2015年2月10日火曜日

Bushido: The Soul of Japan

新渡戸稲造博士が1900年(明治33年)に米国で発表されたとされる表題の本、日本においては矢内原忠雄先生の翻訳による「武士道」という書物で有名である。私は10歳から18歳まで、ほぼ毎日のように剣道に親しんだせいもあってか、学生時代にこの書物に夢中になった記憶がある。

先日SCS「おとなクラス」の稽古終了後、SCSメンバー最高齢の松野豊先生と立ち話をしていた。先生のお母様が1900年生まれで、先生は1930年生まれ、そして結婚したのが1960年…、実に30年ごとの区切りなのです。というお話をされて笑っていらした。
ちなみに私が生まれたのは1961年。先生とのお話のなかで1900年代と私の体感距離が狭まったように感じた。さて、そのことが伏線となっていたのかどうか、その1900年に発表された「武士道」をそれこそ、30年ぶりに買い直し、先日から読み直している。


すると、若い頃には全く気が付かなかった深みが見えてきた。感動したセンテンスは数多くあって、紹介を始めたら際限がなくなるからここではやめておこう。しかし、この書物に出てくるサムライたちと、この30年間で、舞台制作やミュージカルで関わってきたことには驚いた。伊達政宗、支倉常長、上杉鷹山…ミュージカルではないけれども、上杉鷹山公は、我が母校、米沢興譲館の創始者でもある。インプリンティングされてことが沢山ある。またプロデューサーを拝命している米沢のミュージカルグループ「伝国座」の名前も鷹山公の「伝国の辞」から頂いている。そんな折、ジョン・F・ケネディ大統領のご令嬢キャロライン駐日大使が就任され、彼女の口から鷹山公の名前が出てきたときには驚いた。そのことは、地元の米沢でもそれまで確証が無いと、公の場で口にすることははばかられてきたからだ。

読売新聞(2013.11.27記事)より
(以下引用)
父ジョン・F・ケネディ元大統領が、江戸時代の米沢藩の名君とされる上杉鷹山を尊敬し、「あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい」と述べた就任演説に代表される考え方に影響を与えたと紹介した。
(以上引用 )

どんな時代のどんな偉人にも師となる人や先達は居たのである。
私たちが舞台作品や音楽を作ろうとするときに、その学びに素直に導かれてよいのであろう。
先人、先達の知恵や哲学、その生き方に学ぶことは多い。


0 件のコメント: