2013年10月31日木曜日

支倉常長ゆかりの米沢にて

仙台藩士、支倉常長(はせくら つねなが、1571年 - 1622年)は、当時伊達家の領内であった現在の山形県米沢市で生まれたといわれています。

今回のミュージカル「常長の祈り」では、その常長の生まれ故郷である米沢の伝統織物「米沢織」の技と、その高品質な織物で、常長の衣裳を造っていただくことになりました。
昨日(10月30日)は、お願いした 「陣羽織」「七分丈の着物」「袴」の3点のうち陣羽織がいち早く完成したことから、米沢市中心部にある米織会館で、記者会見と贈呈式が行われました。


近藤会長のご挨拶のあと、ヒロセが今回のミュージカルで使用する舞台衣装製作をお願いする経緯をご説明し、米織りの歴史の中では恐らく舞台衣裳制作は初めてとおっしゃる「米沢繊維協議会」の近藤哲夫会長から、不肖ヒロセ純、陣羽織を直接手渡していただきました。

今回の衣裳製作では、米沢繊維協議会から10社が素材提供などの協力に名乗りをあげてくださいました。
常長のふるさとのみなさんの熱き応援になんだか涙が出てくる思いです。
写真は、贈呈式に駆けつけてくださった、協力会社の代表の方々。


下の写真右から、近藤会長、ヒロセ、デザインを担当してくださいった藤倉裕さん。


実は、近藤会長は、ヒロセが同じ幼稚園、小学校、高校と通った、同級生。ご自分でも針を持ち、この衣装製作に参画していただいています。
一方、藤倉さんとは、先日の打ち合わせで初めてお会いしたのですが、予算も時間もほとんどない中で、今回のご依頼申し上げた難題に取り組まれる姿には頭の下がる思いでした。
藤倉さんによれば、デザインは、当時のローマで描かれた常長の油絵などを参考にされたそうです。
衣裳のベースに白いシルクを使い、肩と裾にライン、絵柄にニホンジカや森をあしらったとのこと。さらに舞台でも目立つよう、柄は描かずに「貼り合わせる」手法を採用したということです。
写真の衣装で赤に見えるところは「紅花染め」によるもの。これも山形ならではの伝統の技です。

今朝は、地元紙(山形新聞、米沢新聞)に、さっそく記事が載っていると事務所にFAXが届いていました。


たくさんの方々の熱い思いがこもったこの衣裳、それを身に付け舞台で演ずる重責に身が引き締まります。

400年前にお星様になった、常長殿。
今、あなた様の生まれ故郷、
米沢で衣裳を作っていただいていますよ。
米沢の人たちはあったかいですね。
常長殿、きっと宇宙のどこかには、いらっしゃるでしょう。
どうか、このプロジェクト、舞台の成功をお見守りくださいますよう…。

2013年10月29日火曜日

山を見ながら

宮城と山形の県境にある笹谷(ささや)峠。

普段仙台から笹谷峠を越えて山形市へ移動する際は高速道路を使います。従って、クルマを停めて峠の山を見ることはまずありません。しかし今日は、昔はよく使っていた峠道を通る機会を得ました。

峠に差し掛かる手前の蕎麦屋に立ち寄り、向かいの山を仰げば、杉林以外の部分が色づいて里山まで秋が近づいてきているのがわかります。

あぁ、盆地で生まれ、山に囲まれて育ったはずなのに…近頃の自分は、こうした「山の色」に少々鈍感になっていたかもしれません。

 

こうして季節は巡り、時は過ぎ、時代が変わってゆくのでしょう。

紅葉も落葉も、いのちの営みです。

落葉樹は生きるために葉を落とすのだと聞いたことがあります。

花も紅葉も、次の世代へといのちを繋ぐために、美しい色を見せるのかもしれませんね。

人間もそうなのでしょうか。

 

実は今日、秋晴れのもと山形の山懐にあるお寺で営まれた、大切な舞台スタッフのお父さまのご葬儀に参列してきました。

その帰り途、

山を見ながら、そんな想いがぐるぐると

頭の中を巡っていたのでした。

 

2013年10月28日月曜日

符合

  • 400年前の今日、1613年10月28日。支倉常長率いる慶長遣欧使節団の一行が月浦から出帆した。
  • ミュージカル「常長の祈り」で使用する市村正親さんによる伊達政宗の声を録音、市村さんと制作側の日程が合ったのは偶然今日だった。
  • 伊達政宗や支倉常長が生まれたとされる米沢の伝統織「米織」を使用したミュージカルの常長役用舞台衣裳がほぼ完成した。
  • 諸説はあれど、支倉常長は52歳で亡くなったとされる。
  • 週に一度の「常長の祈り」公式練習日が本日10月28日と重なった
  • 個人的なことだが「顔語り」という記事で、小生のことを取材していただいた情報誌「りらく」の公式発売日は本日28日
  • 常長の乗ったサンファンバウティスタ号の出帆は慶長三陸大地震の大津波被災から2年後



上記の事柄、単なる偶然であろうか、と考えてしまう。

ヒロセ純、米沢生まれ。
18歳から仙台に住み、気がつけば52歳。
ミュージカル「常長の祈り」では制作者として取り組み始めたはずが、先日のブログ記事でも告知させて頂いたように、常長役を拝命。

そして、当日生演奏担当はSCSミュージカルオーケストラ。バンドマスターはサイトウミノル氏。実のところ、このブログのタイトルにもなっているJUN_harvestの「harvest」はミノルさんの名前に由来している。そして、このミュージカルの作曲家は、JUN_harvestファーストアルバムのライナーノーツを執筆頂いた上田亨氏。今回の舞台は、そのJUN_harvestが、単なるバンドを超えて新しい形へとトランスフォームしていく第一節と感じている


これだけの符号が揃えば、
ある意味、ミッションめいてくる。
みなさまのお力添えに感謝しつつ、
あとは、力まずに自然体で前へ進むのみ…。



2013年10月27日日曜日

世代を超えて

「俳優修業ゼミ」という一風変わった名前のゼミナールがあります。
東北学院大学教養学部、下館和巳教授のゼミの名称です。

私の職業柄、俳優を目指す者たちに接する機会は多い。
昔も今も、地球上のいたるところで「演劇」もしくは演劇的な時空をつくりあげる作業は続けられています。 俳優になれるチャンスというのは、実は意外に多いと感じているのですが、そのチャンスを掴み、本当に俳優を職業としていく者はごくわずかであります。

そんな険しく狭い道でありますから大学においての研究や探求の対象になりうる、ともいえるかもしれません。
このゼミでは「俳優を目指す勉強」の中で、様々な角度から、文学はもちろん、言語学、表現法、そして、舞台に関わる多様な業界の知識、人間関係を構築する様々なテクニックを探求するチャンスを得ることが出来ます。将来職業とならずとも、現代人の歴史上、常に存在し続けている演劇や、舞台というものを通じて、学んだり、気づいていくことは多いと感じています。

ゼミの担当教授である下館氏は、シェイクスピアやダンテ研究の専門家であり、シェイクスピアカンパニーという劇団の主宰者でもあります。故にゼミの内容もシェイクスピアを軸としたプログラムが組まれ、今年のゼミの学生たちは「十二夜」の翻案に挑戦し、上演を目指しています。
その作業のなかで、これから彼らが社会に出るために、実はもっとも必要な「自分を見つめること」や「チームワークの取り方」などを学んでいくことになるでしょう。

実は私、この「俳優修業ゼミ」の芸術顧問を仰せつかり、2年前から時々ゼミのお手伝いをさせていただいています。芸術顧問などというと、たいそうな響きですが、浅学の身ゆえ経験から得たものしか持ち合わせていません。実際には主に舞台制作を生業とする立場から、ゼミの進行に伴って発生する専門分野での課題や表現に対してのアドバイスをするという立場です。むしろ私の方が学生のみなさんとの交流やものづくりを通じて気づくことや学ぶことが多く、たいへんありがたい時間をいただいていると感じています。

さて、一昨日の夜は、そのゼミの4年生が合宿&交流会を催すというので、仙台市内のとある場所へと、夕方から事務所を抜け出し、出かけてきました。
1時間程度、舞台用語や業界用語、舞台制作に関するエピソードなどを交えたレクチャーを実施した後、夕食。
デザートは、下館教授差し入れの「高級ショートケーキ」の時間。
どれを選ぶかは「王様じゃんけん」で決定。


写真手前のケーキの争奪戦です。王様じゃんけんなんて、ひさしぶり。皆小学生に戻ったような雰囲気で大いに盛り上がりました。

食事の後は、部屋を移しての、いわゆる「コンパ」。
意外にみんなお酒をあまり飲まないのね~。
(かくいう私も仕事の関係上、クルマで駆け付けたのでウーロン茶でしたが)
ほとんどが缶チューハイ1本ぐらいで十分なんだそうで。


聞けば、今の学生たちはタバコを吸う者や大酒飲む者は、ほとんど居ないそうです。
自分の学生時代とは大きな隔たりを感じつつ、我々の世代は前近代的な人種となってしまったのかなぁ…などと考えていました。
そして、バブルがはじけた後に生まれ育った彼ら、二十歳の時に震災を体験した彼らの前途を想うとき、勢いのあるニッポンをとりもどすために、我々の世代に出来ることが、まだ少しあるように感じました。
世代を超えて伝えなければならないことが。

外は雨でありましたが、話は多岐にわたり笑い声の絶えない明るい時間。
気が付くと、あっという間に夜は更けていたのでありました。

2013年10月26日土曜日

分母

こどもたちがお稽古の休憩時間などに「昔はさぁナントカカントカで~」などと話をしている場面に出くわすことがあります。
君たちの昔って、何年前?」などとつっこみたくなるワタシ(笑)

しかし、この映像を見ると、その子たちにとっては確かに「昔」であることを実感。

年齢を重ねるごとに1年が過ぎる速さが増している気がします。
誰かが、「それは1年を分数で表した時の分母がどんどん増えていくからだよ」と言っていたことを思い出しました。

その方式でいうと、満1才の子の1年が、1/1とすれば、
50才のオトナの1年は、1/50。
なるほど。

2013年10月25日金曜日

技術スタッフ会議

昨夜は、11月9日〜10日に七ケ浜国際村で開催される「KIZUNA Ⅱ」の技術スタッフと演出班による進行打合せ会議が行われました。


皆さん百戦錬磨の頼もしいプロフェッショナルです。いつもこうした打合せを通じて感じるのは、プロであればあるほど準備に時間をかける、ということ。打合せの時間が長いという意味ではありません。逆に打ち合わせ時間は短いのです。打合せが長いということは、それ以前の各スタッフの準備や取り組みが甘いということに他なりません。


打合せを終えて、今年の舞台もワクワク楽しい舞台になることを確信いたしました。チケットが売り切れ間近の回も出てまいりました。全席指定席となっておりますので、まだお求めになっていない方は、お早めにどうぞ!
チケットのお求めは、七ケ浜国際村事業協会(022-357-5931)まで。

「常長の祈り」キャスティング 1

公演まで残り時間が1ヶ月を切りました。
稽古場では、東京で行われている上田亨先生の音楽制作状況にリンクして梶賀千鶴子先生からチラシ発表以外のキャスティングが発表されています。
このブログでは、数回に渡りキャスティングの状況についても発信してまいります。

キャストについては現在も稽古場で出演者約100名がその獲得のためにしのぎを削っており、まだすべてが決定されてはおりませんが、演出家と音楽家により決定されたものについて、順次公表してまいります。尚、一旦決定されたものでも、止むを得ない事情により上演の際にキャスティングに変更がある場合が御座いますので予めご了承ください。

伊達政宗の声------------------市村正親

支倉常長------------------------ヒロセ純

ルイス・ソテロ-----------------茅根利安

東九助---------------------------藤田和正
瀧川嘉兵衛---------------------菅野綾人

セバスチャン・ビスカイノ--------------亀井貢
ノピスパニア副王グァダルカサル--松田純一
泉栄---------------------------------------川田清太郎

イスパニア国王フィリッポ三世---ロドリゲス・ランヘル・ダビ
スペインの学芸員-------------------メリネ・メスロピアン
船乗りニール-------------------------アンドレ・ペレズ

支倉常長ら 慶長遣欧使節団出帆400年記念事業に関しては宮城県のホームページや「みやぎ県政だより」でも紹介されています。
http://www.pref.miyagi.jp/site/kenseidayori/kensei-2013-09-special01.html

このミュージカルでは、史実に基づいたお話を軸としながらも、何しろ支倉常長は謎の多い人物ですから、大胆なフィクションも取り入れて、楽しく見応え聴き応えのある演出が随所に設けられています。

尚、上記キャスティングのとおり、不肖ヒロセ純、今回作・演出家、音楽家等の強い要請により、このたび支倉常長役を拝命いたしました。
作品のプロデューサーという役割のみでも重責でありますが、さらなる重責に、身の引き締まる思いでありあます。これを機に現実的にもぷよっとしつつある身が引きしまることを願いつつ、万里一空の気持ちをあらたにしているところでございます。
 
まだまだ未熟な修行の身、何卒みなさまのご声援、ご協力ならびにご指導のほど、伏してお願い申し上げます。
 

 

2013年10月24日木曜日

こどもたちのこころ

先日の稽古場で、5歳の女の子が私の足に抱きついてきました。

たまに子どもたちのそんな仕草に遭遇することがあります。まったくもってイノセンスというか、無条件に「かわいらしい」と思う瞬間です。

稽古場での僕は、先生のような、トモダチのような、親父のような…何とも不思議な立ち位置。そんな私に、子どもたちはストレートな感情表現をする時があるのです。足に抱きついてきたのは「嬉しい」表現のひとつであることは、間違いありません。その様子を見ていた、女子中高生たちは「クスクスクス」っと笑っておりました

実は、笑っているその子たちも、幼稚園の頃は、同じようなことをしていたわけで、そんな自分のことを思い出して、くすくすっと笑ったのかもしれません。私はダンスや歌を直接指導することはまずないし演技指導することもほとんどありません。けれども稽古場に顔を出す、「気が付くと純さんそこに居た」という状況は重要であると感じています。

四半世紀稽古場で子どもたちを見てきていますけれど、どの子たちも一様にかわいらしい。年を経ると、さらにそのかわいいと思う感情が顕著になってきているように思います。同世代から「孫」という単語が聞こえ始め、翻って自分にそんなかわいらしい孫がいたら、さぞ先に逝くのは心配であろう。と、おぼろげにそう感じ、妄想して居りました。
そんな風に稽古場で子供たちの様子に目を細めていた先週の末、兄貴分のような存在でもある大切な友人のお母さまが、お星さまになってしまわれました。

 


友人のお母さまは、孫のことを短歌に歌い、昨年それは「はな」というタイトルで、絵本として出版されました。

ご葬儀でスライドでも投影された、お母さま自筆による生前遺されたお別れの言葉は、

いよいよの時がまいりました。」という覚悟の言葉で始まり、
いつの日か天のまほろばでお逢いする来世あれば幸いです。
で結ばれていました。

途中には子供や孫たちを気遣う言葉が並び、文章全体からは、85年しっかりと生きられた強さと優しさが伝わってくるようでありました。

いのちはいつか尽きるものですが、自分の場合はきっとお母さまのような見事なクロージングは出来ないだろうなぁ、などと感じていました。
グダグダともがきながら生きてる自分を反省しつつお葬式に参列し、静かに手を合わせてきました。
外ではずっと霧雨が降っておりました。
そうですね、いつか、天のまほろばでお会いできますことを。


2013年10月22日火曜日

月例

今日は月例の会計監査日
弊社の顧問税理士のT先生においでいただきました。

このところの公演やイベントのバタバタですが、会計処理も社員のN君とともに頑張りました。
次回への課題も残っておりますが、今日のところはまず、一区切り。
元来なまけものの私は、こうして月例の監査があることで毎回「しっかり経理もやらなくちゃ」と気を取り直すことが出来ます。
何とも他力本願な発想(笑)
最近はN君のおかげで、苦手な経理処理もだいぶ楽になってきましたけどね。
昔は一人で悪戦苦闘しておりました。


さて、そんなお仕事に無理やり区切りをつけて、近くのサンモールまで足を運びました。
小さな会社ですが、月に一度の会計担当者の贅沢。

Tセンセを囲んで牛タンを頂きました。
Tセンセからいろいろと税務について教えて頂けるのもこの月例監査のよいところです。
ちなみに最近はとろろをつけるのがお気に入り。

ふう、満足の夕食!
ささやかな幸せを味わいました。

2013年10月21日月曜日

稽古、稽古、稽古場にて。

practice, train, do exercises, rehearse, 
study, learn, take lessons...

ふと、普段何気無しに使っている「お稽古」という言葉は、英語で正確に表現できるのだろうかと、考えてみた。
浮かんだのが冒頭の単語。
すべて中学英語というか primary English である。
しかし、どれもしっくりこない。というより、全て当てはまる。
さらに加えるとすれば、日本語のお稽古には endure という要素も入り込んでいる気がする。

とにもかくにも、お稽古場では普段はあまり感じていないような言葉たちが、重要な意味をもって、その存在感を誇示し始めることがある。
このところ稽古場に居ると、そんな事を感じている。

さて、昨日は仙台市内でのイベント出演の後は、七ケ浜町の稽古場に居た。
もうすぐ本番を迎えるKIZUNA Ⅱのお稽古場だ。
現場に到着すると「集中稽古」の名の下に出演者たちはおよそ10時間に及ぶ稽古を行っていた。


昨日、イベント班とは別に昼から七ヶ浜入りしていた梶賀センセはじめ指導者たちの体力、気力にも驚嘆するが、子どもたちも、本当に頑張っていた。先輩たちに負けじと、ついて行く様は、思わず抱きしめて褒めてあげたくなるほど可愛らしくいじらしい。



かわって本日は「常長の祈り」のお稽古場。


こちらは、長時間の稽古が叶わないので、集中力、効率化が求められる現場である。 音楽も、まず譜面を持たずに徹底的に口移しでメロディーと歌詞を頭と体に叩き込んで行く。譜面は自宅に戻ってからゆっくり確認するための材料。 言葉も音楽も、脳内では文字や譜面に先行するというSCSで長年培われたメソッドが実践されてゆく。 


時間との闘いの中、出演者の脳裏には絶えず不安がよぎっているはずだ。
しかし、この作品と舞台を支えているのは百戦錬磨のプロたち。だから、安心して思い切って稽古に励んで欲しい。

舞台というものは一見派手に見えるが、
愚直なものだけが最後にそこで生き残る。