数日前から「風姿花伝」を読み直しています。
告白すると、学生の頃、そして20年くらい前、過去に2度ほど手にしています。しかし、こんな薄い本にも関わらず、それぞれに読破できませんでした。しかし、今回は何とか読み終えました。すると、これまでとはまた違った印象、発見があったのです。
特に風姿花傳第一にある「年來稽古條々」。
「七歳」から「五十有餘」まで人生を7段階に分けて、お稽古の仕方について説かれている部分なのですが、様々な指南書やビジネス書などに取り上げられていますから、ひょっとするとご存じの方も多いかもしれません。
世阿弥の父君観阿弥が50代で亡くなったとはいえ、なんで50歳までなの?、と昔は不思議に感じておりました。しかし、現実に自分が50歳を過ぎてその半ばに差し掛からんとする年齢になり行く末を想う年頃、少しだけ実感がわいてきています。世阿弥はこの書を39歳で書いたと言われていますから、今頃人生を見渡す気持ちになっている凡々人の私と天才の違いを実感します。
そこで、人生50年と言われた世阿弥先生の時代とは違って、今や人生80年と言われているわけですから、勝手に当時と現在の平均寿命で案分してあてはめてみました。つまり七掛けです。すると、現在の私は、年來稽古條々で述べられているところの「三十四、五」にあたります。(うひょ~、若返った感じ(^^)/)読者の皆さんは七掛けするとお幾つぐらいになられるのでしょう。
さて、私の場合該当するそこを、丹念に読んでみると…なるほど、なるほど!そうあるべきなんですね。ちょっと私にはハードル高いけれど、勇気が湧いてきますねぇ~。
私ごとき浅学の身で花伝書に関するコメントするのは恐れ多いのですが、この本は、読めば読むほど、芸事にも、武術にも、ビジネスにも応用できるんじゃない、ってことが書いてあるのです。
ことばには時空を超えて人を動かす力があるんだなぁということを実感する書物です。
一方、巻末にて「校訂者のことば」という西尾実先生の書かれた文章の中に、ちょっとドキっとする表現がありました。
岩波文庫版のなかで、ここにその一部を引用させていただきますと…
「来るべき文化の創造は、近代の出発にあたって否定された中世的なもののなかに潜む、否定することのできないエネルギーの発掘に負うところがなくてはならない関係にある」
という部分です。
昭和33年の夏に書かれた言葉とされています。翻ってわたしたちは、一体これまで中世的なものに対して、ちゃんと向き合ってきたのかどうか、強い反省を求められているようにも受け取れました。私たちはこの文に示されている「来るべき文化の創造」の時節に立っているのではないかと。単なる思い込みでしょうか。
恥ずかしながら、この本の共編者となっている野上豊一郎博士が、戦前すでに外務省の派遣により英国ケンブリッジ大学で世阿弥の講義を行っていたことは全く知りませんでした。その野上博士へのリスペクトも感じられる西尾実先生のことばには、風姿花伝や世阿弥の思想を紹介することで、次の世代へ何かを託そうとなされたのではと、世界の中でのニッポン人として動くヒントが、隠れていると。そういう思いがあったのではと想像しています。。
明治、大正、昭和と激動の日本にあって、 数百年前の舞台芸術家の思想、そこから生まれ今も継承されている日本人としてのアイデンティティの重要性を私たちに紹介しようと努力して下さった先生方のお仕事は、まことに偉業であると感じさせられる本です。
今更ながらですが、読むたびに、ここには書ききれないぐらいの発見がある奥深い書物であります。
0 件のコメント:
コメントを投稿