日曜日。
SCSのスタッフは仙台で3つのクラスのレッスンで忙しくしています。
一方の私は、朝、仙台を発って東へ向かいました。
目的地の七ヶ浜国際村に到着すると、既に館内の控室から子どもたちのコーラスが響いてきています。
お、みんな進んで自分たちで練習をはじめていますね。えらい!
今日は、仙台フィルハーモニー管弦楽団の皆さまのコンサート。その公演後に、地元のミュージカルグループNaNa5931(ななごーきゅーさんいち)が、オーケストラの伴奏で、春にちなんだ曲のメドレーを歌うという時間を頂いています。子どもたちは集合時間を過ぎると自主的にリハーサルを始めていました。
この時期にしては比較的暖かな日曜日。曇り空ではありましたが、終演まで雨は降らずに持ちました。おかげで当日券が60枚近くも売れるという盛況ぶり。たくさんのお客様に恵まれました。
あいかわらず今日も子どもたちの歌声は透明感があり、気が付けば私は客席で自然に瞼を閉じて、オーケストラの美しい響きと子どもたちの声に聴き入っていました。そして、ホールの外にある津波被災地の様子が自然に目にに浮かんでくる自分に気が付きました。
津波の前と後の町の様子が交互に瞼に浮かんでは消えてゆきます。
子どもたちを見ていると、自分の「この先」のことをふと思います。例えば10年先、20年先…当たり前だけれど、この子たちの生存率のほうがはるかに高い(笑)
したがって、子どもたちは私たちが見ることの出来ない未来を見ることが出来る、つまり「子どもは未来」なのです。
一方、震災後は人の生命のはかなさを身をもって感じてしまっています。それゆえに「この先」のあやうさも、5年前よりはるかにリアリティをもって意識します。
そう、「子どもは未来」…震災後そんな話を教えてくれた友人と、先日久しぶりに呑んでいるとき、彼女は突然「バニラアイス」なるものをカバンから取り出しました。
「何ですかそれ?」
周囲も奇異な目線。
う~む。この先が見えない展開です。
何でも、宇宙開発関係のとある場所から仕入れたのだとか。宇宙食なのだそうです。確かに、私が子どもの頃に想っていた未来に関係がありますね(笑)
お店の赦しを得て、カウンターにて皆で試食。開けてみれば、何だかきめの細かな洗濯石鹸?
しかし… 味は確かにバニラアイス。好みの味である。多分5箱ぐらいは食べれそうだ。非常にうまい!
その宇宙食とやらは皆であっという間に平らげてしまったのですが、私は、最後に残ったかけらを味わいながら思っていました。…そういえば、震災後、コンビニで初めて買えた食べ物は、アイスボックスの底に一本だけ残っていたアイスクリームだったなぁ。 あの時、これがあれば、もうちょっと満たされた気持ちになったかなぁ。
一方、子どもの頃「自分は21世紀まで生きて、宇宙に行ける」と信じていました。鉄腕アトムの影響だったのでしょう。しかしながら半世紀以上を生きた今、その可能性はゼロとは言わないけれど、確率はかなり低くなっちまったなぁ…などと、つらつら。
ここまで生きて「この先」の不確実性を知りつつ、けれども懲りもせずに明日を夢見て、自分が感じられること、見えること、聞こえること、触れること、そんなリアリティを求めているわけで。
人間とはしぶとい生き物のようです。常温の粉っぽいバニラアイスを食べながら、私はそんなことを考えていたのでした。
しかしまぁ、子どもたちの歌声から、深夜のバーで宇宙食を味わったことを連想するとは…我ながら予測不能。まさにこの先の不確実さを地でゆく私であります(笑)
つまるところ、人生は楽し(^^♪
0 件のコメント:
コメントを投稿