一昨日は早寝しようと思ったのですが、NHKの番組で三島由紀夫のことをやっていて、見入ってしまった。今年で生誕90年、没後45年なのだそうだ。
三島由紀夫が自決した時、僕は小学生であった。朝日新聞だったかアサヒグラフだったか、その時の写真が子ども心に大変衝撃的だったことをはっきりと覚えている。
TVを観ながら、いろいろなことを思い出していた。「金閣寺」を図書館から借りてきて読んでいたら、母親にもっと他に読む本が無いのかと不機嫌に言われた。三島由紀夫の書物は当時、子どもが読む本ではなかったらしい。三島の事件の翌年だったと思う。全く内容は理解していなかったはずだが、母親は何か訝っているようでもあった。子どもは読んじゃダメなんて言われたら読みたくなるのが常。市立図書館が自宅から近いこともあり次々と三島の本を図書館から借りてきていた。けれども私の三島熱はそう長くは続かず、いつしか興味は音楽や詩に移って行った。
中学校に入ってからは、北原白秋と八木重吉がお気に入りになった。八木重吉は若くして逝った叔母の影響もあるが、北原白秋はなぜ好きなのか今もわからない。中でも柳川をうたったものや物理学校の詩が好きだった。
当時私が住んでいた米沢には、山形大学工学部の古い建物がいくつか残っていた(今も歴史的建築物として旧米沢工業専門学校本館は大切に保存されている)。そこで叔父が教鞭をとっていた関係もあり、時々遊びに出かけた。敷地内にある古い建物の陰に行っては「物理学教室はこんな風だったのかなぁ」と想像しながら「陰鬱」という漢字を書いてみたりしていた。山大には10歳年上の従兄も通っていて、レッド・ツェッペリンのコピーバンドをやっていた。私の音楽趣味はまちがいなくこの頃のことが影響している。きっと変な小学生だったに違いない(笑)
時は流れ、仙台に移り住みしばらくして、東北大学の片平キャンパスに旧制二高時代の「物理学教室」が残っていることを知った。私が白秋の詩に見た建物とは大分雰囲気は異なっているのだが…。
偶然、先週火曜日、散歩のついでに、その建物を写真に収めていた。
しかし、なぜ物理学教室に惹かれるのか。
記憶をたどると、子どもの頃に感じていた、
時空を超えていくような、
心が内側に向かっていくような、
それでいて心躍るような
面白い感覚がよみがえってくる。
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