2012年11月4日日曜日

手負いのマスト

昨日は、久しぶりに石巻市に出かけてきました。
慶長使節 400 年記念シンポジウム
「出帆 400 年に向かって―慶長使節がもたらしたもの」
というタイトルの講演を聴いてきました。


会場のサンファン館に向かう途中、昨年、5月21日に、
日生劇場の支援で人形劇を上演した湊小学校の前を通りました。
震災直後の避難所独特の混乱した空気はないものの、
今は人影なく、1階部分は完全に目張りされた校舎を見て、なにか、大きな哀しみが再び襲ってくる感覚にとらわれました。
写真を撮る気にもなれませんでした。

さて、そのシンポジウム。
仙台藩士、支倉常長が、伊達政宗の命を受けてローマへ出帆したのは1613年。
記録によると、その2年前には、慶長の大津波がこの地区を襲ったとされています。
大津波のダメージから2年後に、ガレオン船を仕立てて、
この歴史的な慶長遣欧使節団をローマへ向けて送り出した事実。
そして、平成の大津波の2年後に常長出帆から400年の時を迎えるという事。
復興という観点から見ると、何か不思議な符号やヒントを感じざるを得ません。
シンポジウムの内容は大変充実して、ためになるものでした。

実は、ヒロセ純、20年前に「ビバ!支倉」という
宮城県主催のミュージカルに支倉常長役で出演した経験があります。
当時は県内5都市で宮城県民会館を含む6公演を行いました。
そうした意味においても、興味深く、かつ勉強し直すつもりで、真剣に講演を拝聴しました。
忘れていたことを思い出したり、新しい発見もあり、サンファン館に来た甲斐がありました。

一方、そのサンファン館に係留されている復元船「サン・ファン・バウティスタ号」も昨年の津波で大きな被害を受けました。
震災でダメージを受けた船体に追い打ちをかけるようにやって来た翌月の暴風雨でメインマストも折れてしまいました。
被害の状況はサンファン館のブログなどでも確認いただけます。
震災前の様子とは違ってしまった施設内を抜けて「早く元の姿に戻って欲しい」という願いを胸に、少し哀しい気持ちで会場を後にしました。

しかし、帰り道に見た景色に、僕はしばし立ち尽くしました。
400年前、常長一行が旅立った月の浦に沈みゆく夕陽を受けたそのマストは、
手負いでも武士の一分を賭けて最後まで闘おうとするサムライのすがたに見えたのです。
それは、長い復興への道のりへ向けての力強さを示すかの如く、美しいシルエットを作って見せてくれているように思えました。


400年前の仙台藩、石巻、そして侍の魂を、
今まさに見直す時が来ているのかもしれません。



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