2年くらい経つと忘れる事も多いのだが、この日だけは、忘れる事はできない、というより忘れられない。
静かにこの日を過ごすというのもひとつの方法。しかし私たちが求められている場所もあります。
今日は昨年に引き続き、七ヶ浜町の追悼式に参列させていただきました。
もちろん七ヶ浜のミュージカルグループNaNa5931も一緒です。
最初に、ホールで進行する次第にあわせて、控え室にて黙祷。
式の後半で、NaNa5931のメンバーが、ミュージカルナンバーから七ヶ浜を歌った2曲を歌いました。
式場では、何人もの方々が涙を拭っておられました。
ことばとメロディーが追悼式会場に染み渡って行きます。
しかし、子どもたちは、出番が終わるとすぐに用意されていたバスに乗り込み、七ヶ浜町の国際村から、仙台市の東京エレクトロンホール(宮城県民会館)へ移動です。
宮城県と河北新報社などが主催するメモリアルイベントのフィナーレで「上を向いて歩こう」を歌うため。今日の彼らは売れっ子芸能人並みのスケジュール。
県民会館では、仙台のSCSメンバーと合流し、会場に到着するとまもなく簡単な場当たりのみ済ませて、すぐに開場となりました。客席は今回5,000件の応募者から抽選で選ばれたという1,500名以上のお客さまで満席です。
イベントのフィナーレでは、七ヶ浜と仙台の約40名の子どもたちが、村井宮城県知事はじめ、加藤登喜子さんや和合亮一さんなど、出演者と一緒に会場いっぱいに響き渡る声で歌い上げてくれました。
(イベントの第一部では、小生も河北新報社が出版した詩集「ありがとうの詩」 付属CD作曲者の一人として登壇させて頂きました。少々恥ずかしかったですが)
こうしたイベントに子どもたちを呼んで頂ける事はたいへんありがたいことであります。
今後、被災地にすむ彼らが、3.11をどうとらえていけばよいのか、
子どもたちなりに感じて、受け入れていく機会ともなるからです。
出演者も、客席もそれぞれの想いを胸に秘めた3.11。
今日も沢山の人々にお世話になりました。
感謝の気持ちで一杯です。
2013年3月11日月曜日
2013年3月10日日曜日
父と娘
結婚式にお招き頂き、岩手の千厩まで行って来た。
みちのくミュージカルシアターのメンバー、綾ちゃんの結婚式だ。
新郎は身長192センチのナイスガイ。
綾ちゃんも背は低い方ではないのだけれど、小さく見える。
お似合いのカップルだ。
宴席にはこんなビールも。
もちろん、みちのくミュージカルシアターのメンバーも駆けつけて二人の門出に華を添えてくれた。
それにしても感動的だったのは、お色直し入場の際の「長持唄」。
写真ではちょっと分かりにくいが、舞台で尺八を演奏しているのは綾ちゃんのお父さまである。
お父さまは、知り合いの結婚式などに時々呼ばれて、尺八を演奏していたことがあるそうだ。その練習を綾ちゃんは、小さい頃よく聴いていたとの事。
しかしお父さんは今回、その練習している姿を、決して綾ちゃんに見せる事はなかったそうな。
とにもかくにも、私が今まで見た長持唄のシーンの中で
本日のそれは最も印象的なものとなった。
一生に一度だけ、
娘のために演奏する長持唄。
新婦の目は涙で潤んでいた。
周囲でも涙を拭う姿が…
お父さんは「緊張してあがってしまった」と苦笑いされていたけれど、
私は、この世で最も美しい尺八の音色だと感じていた。
父の奏でる音色に包まれて、
嫁いでゆく娘。
百万言を費やしても言い尽くせない父親としての愛情を
その一曲に見た気がした。
博さん、綾ちゃん、お幸せにね。
そして、若き二人の前途に大いなる祝福あれ!
みちのくミュージカルシアターのメンバー、綾ちゃんの結婚式だ。
新郎は身長192センチのナイスガイ。
綾ちゃんも背は低い方ではないのだけれど、小さく見える。
お似合いのカップルだ。
宴席にはこんなビールも。
もちろん、みちのくミュージカルシアターのメンバーも駆けつけて二人の門出に華を添えてくれた。
それにしても感動的だったのは、お色直し入場の際の「長持唄」。
写真ではちょっと分かりにくいが、舞台で尺八を演奏しているのは綾ちゃんのお父さまである。
お父さまは、知り合いの結婚式などに時々呼ばれて、尺八を演奏していたことがあるそうだ。その練習を綾ちゃんは、小さい頃よく聴いていたとの事。
しかしお父さんは今回、その練習している姿を、決して綾ちゃんに見せる事はなかったそうな。
とにもかくにも、私が今まで見た長持唄のシーンの中で
本日のそれは最も印象的なものとなった。
一生に一度だけ、
娘のために演奏する長持唄。
新婦の目は涙で潤んでいた。
周囲でも涙を拭う姿が…
お父さんは「緊張してあがってしまった」と苦笑いされていたけれど、
私は、この世で最も美しい尺八の音色だと感じていた。
父の奏でる音色に包まれて、
嫁いでゆく娘。
百万言を費やしても言い尽くせない父親としての愛情を
その一曲に見た気がした。
博さん、綾ちゃん、お幸せにね。
そして、若き二人の前途に大いなる祝福あれ!
2013年3月9日土曜日
あの日が近づいて
土日のSCS稽古場は子どもたちの元気な声で溢れている。
わずか9歳で、初舞台を踏む前日、津波にいのちを奪われた茜音(あかね)ちゃんも、本当はここで、元気に春の舞台へ向けてレッスンに励んでいるはずだった。
今年の3月11日は月曜日だから、レッスンがない。したがって、今日明日の各レッスンが始まる前に、あかねちゃんや、2年前の大震災で失われた家族、親戚、友人たちにこうして黙祷をささげる。
SCSミュージカル研究所は、創立以来、一貫して「いのち」の大切さをテーマにして創作活動を続けてきた。私たちの活動は、そのテーマを軸に、生きていることの楽しさを表現することを目的のひとつとしている。
また、子どもたちの個性に応じて、その成長過程に応じて選択肢を見せてあげるのが私たちの使命だと感じている。その選択肢のなかの一つを選んだあとの子どもたちの生きるエネルギーを支えるために、稽古場では厳しいレッスンも続けられている。
舞台は表現活動であると同時に、相手に伝えるというコミュニケーションの手段でもあり、それは彼らが生きていくうえでとても重要な能力となる。
稽古場で子どもたちは、学校や家庭とは違った意味での厳しさや愛情をセンセから受け取る。
一方、3階にある事務所には、次々と「卒業しました!」「進路が決まりました!」と、研究生たちが挨拶に訪れる。
彼らの顔は、一様にきれいに咲いた花のように見える。
そして、彼らの報告のひとつひとつが自分のことのように嬉しくなるのだ。
2年目のあの日が近づいて…。
SCSのセンセたちは、子どもたちのこころの動きに神経を張りながら、センセたちもそれぞれに2度目の3.11を迎えようとしている。
わずか9歳で、初舞台を踏む前日、津波にいのちを奪われた茜音(あかね)ちゃんも、本当はここで、元気に春の舞台へ向けてレッスンに励んでいるはずだった。
今年の3月11日は月曜日だから、レッスンがない。したがって、今日明日の各レッスンが始まる前に、あかねちゃんや、2年前の大震災で失われた家族、親戚、友人たちにこうして黙祷をささげる。
SCSミュージカル研究所は、創立以来、一貫して「いのち」の大切さをテーマにして創作活動を続けてきた。私たちの活動は、そのテーマを軸に、生きていることの楽しさを表現することを目的のひとつとしている。
また、子どもたちの個性に応じて、その成長過程に応じて選択肢を見せてあげるのが私たちの使命だと感じている。その選択肢のなかの一つを選んだあとの子どもたちの生きるエネルギーを支えるために、稽古場では厳しいレッスンも続けられている。
舞台は表現活動であると同時に、相手に伝えるというコミュニケーションの手段でもあり、それは彼らが生きていくうえでとても重要な能力となる。
稽古場で子どもたちは、学校や家庭とは違った意味での厳しさや愛情をセンセから受け取る。
一方、3階にある事務所には、次々と「卒業しました!」「進路が決まりました!」と、研究生たちが挨拶に訪れる。
彼らの顔は、一様にきれいに咲いた花のように見える。
そして、彼らの報告のひとつひとつが自分のことのように嬉しくなるのだ。
2年目のあの日が近づいて…。
SCSのセンセたちは、子どもたちのこころの動きに神経を張りながら、センセたちもそれぞれに2度目の3.11を迎えようとしている。
2013年3月7日木曜日
僕はこどもを産めませんが
今夜は七ヶ浜でのお稽古日でした。
七ヶ浜国際村ホールロビーでは、
パーカッションアンサンブルグループの
Groove7(グルーヴセブン)が、
リハーサル室では、
ミュージカルグループの
NaNa5931(ナナゴーキューサンイチ)が、
それぞれ、真剣なお稽古の時間を過ごしています。
Groove7は、今月の年度末成果発表のステージへ向けて、楽曲の完成度を高める作業に余念がありません。
NaNa5931は、今月だけで4つのイベントからお呼びがかかっています。
なかでも東日本大震災から3年目にあたる11日は七ヶ浜町の慰霊祭と、仙台の宮城県民会館で行われるイベントの2箇所かけもちです。今夜のお稽古では、その時に歌われる「上を向いて歩こう」のリハーサルも行いました。
あらためて名曲だなぁと感じました。
稽古場のこどもたちが
♪幸せは雲の上に
幸せは空の上に
なんてフレーズを歌うのを聴いていると、震災後のいろんなことが想い出されて、じ~んときます。
このあと、NaNa5931のメンバーは、ホールに移動して、慰霊祭のときに歌うオリジナル2曲の練習も行いました。ここでも"We love Shichigahama!"なんて歌う子どもたちの声にじ~ん。
音楽の力ってすごいね。
国際村の外へ出て空を見上げると、薄雲が拡がっていて、月も星も見えません。
「上を向いて歩こう」を聴いたからというわけではありませんが、震災後はほんとうに空を見上げることが多くなっています。
ちょっと調べてみたら、来週の11日から12日は新月でお月さんは顔を出してくれないようですね。
ぼーっと、空を見上げていたら
「月」がでてくる自分の曲の一節が浮かびました。
♪月の見えない雪の夜でも
暗い朝も
風の街でも
ぼくはいつもそばにいるよ
(JUN_harvest 「ふたり月」より)
これは震災後につくった曲の一部。
自分でつくった曲のフレーズが浮かんでくるなんて、めずらしいことです。
そして、今年に入って自分は「歌っていない」ことに気がつきました。
これは、自分のなかのバランスとしては、良くないかも。
日常何ごともなく過ごしているように見えて、実は無呼吸、みたいな。
そろそろ、こういう曲たちも、CDかなんかにしてあげないとね。
僕はこどもを産めないけれど、繋がっている人とのあいだにメロディーが生まれることがあります。
それは、止めることができません。しかし、それをカタチにしようとすると、文字通り産みの苦しみを味わいます。 おんなのひとの産みの苦しみに比べれば、きっと取るに足らない痛みでありましょうが…
でもねぇ、せっかくこうして生かされているわけで、
昨日胃カメラ飲まされたりしたけど、まだまだこのカラダ使えそうだし、
もうすこし、
それらを紡いでいかなければ。
七ヶ浜国際村ホールロビーでは、
パーカッションアンサンブルグループの
Groove7(グルーヴセブン)が、
リハーサル室では、
ミュージカルグループの
NaNa5931(ナナゴーキューサンイチ)が、
それぞれ、真剣なお稽古の時間を過ごしています。
Groove7は、今月の年度末成果発表のステージへ向けて、楽曲の完成度を高める作業に余念がありません。
NaNa5931は、今月だけで4つのイベントからお呼びがかかっています。
なかでも東日本大震災から3年目にあたる11日は七ヶ浜町の慰霊祭と、仙台の宮城県民会館で行われるイベントの2箇所かけもちです。今夜のお稽古では、その時に歌われる「上を向いて歩こう」のリハーサルも行いました。
あらためて名曲だなぁと感じました。
稽古場のこどもたちが
♪幸せは雲の上に
幸せは空の上に
なんてフレーズを歌うのを聴いていると、震災後のいろんなことが想い出されて、じ~んときます。
このあと、NaNa5931のメンバーは、ホールに移動して、慰霊祭のときに歌うオリジナル2曲の練習も行いました。ここでも"We love Shichigahama!"なんて歌う子どもたちの声にじ~ん。
音楽の力ってすごいね。
国際村の外へ出て空を見上げると、薄雲が拡がっていて、月も星も見えません。
「上を向いて歩こう」を聴いたからというわけではありませんが、震災後はほんとうに空を見上げることが多くなっています。
ちょっと調べてみたら、来週の11日から12日は新月でお月さんは顔を出してくれないようですね。
ぼーっと、空を見上げていたら
「月」がでてくる自分の曲の一節が浮かびました。
♪月の見えない雪の夜でも
暗い朝も
風の街でも
ぼくはいつもそばにいるよ
(JUN_harvest 「ふたり月」より)
これは震災後につくった曲の一部。
自分でつくった曲のフレーズが浮かんでくるなんて、めずらしいことです。
そして、今年に入って自分は「歌っていない」ことに気がつきました。
これは、自分のなかのバランスとしては、良くないかも。
日常何ごともなく過ごしているように見えて、実は無呼吸、みたいな。
そろそろ、こういう曲たちも、CDかなんかにしてあげないとね。
僕はこどもを産めないけれど、繋がっている人とのあいだにメロディーが生まれることがあります。
それは、止めることができません。しかし、それをカタチにしようとすると、文字通り産みの苦しみを味わいます。 おんなのひとの産みの苦しみに比べれば、きっと取るに足らない痛みでありましょうが…
でもねぇ、せっかくこうして生かされているわけで、
昨日胃カメラ飲まされたりしたけど、まだまだこのカラダ使えそうだし、
もうすこし、
それらを紡いでいかなければ。
2013年3月6日水曜日
マリンバのご支援、続報
今朝、新聞を広げたら、嬉しい記事を見つけました。
河北新報朝刊22面。
先週このブログで話題にさせていただいた、七ヶ浜町の子どもたちへの楽器支援の記事です。
被災地の子どもたちの芸術活動に対するご支援。
今回ご支援くださった企業の皆さまはもちろんのこと、東北最大の新聞社が、こうして記事として取り上げてくださったことに、心から感謝いたします。
これは、子どもたちにとって「こうして大人たちがしっかり見ていてくれる」という実感や安心につながり、彼らがさらに表現活動に磨きをかけて、被災地における心の復興のけん引役になってくれることと信じております。
河北新報朝刊22面。
先週このブログで話題にさせていただいた、七ヶ浜町の子どもたちへの楽器支援の記事です。
被災地の子どもたちの芸術活動に対するご支援。
今回ご支援くださった企業の皆さまはもちろんのこと、東北最大の新聞社が、こうして記事として取り上げてくださったことに、心から感謝いたします。
これは、子どもたちにとって「こうして大人たちがしっかり見ていてくれる」という実感や安心につながり、彼らがさらに表現活動に磨きをかけて、被災地における心の復興のけん引役になってくれることと信じております。
2013年3月5日火曜日
日本照明家協会 東北懇談会にて
昨日は、公益社団法人日本照明家協会が主催した東北懇談会に出席してきました。
内容は
第1部「東北の復興の状況」
第2部「現在の状況」~各地域の現場から
第3部「明日に向けて・絆」
という構成でした。
まず、沢田祐二会長の挨拶にはじまり
私は、梶賀千鶴子氏(演出家)、石井忍氏(舞台監督)のお二人と共に、第2部のパネラーとして参加させて頂きました。
その様子はUSTREMでも配信されたということで、さきほど、恥ずかしさ半分恐る恐る観てみると、まだアクセスできるようです。
ご興味のある方は、下記URLへアクセスしてみてくださいませ。
http://www.ustream.tv/user/NGC-Tokyo
主に、ミュージカルの制作を通じた震災後の活動についてお話させていただきました。
時間の関係もあり、 梶賀氏、石井氏にお話していただく時間が少なかったことが、少々心残りではありますが、被災地の舞台制作者からみた、現況をお話しする機会を頂いたことに感謝いたしております。
会場には、北海道から沖縄まで、各地から舞台やコンサート、TVなどの照明に関わる皆さんが集まっておられました。
特に第3部では、日本を代表する照明家の皆さまがパネラーとなり、会場の皆さんの貴重なご意見を伺うことも出来、大変有意義な時間を持つことができました。
舞台作品づくりは、チームワークです。
作家、演出家、音楽家、役者、ミュージシャン、ダンサー、衣裳、照明、音響、舞台装置、演出班、映像班、制作班…
私のように地方でミュージカルを制作する場合でも、そのチームの総数は、100名近くになることは普通にあります。商業演劇においては、もっと多くの人たちが舞台作品作りに関わることもあります。
こうした舞台作品作りにおいては、チームワークが大変重要です。
場合によっては、生命に関わる危険も潜んでいるのが舞台です。あらかじめ、関わる各人、各チームが共通認識をどれだけ持つことができるかで、完成度も違ってきます。
昨日は、そのうち照明に関わっている方々と様々なお話をすることが出来、さらに、懇親会、2次会と交流を深めるなか、チームワークの重要性を再認識するための中身の濃い意見交換も出来ました。
今回の懇談会は、昨年に引き続き、(公社)日本照明家協会の皆様が、もっと東北に目を向け、手を携えようとして下さって、2年連続で開催してくださったものです。
舞台やTVの出演者たちを影で支え続ける皆さんの知恵と力が、今、私たちの住む東北に向けられています。
内容は
第1部「東北の復興の状況」
第2部「現在の状況」~各地域の現場から
第3部「明日に向けて・絆」
という構成でした。
まず、沢田祐二会長の挨拶にはじまり
私は、梶賀千鶴子氏(演出家)、石井忍氏(舞台監督)のお二人と共に、第2部のパネラーとして参加させて頂きました。
その様子はUSTREMでも配信されたということで、さきほど、恥ずかしさ半分恐る恐る観てみると、まだアクセスできるようです。
ご興味のある方は、下記URLへアクセスしてみてくださいませ。
http://www.ustream.tv/user/NGC-Tokyo
主に、ミュージカルの制作を通じた震災後の活動についてお話させていただきました。
時間の関係もあり、 梶賀氏、石井氏にお話していただく時間が少なかったことが、少々心残りではありますが、被災地の舞台制作者からみた、現況をお話しする機会を頂いたことに感謝いたしております。
会場には、北海道から沖縄まで、各地から舞台やコンサート、TVなどの照明に関わる皆さんが集まっておられました。
特に第3部では、日本を代表する照明家の皆さまがパネラーとなり、会場の皆さんの貴重なご意見を伺うことも出来、大変有意義な時間を持つことができました。
舞台作品づくりは、チームワークです。
作家、演出家、音楽家、役者、ミュージシャン、ダンサー、衣裳、照明、音響、舞台装置、演出班、映像班、制作班…
私のように地方でミュージカルを制作する場合でも、そのチームの総数は、100名近くになることは普通にあります。商業演劇においては、もっと多くの人たちが舞台作品作りに関わることもあります。
こうした舞台作品作りにおいては、チームワークが大変重要です。
場合によっては、生命に関わる危険も潜んでいるのが舞台です。あらかじめ、関わる各人、各チームが共通認識をどれだけ持つことができるかで、完成度も違ってきます。
昨日は、そのうち照明に関わっている方々と様々なお話をすることが出来、さらに、懇親会、2次会と交流を深めるなか、チームワークの重要性を再認識するための中身の濃い意見交換も出来ました。
今回の懇談会は、昨年に引き続き、(公社)日本照明家協会の皆様が、もっと東北に目を向け、手を携えようとして下さって、2年連続で開催してくださったものです。
舞台やTVの出演者たちを影で支え続ける皆さんの知恵と力が、今、私たちの住む東北に向けられています。
2013年3月4日月曜日
みんなといっしょ
もうすぐ
あかねちゃんの
三回忌です
あかねちゃん
おけいこばでみんなと一緒におけいこしよう
そんな思いをこめて
梶賀センセとカズくんが
追悼公演で使用したあかねちゃんの写真を
おけいこばに飾ってくれました
ぼくはまだ写真をみるのが少しつらいきもちだけれど
こどもたちは、あかねちゃんの写真の前に
思い思いにプレゼントなんか置いてくれたりしています
今年の3がつ11にちは月曜日だから、
SCSのレッスンがありません
だから今のうちから一緒におけいこしよう
こうして
2週間にわたっていっしょにいたら
全部のクラスのおともだちと、一緒におけいこできるね
梶賀センセは、そんなきもちでカズくんと飾ったのでしょう
ほんとは、地震があった次の日
2ねんまえの3月12にちが、
あかねちゃんの初舞台だったってことは、
みんなおぼえているよ
とっても楽しみにしていたんだよね
ちょっぴり緊張もしていたかな
でも、あの日、あの時間に
お兄ちゃんに手を引かれ
ちいさなからだで
いっしょうけんめい
黒い大きな波から逃げていたんだと思うと
無念で、無念で、
ご家族みんなの行方がわからなくて、
3.11以降、ぼくたちは必死に探して
そして情報を集めていました
だけど、
地震から13日経って、市役所と警察から
悲しい連絡が事務所に入ったんだ
大地震翌日の本番では、お兄ちゃんの学生服借りて
「ちびっ子ギャング」の場面やる予定だったのに
その衣裳として預かっていた
お兄ちゃんの学生服だけが
僕たちの手元に残って
ぼくたちは
それを掴んで
強烈に悔しくて、かなしくて
センセもみんなも
泣きました
だから、ぼくたちは、
あかねちゃんの立ちたかった舞台を
つくりつづけていかなくちゃ、
って思っています
生かされた
このいのちがつきるまでね
あかねちゃん
忘れてないよ
いつまでも
みんなあかねちゃんのともだちだからね
天国からぼくたちを見守っていてくださいね
あかねちゃんの
三回忌です
あかねちゃん
おけいこばでみんなと一緒におけいこしよう
そんな思いをこめて
梶賀センセとカズくんが
追悼公演で使用したあかねちゃんの写真を
おけいこばに飾ってくれました
ぼくはまだ写真をみるのが少しつらいきもちだけれど
こどもたちは、あかねちゃんの写真の前に
思い思いにプレゼントなんか置いてくれたりしています
今年の3がつ11にちは月曜日だから、
SCSのレッスンがありません
だから今のうちから一緒におけいこしよう
こうして
2週間にわたっていっしょにいたら
全部のクラスのおともだちと、一緒におけいこできるね
梶賀センセは、そんなきもちでカズくんと飾ったのでしょう
ほんとは、地震があった次の日
2ねんまえの3月12にちが、
あかねちゃんの初舞台だったってことは、
みんなおぼえているよ
とっても楽しみにしていたんだよね
ちょっぴり緊張もしていたかな
でも、あの日、あの時間に
お兄ちゃんに手を引かれ
ちいさなからだで
いっしょうけんめい
黒い大きな波から逃げていたんだと思うと
無念で、無念で、
ご家族みんなの行方がわからなくて、
3.11以降、ぼくたちは必死に探して
そして情報を集めていました
だけど、
地震から13日経って、市役所と警察から
悲しい連絡が事務所に入ったんだ
大地震翌日の本番では、お兄ちゃんの学生服借りて
「ちびっ子ギャング」の場面やる予定だったのに
その衣裳として預かっていた
お兄ちゃんの学生服だけが
僕たちの手元に残って
ぼくたちは
それを掴んで
強烈に悔しくて、かなしくて
センセもみんなも
泣きました
だから、ぼくたちは、
あかねちゃんの立ちたかった舞台を
つくりつづけていかなくちゃ、
って思っています
生かされた
このいのちがつきるまでね
あかねちゃん
忘れてないよ
いつまでも
みんなあかねちゃんのともだちだからね
天国からぼくたちを見守っていてくださいね
2013年3月3日日曜日
太郎亭の「冷たい肉そば」
先週訪れた山形県の朝日町。
そこで、打合せの前に、みんなで腹ごしらえをしようということになりました。
そんなとき道路沿いの「肉そば」という看板が我々の目に飛び込んできました。
米沢生まれの私は「冷たい中華そば」というのは食べたことがあります。
しかし、「冷たい肉そば」は、はじめて。
はじめは「あったかい肉そば」を食べようと思いましたが、
お店の方に「一番人気はなんですか?」とたずねたところ、「冷たい肉そば」との回答。
「外はすごい雪だし、冷たいのはどうかな」と一瞬怯みましたが、全員ユニゾンで、その一番人気を注文することにいたしました。
一口食してみると…
これが、何ともいえない旨さ!
スープの深みのある味と地鶏の旨みが絶妙です。
感動しました。
やみつきになりそうです。
寒い時期にあったかい部屋で「冷たい肉そば」というのは、なかなかオツなもんです(^^♪
そこで、打合せの前に、みんなで腹ごしらえをしようということになりました。
そんなとき道路沿いの「肉そば」という看板が我々の目に飛び込んできました。
米沢生まれの私は「冷たい中華そば」というのは食べたことがあります。
しかし、「冷たい肉そば」は、はじめて。
はじめは「あったかい肉そば」を食べようと思いましたが、
お店の方に「一番人気はなんですか?」とたずねたところ、「冷たい肉そば」との回答。
「外はすごい雪だし、冷たいのはどうかな」と一瞬怯みましたが、全員ユニゾンで、その一番人気を注文することにいたしました。
一口食してみると…
これが、何ともいえない旨さ!
スープの深みのある味と地鶏の旨みが絶妙です。
感動しました。
やみつきになりそうです。
寒い時期にあったかい部屋で「冷たい肉そば」というのは、なかなかオツなもんです(^^♪
2013年3月2日土曜日
バスマリンバがやってきた!
先週、七ヶ浜で活動するパーカッショングループ「Groove7」(グルーブセブン)のメンバーに、とっても嬉しいプレゼントが届きました。
「バスマリンバ」
いくつか種類のあるマリンバという打楽器のなかでも、主に低音を担当する楽器です。
七ヶ浜に住む子どもたちで構成されているGroove7は、震災後、もちろん自分たちも被災者でしたが、避難所となった国際村で、避難者のケアをするボランティア活動に励みました。
また、自分たちの演奏で避難者の皆さんを励ましたいと、数々の演奏活動も行ってきています。
そんななかで、ひとつの悩みは「自分たちのマリンバを持っていない」ということでした。
練習も本番も、講師の先生のご好意でマリンバを提供して頂いていました。
そこについに、マリンバを支援してくださる企業が現れたというわけです。
Groove7の主任指導員の星律子先生が、昨年の夏に、プルデンシャル生命保険株式会社という会社を訪れ、Groove7の実情をお話しする機会がありました。
その時の話が発端となり、プルデンシャル生命様から、支援のお申し出をいただくことになりました。同社の皆さんは、震災後、七ヶ浜町だけでも、のべ500人の社員の皆さんが、ボランティア活動で訪れてくださっています。
そして、今回のご支援。Groove7のメンバーは、それはそれは飛び上がって喜びました。
先日私がこのニュースを伝えたときには、涙目になって嬉しがるメンバーも。
一生懸命避難所などでの演奏に取り組んできたことを高く評価していただいてのご支援です。
プルデンシャル生命様のご支援に加えて、マリンバの専門メーカー、KOROGI社様も、特別の価格でこのバスマリンバを製作してくださいました。
Groove7の監督者の一人として、こんなに嬉しいことはありません。
この楽器を使って、七ヶ浜のこどもたちは、益々有意義な活動に邁進することでしょう。
そのパワーは、きっと大人たちにも伝わって、復興の後押しとなるに違いありません。
お礼に、メンバーが贈呈式においでいただいたプルデンシャル生命保険の方々に、新しいマリンバを使っての演奏をプレゼントいたしました。
(写真、左から2番目がバスマリンバ)
「はじめて手にする自分たちのマリンバ」
彼らにとっては最高のご支援です。
プルデンシャル生命保険の皆様、KOROGI社の皆様、ほんとうにありがとうございました。
「バスマリンバ」
いくつか種類のあるマリンバという打楽器のなかでも、主に低音を担当する楽器です。
七ヶ浜に住む子どもたちで構成されているGroove7は、震災後、もちろん自分たちも被災者でしたが、避難所となった国際村で、避難者のケアをするボランティア活動に励みました。
また、自分たちの演奏で避難者の皆さんを励ましたいと、数々の演奏活動も行ってきています。
そんななかで、ひとつの悩みは「自分たちのマリンバを持っていない」ということでした。
練習も本番も、講師の先生のご好意でマリンバを提供して頂いていました。
そこについに、マリンバを支援してくださる企業が現れたというわけです。
Groove7の主任指導員の星律子先生が、昨年の夏に、プルデンシャル生命保険株式会社という会社を訪れ、Groove7の実情をお話しする機会がありました。
その時の話が発端となり、プルデンシャル生命様から、支援のお申し出をいただくことになりました。同社の皆さんは、震災後、七ヶ浜町だけでも、のべ500人の社員の皆さんが、ボランティア活動で訪れてくださっています。
そして、今回のご支援。Groove7のメンバーは、それはそれは飛び上がって喜びました。
先日私がこのニュースを伝えたときには、涙目になって嬉しがるメンバーも。
一生懸命避難所などでの演奏に取り組んできたことを高く評価していただいてのご支援です。
プルデンシャル生命様のご支援に加えて、マリンバの専門メーカー、KOROGI社様も、特別の価格でこのバスマリンバを製作してくださいました。
Groove7の監督者の一人として、こんなに嬉しいことはありません。
この楽器を使って、七ヶ浜のこどもたちは、益々有意義な活動に邁進することでしょう。
そのパワーは、きっと大人たちにも伝わって、復興の後押しとなるに違いありません。
お礼に、メンバーが贈呈式においでいただいたプルデンシャル生命保険の方々に、新しいマリンバを使っての演奏をプレゼントいたしました。
(写真、左から2番目がバスマリンバ)
「はじめて手にする自分たちのマリンバ」
彼らにとっては最高のご支援です。
プルデンシャル生命保険の皆様、KOROGI社の皆様、ほんとうにありがとうございました。
2013年3月1日金曜日
朝日町にて
一昨日は山形県の中ほどに位置する朝日町におじゃましてきました。
昨年度、私が毎週通っている七ヶ浜町と朝日町は「友好の町」の条約を締結しています。
そんなご縁もあって、両町での文化交流を図れないかとの要請を受け、現在七ヶ浜町で私たちが手がけている事業の紹介に伺いました。
見学させて頂いたのは「創遊館」という総合施設。
この中にはりっぱなホールもあります。
見学を終えた後に、施設内の会議室でプレゼンテーションを行わせていただきました。
終始なごやかなで有意義な時間を持たせて頂いて、少し早めに宿泊先へ移動。
目指すは8キロほど先にあるスキー場の隣に聳え立つホテルです。
それにしても、さすがスキー場の近くとあって、道の両側には3メートル近い雪の壁が続いています。
七ヶ浜町の公用車に便乗させて頂いての道行きでしたので、久しぶりに雪道を走る車に乗せてもらうという経験。
運転のyさん、お疲れ様でした!
おかげさまで、自分で運転するのとはまた違って、山の雪景色をじっくり堪能させて頂きました。
雪国生まれの自分には、こうした景色は不思議な安心感や郷愁を呼び起こします。
朝日町と、七ヶ浜町、楽しい関係を築いていくお手伝いができたたらよいな、と思っています。
昨年度、私が毎週通っている七ヶ浜町と朝日町は「友好の町」の条約を締結しています。
そんなご縁もあって、両町での文化交流を図れないかとの要請を受け、現在七ヶ浜町で私たちが手がけている事業の紹介に伺いました。
見学させて頂いたのは「創遊館」という総合施設。
この中にはりっぱなホールもあります。
見学を終えた後に、施設内の会議室でプレゼンテーションを行わせていただきました。
終始なごやかなで有意義な時間を持たせて頂いて、少し早めに宿泊先へ移動。
目指すは8キロほど先にあるスキー場の隣に聳え立つホテルです。
それにしても、さすがスキー場の近くとあって、道の両側には3メートル近い雪の壁が続いています。
七ヶ浜町の公用車に便乗させて頂いての道行きでしたので、久しぶりに雪道を走る車に乗せてもらうという経験。
運転のyさん、お疲れ様でした!
おかげさまで、自分で運転するのとはまた違って、山の雪景色をじっくり堪能させて頂きました。
雪国生まれの自分には、こうした景色は不思議な安心感や郷愁を呼び起こします。
朝日町と、七ヶ浜町、楽しい関係を築いていくお手伝いができたたらよいな、と思っています。
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