何度観ても発見があります。
そして、全く色あせないオードリー・ヘップバーンの美しさと、豪華なセットと衣裳。
ちょうど50年前の1964年に公開された映画とは思えないほど、いまだに私にとっては新鮮な驚きの連続です。
ずいぶん前に買ったDVD、忙しさで封を切っていませんでした。
忙しいという字は心を亡くすと書きます。これじゃいけないと思い立ち、昨夜は久々のDVD鑑賞。
「My Fair Lady」
ミュージカル映画といえば、私が19歳か20歳の頃、仙台の名画座(超安値で映画を見せてくれた場所、中高年の仙台人は全員知ってますよね)で、多分10回以上は(リバイバルで)観た「サウンド・オブ・ミュージック」が好きな作品の一つです。主演のジュリー・アンドリュースに、当時ものすごくあこがれた記憶があります。
ところで、最近知ったのですが、この「マイ・フェア・レディ」の当初のヒロイン候補が、舞台を演じていたその アンドリュースであったそうなのです。しかし、アンドリュースはセクシーさに欠けるとかなんとかいうことで、主演はヘップバーンに決まったんだそうな(この辺あたりは完全に男の論理とコマーシャリズムですね)。けれどもその年のアカデミー主演女優賞は、「メリー・ポピンズ」で主演したアンドリュースで、オードリーは賞を逃してしまったということです。ちょっぴり皮肉なお話。
この作品を見るたびに必ず思うのは「言葉と人格」。アメリカ映画ではありますが舞台は英国。(そういえば、そういうヒット作品多いですね、ハリー・ポッターとか)今夏の英国滞在の記憶も蘇り、言語と人格、言語と演技の相関性を改めて考えながら画面を観ておりました。階級社会という背景もこの映画を楽しむうえでは不可欠ですね。…しかし、あまり考えすぎることは経験上良いことではありませんし、元来複雑な思考に耐える脳みそを持ち合わせていない私には似合いません。
そうです。複雑な思考は1分と持たず、次の瞬間の私は、単純に、本能のままに、これまでとはまた違った印象のヘップバーンの魅力を堪能させていただいておりました。うむ、今でも十分すぎるほど通用する美しさ…。
あの美貌で、美しい言葉を操られたら、誰だって夢中になるに違いありません。現実にこんな人が居たら、どんな男もイチコロでしょう。
けれども、いくら美貌でも映画の冒頭でヘップバーンが使っていたような言葉を使われたら、幻滅してしまう男は多いはず。
美しい言葉は人の心を動かす力を持っているのかもしれません。
はぁ、またもや映画製作者の手中に完全にはまり(笑)…しばしよき夢を見させていただきました。
今日まで生きたひとつの確信。
美しいものは善であります。
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