剣道部の後輩が、私の同級生2人とともに仙台に遊びに来てくれました。
我々4人の共通点は、学生時代「仙台興譲館寮」の寮生であったこと。
実は、先週行われた米沢興譲館高校の同窓会で「我々が暮らした寮母さん、お元気かなぁ」と話題に。その席で、誰からともなく「会いに行こう!」ということになり、「そのうちってのはいつになるかわからんから、来週都合つく奴!」って呼びかけに都合のついたのがこの4人。
ぼくらは寮母さんのことを親しみを込めて「おばさん」と呼んでいました。今でも変わりません。そのおばさんのご都合を伺うのは仙台在住の私の役目です。私も仙台に居ながら、なかなか顔を見に行く機会を得ていなかったので、よいきっかけでした。
そして、昨日。おばさんが現在暮らしている北仙台のホームを慰問ということになったわけです。
多少プライベートなことですので、ブログに書くのはどうかな、とも思いましたが、確か16年ぐらい仙台興譲館の寮母さんととしてお勤めいただいたおばさんを懐かしいむ寮生も、この地球上のあちこちにおられるかと思い、あえて書くことにしました。
山崎おばさんは、10年ほど前にちょっと大きな病気をされていて、今はあちこち無理はきかない状況ですが、お元気ですよ!
僕たちの訪問を大歓迎してくださいました。なんでも、ふだんはあまりやらないお化粧もしたんだとか。僕らは施設の許可をいただき、2台の車でおばさんを連れて外食に出かけました。
さてと、訪問してから気づきました。うっかりしていたのですが、おばさんは今年88歳。昭和元年生まれ。つまり米寿です。そこで僕らは、一番町のお寿司屋さんに入って、ささやかながら、米寿のお祝い会という名目に変更して乾杯(全員お茶でしたが)。ほんとは、去年開催すべきだったのですが…。
お寿司をつつきながら、僕らの学生時代のエピソードに花が咲きました。
当時、寮母さんは住み込みで我々の食事をつくってくださったりしていましたから、おばさんが昔つくってくれた仙台興譲館メニューの話題が多かったかな。一方、我々寮生にとっては、時には厳しく、時にはやさしい「仙台の母親」のような存在でしたから、多くの学生がプライベートな悩みなんかもみんなおばさんに相談していました。ゆえに、今じゃ笑い話だけれど、多少ヤバい話もぴょんぴょん飛び出します。おばさんは、僕らが忘れているようなこともしっかりと記憶されていて、おかしいやら、恥ずかしいやらで大変盛り上がりました。
お寿司を食べたあとは、コーヒーショップへ行って、おばさんがちょっとした買い物をされたいというので、4人でエスコート。気が付けばあっという間に陽は西に傾きつつありました。
即席パーティーだったから、何もプレゼントは無くてごめんね、おばさん。
でも、知り合いだったらしいお店の従業員の方に「これみんなあたしの息子たちよ」って、自慢げに我々を紹介してくれたのが、何ともうれしく、僕らもニコニコ。
晴れた九月の週末、よい一日でありました。
おばさん、またみんなで会いに行くよ。
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