2009年9月6日日曜日

仙台オリジナルミュージカルの原点(2)

1986年(昭和61年)、その噴水のある場所すなわち宮城学院では、創立100周年の記念ミュージカル「ハート・バイ・ハート・ツアー」(梶賀千鶴子作・演出)が上演された年であります。
SCS主宰の梶賀千鶴子が15年在籍した劇団四季を辞めた年と重なっています。

ヒロセ純はといえば、先のブログに書いたようにYMAHAのポプコンなどで歌っていました。何回目かの(?)大学4年生ありました。サークルは、東北学院大の学生でしたが、東北大学軽音楽部の「アステロイズ」というところに在籍。ボーカルとギターを担当し、バンド活動に励んでおりました。

当時そのミュージカル「ハート・バイ・ハート・ツアー」が上演されていることは知っていました。というのもYAMAHAにいたバンド仲間が、そのミュージカルで生演奏を担当していたからです。「女子大の講堂でミュージカル、女の子ばっかりなんだよ!」「へぇ~、ってことはレオタードの女の子がいっぱいってこと?」などと、バンド仲間と話していた記憶が…。何しろ25歳で、しかもまだ大学生でしたから。
翌年、やっと大学を出たヒロセ純は、音楽では食えないので、就職することに。

しかし、自分の世界とはまったく違う音楽分野と思っていた、創作ミュージカルの分野。
まさか、2年後にその梶賀千鶴子女史と出会うことになるとは…

チェルノブイリの原発事故が起こった年でもありました。

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