2011年4月16日土曜日

忙中閑(歓)有

ここ数日、分刻みにちかいスケジュールです。
仙台市内を移動中に見つけた桜。
一瞬癒されます。

去年はいろんな桜を見たっけなぁ。
今年は全く違う気分で桜の下を歩いています。
桜が散る前にゆっくり見たいものです。



月と桜。
少しセンチメンタルな気分になるのも、桜の癒しでしょうか。

さて、今から4時間は眠れるな。

2011年4月15日金曜日

「Faith」再演用最終台本配布!

昨日の七ヶ浜での感動的な稽古再開の余韻もつかの間、今日は山形県米沢市に来ています。
来月行われるミュージカル「Faith(フェイス)」の最終稿台本が作者の梶賀先生から直接伝国座のメンバーに手渡されました。


米沢市教育委員会の村野課長からは、伝国座のみなさんのプレゼントを七ヶ浜町に届けていただいた時の様子、被災地の様子が報告されました。

こうして、劇場を使ってお稽古ができることが、どれだけすごいことか、伝国座メンバーはその幸せを噛みしめて、今、自分たちに出来る最高の舞台をつくることを確認しあいました。


2011年4月14日木曜日

七ヶ浜国際村パフォーマンスカンパニー再開!

七ヶ浜国際村パフォーマンスカンパニーの活動がついに再開されました(^_^)v
久しぶりに会えた仲間たちと、涙と笑顔の再会です。 


星、事務局長の挨拶。事務局長は、国際村が避難所となっていることから、連日泊り込みで避難者の方々のお世話をなされています。
今回の地震、津波でお亡くなりになった町民の方々への黙祷を捧げた後、事務局長のリードで、みんなで手を繋ぎ、絆を確かめ合いました。


余震がまだ続いています。万が一のために、鈴木係長の説明で、避難経路の確認。
みんな緊張の面持ち。


「最終的には必ずみんなここに集まること!」念入りな説明が行われました。


安全のため、稽古場は、袖の一部分のみです。万が一の場合はすぐそばの搬入口から広場へ避難できます。さあ、いよいよ稽古の開始です。みんなうれしそう。


稽古の終了後、メンバーはよねざわ市民ミュージカル「伝国座」のみなさんからのプレゼントの品々を、梶賀先生から、直接手渡されました。
伝国座のみなさんがカンパして購入してくださったノートや鉛筆などの文房具です。
心あたたまるプレゼントと交流。伝国座のみなさん、本当にありがとうございました。

4月14日。

今から50年前の今日、僕は生まれました。
両親に感謝します。

本当は記念に桜の花でも撮影しようかなとも思いましたが、本日もなかなか時間が取れません。僕のデスクから見える街路樹の写真を紹介します。
この街路樹、昨年ばっさりと剪定されてちょっとかわいそうと思っていました。しかし、今こんな風にしっかり新しい、小さなはっぱが出てきて、空に向かっています。


SCSミュージカル研究所古川教室再始動!

昨夜、僕が南三陸町へ支援活動する一方で、SCSミュージカル研究所古川教室がついに再始動いたしました。

震災により、今までお借りしていたレッスン会場は、使用できないため、 いつもは、公演会場で使わせていただいている醸室寺子屋ホールを使用してのレッスン開始です。

再開へ向けてご尽力いただいた皆さまに、この場をお借りして心から感謝申し上げます。
昨日の様子は担当より報告を受けた後、またブログで紹介していきたいと思います。

2011年4月13日水曜日

SCS古川教室、再始動!

今週、無事に再開したSCSミュージカル研究所古川教室(SCF)の稽古の様子です。
担当の藤田君撮影。
場所は大崎市古川にある醸室寺子屋。
梶賀先生や藤田君の話によれば、この寺子屋は何とか大丈夫でしたが、醸室敷地内のほかの建物は屋根が落ちたりして大変な被害状況のようです。
そんな中でも、SCFのメンバーは次の舞台を夢見て、震災を乗り越えるべく、元気に稽古を始めました!

南三陸町 ベイサイドアリーナ

南三陸町の災害対策本部、そして南三陸町では最も規模の大きい避難所、ベイサイドアリーナにお邪魔しました。
宮城復興支援センターからの3名と共に、支援物資を届けたあと、対策本部やベイサイドアリーナにて、役場職員の皆さんや、医療関係スタッフの皆さんを交えて、今後必要とされる支援のありかたについて協議をさせていただきました。
津波により、町が無くなってしまうという言葉を失う悲劇。そして雛形などどこにもない復興への道。その道を手探りで進んで行かなければなりません。
南三陸町のホームページにはこんな写真も掲載されています。
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/uploads/photos1/2064.pdf

ベイサイドアリーナには、今も入り口近くまで避難されている方の「生活」があります。
また、体育館に集められた全国、世界からのご好意の品々を効率良く被災者へ届ける仕組みも、避難の長期化、広範囲化に伴い、大きな課題となっています。


一日を費やした時間が殆ど自分のこと以外でありました。生きて人の役に立つチャンスがあることに感謝しなければなりません。
40代最後の思い出に残る一日でした。

2011年4月12日火曜日

七ヶ浜国際村パフォーマンスカンパニー再開へ向けて

「七ヶ浜国際村パフォーマンスカンパニー」。
筆者はこのカンパニーのプロデューサーを仰せつかっております。
NaNa5931(なな・ごー・きゅー・さん・いち)とGroove7(ぐるーぶせぶん)という 、それぞれミュージカルとパーカッションの2つのグループが活動するカンパニーです。

この度の震災で町指定の避難所となったこともあり、カンパニーは活動を停止しておりましたが、メンバーからの再開の熱望と、活動の母体である七ヶ浜国際村事業協会様のご理解のもと、関係者全員再開へ向けての様々な努力を重ねてまいりました。
本日は、活動のための安全条件を満たすかどうかという現地調査を行いました。
七ヶ浜国際村事業協会様、ホール管理者、SCSスタッフ、そして私と、4者による厳重な安全管理体制、その運営方法などを確認しました。その結果、活動場所や時間が限定的であっても「七ヶ浜国際村パフォーマンスカンパニー」の活動は再開できそうです。

しかし、ここは被災地でかつ避難所でもあることを決して忘れてはいけません。七ヶ浜国際村の坂を下りていくと小豆浜という、サーファーで賑わうスポットがあるのですが、1ヶ月を過ぎた今も、こんな状況です。
今回の活動再開へ向けてのもう一つの意味は、避難所としての生活の場、文化施設としての活動の場、その「共存」を模索する挑戦です。元来、生活と文化活動は密着したものであったはずですし、これがうまく行けば、この町の復興を精神的に支えていくひとつの表現になりうると信じます。

当たり前のことなのかもしれませんが、災害復旧はどうしても、文化的なものは後回しになりがちです。けれどもこの町で、この国際村で、震災前のように、普通に子どもたちの歌声や、音楽を奏でる音が漏れ聞こえてくることも、復興に向けて「心を癒し、明日へ向かう」一歩になるのでは、というのが、私たちの結論でした。
とにかく、可能と思われることには、積極的に挑戦していくのみです!
前へ進むしかありません。

NaNa5931のテーマソングのタイトルは
「ゴーへ」(ごうへ)
この町から始まったといわれる遠洋漁業が盛んだったことに生まれた方言です。
Go ahead! がなまったものといわれています。

七ヶ浜に住む方から、メールをいただきました。
「今まさに『ゴーへ』しかありません」と。

桜01

仙台管区気象台によると、「12日、仙台市宮城野区で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。平年より1日早く、満開になるのは17~19日ごろとみられる。」とのこと。
確実に季節は移っていきます。

今日は午前中宮城復興支援センターのメンバーと打合せをして、その後デスクワーク。これから七ヶ浜町に移動です。

今年は桜の花をいつもの年よりしっかり見たいな。

2011年4月11日月曜日

セロ弾きのゴーシュ

「仙台の方でまた、強い余震があった」というニュースを秋田で聞きました。わらび座さんの稽古場では殆ど感じませんでした。しかし先ほど仙台に戻ると、途中の高速道路は、だんだんデコボコがひどくなり、やはり被災地なのだと実感。

さて、昨日のブログでは説明不足だったかも知れません。JUN_harvestのメンバー、只野展也が今、編曲で携わっているのは、わらび座の新作ミュージカル「セロ弾きのゴーシュ」です。


僕はちょっと時間を頂いてわらび劇場で「アテルイ」を鑑賞。(只やんひとり作業させてごめん!おかげさまで、アテルイは初めて拝見。いいミュージカルでした。東北人は見ておくべきと思いました。)

ゴーシュの稽古場に戻ると、只やんはスタッフの皆さんと稽古を見ながら編曲や編集の確認作業を行っていました。

確認作業を終え、その後稽古場での録音作業など一連のミッションをこなし「おつかれさま」。
帰り際に、役者の笹やんから、「何も差し上げるものがなくて」と言いつつ、笹やんが愛用していたと思われる懐中電灯を頂きました。


仙台に戻ってからあらためて眺めてみると、なんだかお守りのようで、笹やんの気持ちがあったかく…震災1ヶ月目のその日に頂いた記念の物になりそうです。大事に使わせていただきます。