2009年9月15日火曜日

仙台オリジナルミュージカルの原点(3)

1988年の晩秋だったと記憶していますが、仙台市制100周年記念ミュージカルの実行委員の一人であった方のお屋敷で、僕はそのミュージカルの作・演出を手がけるという梶賀千鶴子と初めて会うことになります。

当時、僕は仙台の国分町にあった「デュエット」というお店で毎週弾き語りのライブをやっていました。そこにお客さんで現れたやはり実行委員会のメンバーのひとり、大阪欣也先生(宮城学院理事)に初対面で「ミュージカル一緒にやりましょう!」と誘われたのがきっかけです。

1988年といえば、パソコン通信網「PC―VAN」に日本初のコンピュータ・ウイルスが侵入と判明した年です。当時僕はNECの大型コンピュータを販売する仕事をしていて、お客さんともコンピュータ・ウイルスの話題をしばしばしていたような記憶があります。 40メガバイト(ギガでもテラでもない)のハードディスクパックと呼ばれるものが、定価で200万円近くした時代です。

昼はサラリーマン、夜は歌うたいという妙な生活をしていた僕は、歌っていたお店のオーナーから「ミュージカルってmusicにalがついただけだから音楽の修行になるんじゃない?」という不思議なアドバイスを受け、さらに「ミュージカル」という新分野に足を踏み入れることになるのでした。

そして、大阪先生からの指定場所である仙台の閑静な住宅街のひとつ中島町にあるそのお宅に、確か出張先の山形から夜に直行し、数人の実行委員会メンバーの皆さんと一緒に会議をしていた梶賀さんと初めて対面するのでした。
そのとき僕は「まったく知らない分野であり、仕事もあるし、歌も歌っているから、なかなか時間が取れないので、どんな協力ができるか疑問です」というような、半ばお断り話をした記憶があります。
その時の梶賀さんの答えが
「あなたの24時間のうち5分程度貸してくれればいいのよ」というものでした。
「そうですか、5分程度なら…」
と簡単に考えました。

数年後、その5分が25時間になるとは…夢にも思いませんでした。

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