iPhone6の発売日に、私はiPhoneぢゃぁなくPCを新調しました。
カバンに入れて持ち運べて、軽くて、CD,DVDも焼ける、カードリーダーも内蔵…となると、選択肢は少なくて、選んだのがコレ。
その日の夜、仙台から移動した米沢の稽古場でさっそく使っておりました。
写真は歪んでデカく見えますが、実際はA4用紙ぐらいの大きさ。バッテリーは10時間以上持つし、カタログによれば、76cm落下試験、100kgf加圧振動試験にもパスしているシロモノ。それでいて重さも1Kgちょっとなので、あちこち出歩く私にはありがたい、というわけです。出費としては痛かったのけれど、仕事用ですから(←と、言い訳)
実は、数年前まで、PCといえばアメリカ製のものばかり使っていました。2011年には、iPad2の発売を心待ちにしていたのだけれど、震災で発売日が延期に。その後、5月の発売日には、まっさきにそれを手に入れ、今も愛用しています。しかし、SE30の時代から20年以上続いたアップル製品の購入は、今のところそれが最後。S.ジョブズの存在は大きかったかも。
なんでコンピュータの話かって?実はワタクシ、1980年代の後半にACOS(エイコス)というコンピュータの販売を担当しておりました。ACOSってのはNECの大型コンピュータ及びその基本ソフト(OS)のことです。当時はスーパーコンピュータとか、汎用機などと呼んでいたけれど、今は業界じゃ何と呼んでいるのかな。バブル崩壊直前の、何だか不思議なイケイケ空気感のある時代でした。
そのバブルがはじけた直後、1990年の1月に当時28歳の私は独立し業界的には全く関係のない今の仕事を始めるわけなのですが、あっという間の四半世紀。山はほとんどなく谷あり谷ありって感じでいたけれど、これまでよく会社をやってこれたなぁ、というのが実感です。
実感といえば、世の中、お金よりも信頼できる友人関係が重要ですね。たとえば、震災直後はお金を握りしめて店に飛び込んでも、何も買えませんでしたから。食べ物だって、手に入れるのに頼れたのはその時点での友人たちとのつながりだけでした。
幸いにして不肖ヒロセ純は、震災後、全く先の見えない状況に陥りながらも、たくさんの友人、先輩、後輩たちに助けて頂きながら、ここまで何とか生きてきました。(そーいえば吉田拓郎の歌に♪私は今日まで生きてきましたぁ~って歌ありましたね。ふと思い出しました。つくずく昭和のオトコであります)
さて、私がその業界を離れてから、時代は大きく変化して、今や完全にインターネット社会。
コンピューターを取り巻く事情も変化してきて、ひょっとすると量子コンピュータが実用化されるかもという時代に突入しています。
そんななか「ものをつくる」スピリットという意味では、個人的に再び日本のソコヂカラを見せるタイミングなのでは、という予感を持っています。現状でも日本人の技術が支えている分野は数多くありますし、今後もう少しそれぞれの分野で日本の技術が発展していくのではと。すっかり業界を離れて俯瞰で見ているから、そんなこといえるのかもしれませんけれど。
かつて、鉄道もコンピュータも、最速マシンは日本人が作っていました。国産電子機器製造業の世界に身を置いていたせいなのか、いまだに日本製のものに対する愛着と信用は絶対的なものがあります。
もう一度、ならずとも「2位じゃだめなんですか」みたいなスピリットは受け入れ難し。日本人のソコヂカラを信じたい。
SCSミュージカル研究所でハードウェアはつくっていませんけど、別の意味で「ものづくり」を続けている我々です。そのけいこ場で、子どもたちと接する機会も多いせいか、とにかく、我々の次の世代のことが気になって仕方ありあません。
何というか…スポーツ観戦の時だけぢゃぁなく、様々なかたちで、日常的にこの国、ニッポンを応援し続けたいわけです。全くもって微力ではありますが。
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