南三陸町の災害対策本部、そして南三陸町では最も規模の大きい避難所、ベイサイドアリーナにお邪魔しました。
宮城復興支援センターからの3名と共に、支援物資を届けたあと、対策本部やベイサイドアリーナにて、役場職員の皆さんや、医療関係スタッフの皆さんを交えて、今後必要とされる支援のありかたについて協議をさせていただきました。
津波により、町が無くなってしまうという言葉を失う悲劇。そして雛形などどこにもない復興への道。その道を手探りで進んで行かなければなりません。
南三陸町のホームページにはこんな写真も掲載されています。
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/uploads/photos1/2064.pdf
ベイサイドアリーナには、今も入り口近くまで避難されている方の「生活」があります。
また、体育館に集められた全国、世界からのご好意の品々を効率良く被災者へ届ける仕組みも、避難の長期化、広範囲化に伴い、大きな課題となっています。
一日を費やした時間が殆ど自分のこと以外でありました。生きて人の役に立つチャンスがあることに感謝しなければなりません。
40代最後の思い出に残る一日でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿