でも何か不思議な気がします。


それから20年後(そういえばO.Henryの作品に"After Twenty Years"ってのがありましたね、あ、これはアメリカ文学)、今から12年前に(友人というより兄貴のような)下館和巳さんがロンドンのグローブ座で演出するということで、初めてイギリスを訪れることになりました。つまり、20歳前後にシェイクスピアの世界を「ちら見」して以来、人生二度目のシェイクスピア体験をすることになるのです。


世界中から集まった俳優たちを相手に、和巳さんがアジア人としては初めてあの復元された劇場で演出する。私は単純に「そりゃ、応援に行かなくちゃ」ってことで、その現場に駆け付けました。2002年の夏の終わりのことでした。これがその時ロンドンのグローブ座の壁に貼られていた公演ポスター。
よく見るとポスター左端の真ん中に和巳さんの顔が。




ちなみに当時のグローブ座の外観はこんな感じです。




そして、2014年、あれから12年後の今年訪れたグローブ座の外観。




比較すると、なんとなく以前より活気に満ちているような…。

ストラトフォードで芝居は見ませんでしたけれど、買い物をしたの唯一のものが、シェイクスピアのソネット集。
生家の傍にある売店で衝動的に買ってしまったのですが、帰国後つくづく眺めてみると、何だか、何十年もかけて、ずいぶんと遠回りして、振り出しに戻ったような気分になりました(笑)
さて、話は戻って2002年9月。


いずれこのブログでまたご紹介するかもしれませんが、今回はシェイクスピアの生家、ストラトフォード・アポン・エイボンにも行ってきました。グローブ座は、ロンドンにあるということもあるのでしょうが、ストラトフォードとはまた違う温度が劇場周辺から感じ取れます。




グローブ座での本番前日、彼に近くのパブでインタビューしたのですが、その話しぶりからは、緊張感とともに、彼がまさに大きく高い壁を乗り越えようとしているような気迫を感じたものでした。

彼が演出した作品は、シェイクスピア作品からいくつかオムニバス形式で演技を構成していく内容のものでしたが、英語圏の方やシェイクスピア作品を(英語で)体験している方はともかく、私のように英語力もなく浅学の身には、少々敷居が高い内容でした。そこで彼は、日本から来たお客さまへの参考までにと、自筆で解説文を書き、当日それをコピーして配ってくださいました。

これは大変ありがたく、アホな弟分にとっても勉強になったものです。それにしても、あれほど多忙を極める中で、彼が、作品に対するリスペクトとお客に対するホスピタリティの両方を重視する姿は、いかにシェイクスピアを大切にしているのかが伝わってくるようで、印象的でした。きっと彼にとってはごく自然な振る舞いだったのかもしれませんが。

最後にこれは、その日私が撮影したものなのですが、今となっては貴重な一枚かもしれません。





舞台が終わった後に、グローブ座で撮影したもの。みんながカッパを着ているのは、公演時間にはあいにくの雨だったからです。グローブ座には一部の客席を除いて屋根がありません。桟敷席の客はみんなカッパを来て観劇したのです。

中央で帽子をかぶっている紳士はMark Ryance(マーク・ライアンス)氏。ロンドングローブ座最初のアーティスティック・ディレクターであり、トニー賞やオリバー賞などを受賞している人気俳優。の左隣が和巳さん。手前のこども2人は和巳さんの長女と次女。このときまだ三女は誕生してませんでした。
そして右端は和巳さんの奥様であり写真家の故中村ハルコ氏。

プライベートな写真でもありますから、公表するのは多少憚ったのですが、あれから干支もひとめぐりしてシェイクスピア生誕450年に訪れた英国。僕は人生三度目のシェイクスピア体験をして、再びその世界の入り口に立ったような気分です。でも今度は何だかそれが続きそうな、入り口からもう一歩入り込めそうな予感がしています…。

ハルコさんにもそんな報告がしたかったし、和巳さんや僕たちの夏の体験、ウエストエンドの断片を記録することで、彼女も天国からこのブログ見て、楽しんでくださるような気がしてね。


2014年9月24日水曜日

マスコット・キャラ審査

立ち上げからお手伝いしている、仙台市青葉区愛子(あやし)地区の「カッパダ川」にまつわる事業。

先週末はその事業の一環として行われた「マスコットキャラクター」デザイン選考会に審査員としてお招きいただきました。


子どもたちがこころを込めて描いてくれた200点以上のデザイン画から、1点だけを選ばなくてはなりません。もちろん、私以外にも審査員の先生方がいらっしゃって厳正な審査と協議のうえで決定されるのですが、それにしても、どれもこれも力作ばかりで甲乙つけがたし。ほかの審査員の先生方もじっくりと時間をかけておられました。
まったくどの作品をとってみても、子供たちの発想は、たいへんに面白く、個人的には大いなる刺激を受けて、審査を終了したのでありました。


果たして、オトナというものは、子供が大きくなった生き物なのだろうか。成長ではなく、退化し続けている生き物のような気がしてなりません。

子どもの発想には宇宙的な広がりがあるものが多く見られます。
しかも、オトナのように意図して描くのではなく、自然に描かれています(多分)私が子どもだった頃にもこんな感性があったのだろうか、こんな表現を思いついたであろうか、と感心しきり。

近頃は、あらゆるところでパワーポイントや、スライドの類を使用してプレゼンテーションや説明が行われていますね。かくいう私も、プレゼンツールとしてその類のものをよく使いますが、実はそーゆー資料を作るのも、プレゼンを見るのもとても疲れます(笑)

本当に人を動かすプレゼンは、実は自分の体や感覚、言葉をフルに活用したプレゼンかも…子どもたちデザインした絵を見ながら、そんなことを考えていました。
この絵たちは、音や言葉を発しないけれど、おそらく全く持って彼らのプレゼンス。おおいなる存在感があります。
プレゼンテーションっちゅうもんは、相手を納得させるのことではなく考えさせることなのかもしれないなと思った次第であります。

写真は、昨日の芋煮会会場にて。
青空のもと、遊具で遊ぶこどもたち。


それにしても、子どもに出来て、おとなにできないこと(できなくなったこと)が多すぎます(笑)


2014年9月23日火曜日

大芋煮会実況

今日は、秋保(あきう)に来ています。
恒例のSCS大芋煮会!

秋保森林スポーツ公園から実況中継!
この列向こう側まで全部SCS関係のテーブルです。
今までで最大規模の芋煮会だったかもしれません。


こんな感じで美味しく出来上がっています。


この写真は山形風(醤油味)ですが、もちろん宮城風(味噌味)もつくっていただきました。
2種類の鍋4杯分あっという間に食べつくされてしまいます!(^^)!


この間まで、キッズクラスと思っていた子供たちも、何だかけいこ場以外の場所で見ると、大人びて見えます。子供たちの成長は無条件にうれしい。


年々参加してくださる方が増えて、もう数えられません。たぶん50人以上。昔は自己紹介コーナーとかやっていたのですが、あっという間に1時間とか経ってしまいそうなのであきらめました。

今年もSCS指導員チームと男子の面々が調理に没頭してくださいました。


すぐ近くで遊んでいて戻ってきた子供たちも、楽しみに出来上がりを待っています。


人数が多いのでとりあえず皆で「いただきます」をした後、出来上がった順番に、食べるのでありました。


とにかくみんなでワイワイ食べるのは楽しい!美味しい!
このあと子供たちは、またあっという間に外遊びに出かけてしまいました。


2014年9月22日月曜日

休日力

連休をどう使うかってのは、人それぞれなんだろうけど、僕はどうも下手な使い方をしているように思われてならない。「しっかり休んだ、楽しんだ」って後味が理想なのだが…。
きっと連休を充実させられる人ってのは、仕事がデキル奴なんだろうなぁなどと思っちゃう。

以前SCS主宰の梶賀センセが、「休む力」を力説していたことがあった。
ふむふむ、と聞いてはいたが、確かに休むのにも力が要るのかも。

休む日の力、休日力。
休む実力、休実力もつけていかんとね。
「楽しく休むために仕事する」ようになりたいもんだ。

そういえば、10日ばかり前。その梶賀センセと友人の二人に誘われ、初めてのお店でちょっと日本酒に挑戦。僕は休みの日ではなかったが、珍しく仕事を早く切り上げて誘いに乗った。


っもともと休実力不足なのだから、あまり構えずに、ちょっとした息抜き、日常のアクセントも忘れないようにしないとね。

仕事ばかりが人生じゃない。

いつ人生が終わるのかは誰にもわからんのだから。
覚醒している時間帯全域に亘って楽しむパワーをブーストさせたい。
今をもっと生きなくちゃ。



2014年9月20日土曜日

米沢ラーメン

米沢生まれのわたくしは、小さいころから米沢ラーメンを食べている。
昨日は、久しぶりの伝国座のお稽古場への訪問前に腹ごしらえ。

夏の終わりというよりは秋の始まりの様相を見せる栗子峠を越えて、日の出食堂へ。注文は決まっている「中華そば」。

慣れ親しんだ味に満足して、店を出た。
空を見上げれば、夕焼け。
ラーメンそのものの写真は、何度か登場しているので、
今回は看板と米沢の空。


夕焼けはどうしてこんな色のなるんだろう。
しかも、同じ雲、同じ色は二度と現れない。
いつまでも、
眺めていたいと思った。

しかし、けいこ場でみんなが待っている。
先を急がねば。

2014年9月18日木曜日

事務室にて

この写真、何をしているところでしょう?


七ヶ浜町にある国際村では、毎週木曜日に町が児童青年たちの育成事業と位置付けている「七ヶ浜国際村パフォーマンスカンパニー」のレッスンが繰り広げられます。この国際村を拠点として、2001年からミュージカルグループのNaNa5931、パーカッショングループのGroove7という2つのグループが活動しているからです。
ヒロセ純は、このカンパニーのプロデュース役を仰せつかっています。初めてこのブログにお越しになった方は、なんで七ヶ浜町の話題が多いんだろうと、思われたかもしれませんが、実はそんなわけでありまして。
しかし毎週通ってはいるものの、実際のところ私の仕事内容は大したことありません。むしろ指導員の他に重要な役割を担ってくださっているのが、この写真に写っている国際村の20代若手職員の方々です。
写真はLessonの終わりに子供たちに配布する資料や連絡プリントをそろえて下さっているところです。地味な作業ですが、こうして毎週心を込めた町の子供達へのケアが続いています。

気がつけば、この事業がはじまって来年で15年になります。今日撮影した何気ない事務室の風景ですが、2つのグループを起用した様々な事業展開のなかで「継続は力なり」「子供たちは町の宝」を、町の職員の方々が体現化して下さっている姿。
先輩職員から、若い職員へと、その伝統は脈々と受け継がれてゆきます。


遅延

昨日仙台から乗車した新幹線は、大幅に遅れた。
一昨日は地震でダイヤに乱れが出たから、2日連続の遅延。
今日、駅員に訊ねてみたが、まだ昨日の東京駅新幹線ホーム発煙事件の原因はわからないのだそうだ。火の無いところに煙は立たぬなどというが、どうやらそうでもないらしい。
一体、あの発煙騒ぎは何だったのだろう。

その影響で、大切な友人たちとの昼食会をフイにせざるを得なかった。
せっかく時間をとって下さった先輩にも申し訳なかったし、私自身楽しみにしていただけに大変残念。しかし、また皆さんとランチをする「立案の楽しみ」が増えたと考えれば、凹むことはない。
それに、2時間以上遅れると、新幹線の特急券分は払い戻ししてくれることも学習した。ただしカードで購入の場合、カードの口座へ振込。

さて、本日乗車の新幹線、遅れが出ませんように。






2014年9月16日火曜日

BAR

元来酒が強い方じゃ無い。ゆえに酒に呑まれるような飲み方はしない、というか、出来ない。
そんな私でも、かれこれ20数年通う行きつけのBARがある。


先日はそこで東京からお招きした作曲家の上田亨氏と一献。


「まだ店やってる時間?」と事前に電話を入れたせいか、到着し店のドアを開けると、店内では僕のCDが大音量でかけられている。ちょいと気恥ずかしい。しかし、マスターらしい歓迎。

カウンターのゆったりした革張りの椅子に座れば、いつも僕の気持ちにシンクロしたお酒をだしてくれる。
というか、多分それはマスターの気分なんだろうな。
特にオーダーもしたことが無い。

薄暗いBARで、オトナの会話に花を咲かせる。


2014年9月15日月曜日

休日ドライブ

3連休最終日、思いがけず、休日のドライブを楽しむことが出来た。
仙台、福島、山形を巡り、400km弱の距離を走ったであろうか。しかし疲労感は殆ど無く、秋晴れの景色や夕陽の美しさもあいまって、むしろ爽やか気分。

途中、これまた思いがけず、同級生の古川君が経営するレストランで、本人自らが焼いてくれた米沢牛ステーキを頂く機会を得た。


お肉屋さんも経営する彼が直々に焼いてくれたステーキ。
極上の味!
あまりの美味しさに、ソースやタレは一切使わず、塩胡椒のみにて完食。

食のみでは無い。同行のセンセ曰く「取材旅行をした」と言わしめるほど充実した一日。書きたいことは沢山あって書ききれない。
何れ改めて。


2014年9月14日日曜日

後宮からの逃走

恥ずかしながら、音楽も舞台も初めて体験する作品「後宮からの逃走」。


仙台オペラ協会による上演です。演奏は仙台フィルハーモニー管弦楽団。末廣誠さんの指揮による素晴らしい演奏でした。

さて、事務所からてくてく歩いて、定禅寺通りストリートジャズフェスティバルでにぎわう定禅寺通りを横切ると、通りに面した東京エレクトロンホール(宮城県民会館)。仙台市内で、フルオケで、オペラを上演できる劇場は、はっきり言ってここしかありません。


一方仙台のお祭りとしては、代表的かつ大規模なものに成長したジャズフェスには、友人知人が沢山出ているのですが、今年は、聴きに行けずにすみません。何しろ、昨日は昨日でオーディション、今日は午前中、お仕事。キッズクラス(日曜コース)もありました。


昨日オーディション会場であった稽古場は、日曜の朝から大賑わいです。皆さんが休日として過ごす時間は、我々にとってほとんどの場合、こうしたお仕事タイム。しかし、子どもたちと共有する時間、たまにはオペラを観る時間があるということは、もうそれだけでも幸せな人生なのだと思っています。

さて、オペラの会場。
仙台オペラ協会の昨年の公演は「こうもり」(梶賀千鶴子演出)でした。そんなこともあって、出演者や客席には、顔見知りや友人がちらほら。
今年の作品は、3幕ものでモーツァルトが26歳ごろに書き上げたという大作です。芸術監督の佐藤淳一氏によれば、この作品が全曲オーケストラつきで上演されるのは東北では初めてとのことです。貴重な公演に立ち会えたのだなぁ、と感慨を深くしました。

仙台オペラ協会は、宮城県において唯一自分たちの力でオペラを上演し続けている団体です。同じく仙台において自力で舞台制作上演している団体として、 先輩格のオペラ協会の活動を誇らしく感じています。
私はオペラは素人でありますが、今後も微力ながら応援を続けていければと思っています。

2014年9月13日土曜日

オーディション

来年で創立25年を迎えるSCSミュージカル研究所の最上級コースは「マスターコース」と呼ばれるコースです。このコースは多くのプロも生み出しています。

マスターコース以外はSCSミュージカル研究所の規約に反しない限り誰でも所属できるのですが、このコースだけは、所属するのにオーデションがあります。それも、原則として半期に1度だけ行われるもので、ダンス、台詞、歌唱、面接と、4つの審査があります。

連休初日の今日、そのマスターコース第45期生のオーディションが行われました。


そうかぁ、私はもう45回もこのオーディションやってるんだぁ。…何だか感慨深いものがあります。
今回も、主宰の梶賀千鶴子先生をはじめ、東京から駆け付けてくれたプロの俳優を含む7名の審査員が審査を行いました。

結果は、すべて後日、本人宛に郵送されます。合格すれば、晴れてSCSの看板を背負った研究生として、SCSが主催するすべてのレッスンと公演に参加する資格を得ることが出来ます。

今日の仙台の街は、晴れたり、突然雨が降ったりと、ドラマチックな空のもと、定禅寺ストリートジャズフェスティバルでにぎわっております。
一方で、町の中心部一番町の片隅では、舞台に情熱を傾ける若いアーティストのドラマも繰り広げられていたのでありました。


2014年9月12日金曜日

こどもと劇場~ウエスト・エンドの断片(3)

ちょっと写真が小さくて恐縮ですが、この地図にあるようにロンドンの中心部には、大小新旧入り混じり、沢山の劇場があります。


こんなに沢山あると、演劇人ならずとも、どんなものが上演されているのか覗いてみたくなりますね。…そう、地図を見ていてふと思ったのは、そこが大事なんですね。つまり劇場や作品は演劇人や演劇好きな人たちのためにあるのではなくて、フツーのパンピーのためにあるもなのです。
劇場も、図書館も大学も、ほんとは町の中にあるべきなのでしょうね。そう考えます。英国では劇場がある、そこに足を運ぶということが日常にあるのでしょう。だから、前回記事にしたミナックシアターのように、イギリスの最西端に連日満席になる野外劇場も存在するのかもしれません。。

そして、あらためて感心したことがあります。
ロンドンの劇場で手に入れたこのチラシ。
Kids Go FREE to Top London Shows!
とあります。


なぬ?子どもはタダでロンドンの一流の舞台が観れるだと!?
うらやまし~と思うと同時に、大人たちによって「劇場は楽しいところ」というインプリンティングがしっかりとなされているのだなあと感じました。小学生の授業でシェイクスピア作品を取り上げているところもあるとか。


シェイクスピアいえば、その生家のあるストラトフォード・アポン・エイボンを訪ねた時に、劇場施設の一部屋が完全に子どものためにディスプレイされていたことを思い出しました。


考えてみれば、私たちも昔コドモだったわけで、いずれお金を払ってくれる立場になる「将来のオトナ」ですからね。大切にしてあげるべきですね。
商業演劇ですらこのように子どもたちを大事するプログラムを多数取り入れている状況ですから、地方の公共施設や劇場では、もっと子どもたちや地域住民のためのプログラムがさかんに行われているようです。今回の旅では地方の劇場を訪ねることににフォーカスはしませんでしたが、私が担当している「文化プロデュース」という授業(東北学院大学教養学部)では、以前、えずこシアター支配人の水戸雅彦氏をお迎えして、水戸氏が視察してこられた英国の劇場事情をご紹介いただきました。その中でも、それぞれの地域における劇場の役割というのは、そのプログラムが大変に進化していて、感心したことを思い出しました。

一方、今読んでいるイザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」のなかで、オヤジたちが一カ所に集まってこどもを可愛がっている姿が描かれている。明治初期のイギリス人女性イザベラの目には「日本人は子供をとても大切に育てる民族」と映ったようでです。つまりもともと日本は大人たちみんなで子どもを大事に育てる国だったんですね。

そんな思いを胸に、英国には英国の演劇文化があり、日本にも同様に伝統的な演劇文化が存在します。この2つの文化をリスペクトしながら、新しい舞台づくりに向かうことが、これからの私たちの立ち位置かもしれないと思っています。